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オープン間近のティーハウスには既に家具が入り配置されている。もう少し時間が経てば、従業員を入れて接客の指導が入る予定だ。
広いホールにはふたりの人物が向かい合わせにテーブルについていた。
「ここが今や噂の的のルシエンテス侯爵家のティーハウスなのね」
珍しくはしゃいだ様子でパメラが周囲を見渡す。流行りの装いではあるものの、スカートの横の広がりは控えめで、派手すぎない絵柄や装飾のドレスを身にまとい、すっかり貴婦人然としている。
「君、コーヒーハウスにも出入りしていただろう?」
エリアスは呆れたように片眉を上げる。ティーハウスの様子を視察しに行くと聞きつけたパメラが調査報告をそこでしたいと願い出た。鷹揚に頷けば、エントランスではなく、ホールのテーブルに座ってみたいという。
「あら、コーヒーハウスとは違いますわよ。それに、これだけみな様の口に登る場所ですもの。きっと殺到しますわ。入ってお茶を飲むことができるのはいつになることやら」
「ふむ。ならば、予約制にするか、番号札を配った方が良いかな」
パメラの言葉を聞いて、オープン当初は人が詰めかけることを予想して、エリアスは対策を練る。
「番号札? なんですの、それ?」
「今思いついただけだが、客数を決めておいて大体の時間を伝えて札を渡すのだ」
そうすれば、エントランスで待つ時間も減る。もし、エントランスからあふれ出るほどに列をなして大挙されれば、折角待ったのに、ティールームを利用することなく閉店時間を迎えることになる破目になる。それをあらかじめ防ぐ。
「でしたら、ひとり当たりに時間を決められては?」
「いや、それをしたら、ティーハウスの主旨に反する。ゆっくりくつろぐ場にしたいから」
「まあ、貴族らしい鷹揚なお商売ですわね。でも、それで採算は取れますの?」
「その分、価格帯を高めにしている。席料も頂戴することだしね」
そんな風に話している最中に、給仕がやってきて恭しく茶を配する。
「あら」
「せっかくだから、茶も飲んでいくと良い」
「嬉しいですわ」
エリアスが手配させていた茶を、パメラは嬉しそうに堪能する。
「まあ、美味しい。それに、素晴らしい香りだわ」
「一流を知る君にそう言われれば、本物だね」
エリアスは満足げに脚を組み替える。パメラは高級娼館で働いていた過去を持つ。客は身分や地位、財産を持つ者だけあって、礼儀作法や教養を身に着けていた。時には客と同じものを飲食する。客の好みそうなものを調べ、身につけた教養でもって会話を弾ませるのも手練手管のひとつである。一緒に食事を楽しみたいという要望は少なからずある。そういった時には男の見栄で金銭を惜しまない。困窮する貴族の子女よりも、一流の妓女ならばこそ、一流の物品を知る。
「ま! 本当にルシエンテス侯爵様は人たらしですわね」
「なんだ、それは」
「人を喜ばせる才能がおありでしてよ」
ティーハウスのプレオープンに出席した者たちが口々に言うのだそうだ。
「ならば、重畳」
人に嫌われるよりも好かれる方が良いではないかと、エリアスは麗しく微笑む。
最近、エリアスの部下となったパメラは会う機会が増えたが、未だこの艶麗な笑みには頬が染まる。
「ちゃ、茶器も素晴らしいですわね」
慌てて話題を変えたので少しどもってしまった。百戦錬磨の自分をして、こんなていたらくなのだ。
せっせと口説きにかかっているのだが、いっかななびかない。恋に現を抜かすのではなく、仕事に精を出しているのなら、パメラも役に立つところを見せておかなければならない。
「ああ。同じ重量の黄金の価値がある」
「陶磁器といえばそのお言葉も過言ではありませんわね。それだけに、貴族の方々がこぞって手に入れたがり、そうした後には飾っているものという認識でしたわ」
「元々の用途通り、実際に使ってこそだ。それに、高級感が出るだろう」
「まさしく。このなんとも言えない艶、すべらかさ。これらの茶器を使えるだけでも、ルシエンテス侯爵家のティーハウスに訪れる価値はありますわね」
ひとしきり茶を楽しんだ後、パメラはティーカップをソーサーに戻した。
「最近、とある占い師のことが話題になっておりますの」
「貴族連中が占いに頼るのは古来からだろう?」
わざわざ言い出すのだから、なにかあるのだろうとエリアスは先を促す。
「結論から申しますと類稀なる美少女なのですわ」
「なるほど。歳若く見目麗しいとなれば、評判になるか」
貴族たちは美しいものを好む。最近の流行りは優美な傾向にある。
「ええ。人生の酸いも甘いも噛み分けた者が行うことが多い中では珍しいですわ」
ほとんど人生相談のようなものだが、未来を言い当てようと、現状を整理して気持ちの持って行きようを示唆されようと、占ってもらった者が納得し満足すればそれで良いのだ。となれば、後者は人生経験豊富な、時に辛辣なことをずばりと言ってしまえる者が占い師に適応する。
「ということは、良く当たるのか?」
「そういう噂ですわね」
パメラの物言いに含むものを感じる。ふと思いついて口にする。
「アゴスト侯が仕掛けてきたか?」
その名前を口にして、苦い記憶が蘇る。カブレラ子爵は婉曲的な言い回しをしていたが、エリアスが愛した人に手を出したのだろう。許し難く、引き裂いてやりたいが、当の愛しい人は遠方で幸福になっている。もはや、なにをどうしても、その事実は変わらない。
「ご名答ですわ。我が主は千里眼ですわね」
エリアスの気持ちを知らないパメラは目を丸くして賞賛する。
「いや、そろそろまた動き始めるころかと思っただけなのだが。しかし、懲りないご仁だな」
「いっそ、叩き潰しておしまいになったら? いい加減、煩わしく思いませんこと?」
「物騒だな。そうやって気に食わないからといって相手を害するのは好きじゃないな」
アゴラス侯と同じやり口ではないか。そんな風に言いながら脚を組み替える。
「そんなことございませんわ。向こうがなにかにつけて噛みついて来るのです。いわば、火の粉を払うだけのこと」
「だからといって、都度報復措置を取っていれば共倒れになる。もちろん、良い様にされ放題で、大人しく引き下がるつもりはないが」
立ち向かい抵抗する力がないと見なされれば好き勝手されるだろう。
「それを聞いて安心しましたわ。それで、件の占い師ですが、今やあちこちのサロンで噂に登ります。ただ、その噂の出所が問題なのですわ」
バルデム伯だという。調べてきたパメラからしてみれば、隠してもいないようなもので呆れた様子で報告する。
「もう、張り合いがないったら。すぐにそうと分かってしまいましたもの。わたくし、あまりに呆気なさ過ぎたから、なにか裏があるのではないかとあれこれ調べ回りましたわ」
余計な労力を使ったと憤慨する。
「なるほど。ということは、カブレラ子爵を用いなかったのか」
「以前、ルシエンテス侯爵様が揺さぶられたのが効いてのではなくて?」
「だと良いのだが」
パメラの意見も考えられるところである。アゴスト侯の陣営で最も切れ者であり、エリアスが引き抜こうとしたことがある。その際、大きな痛手を負わされた。
「まだ、彼が欲しい?」
パメラがそっとエリアスの右手の甲に手を乗せた。
彼女にはフランシスカのことを簡単に話している。他に知るのはアルフレドとテオだ。つまり、この三人が最も信用している者たちだ。ロランドやロブレド侯爵といった気の合う者もいるが、内情を明かすには至らない。
それでも、少し前までは頼る者はテオやカントリーハウスの家宰や従僕たちくらいだった。彼らはエリアスが言えばいくらでも手を貸してくれる。けれど、指示するのはエリアスだ。ひとりで考え、人前に出ることを避けるために代理人を使って物事を進める必要があった。非常に迂遠である。今や、共に考え、エリアスが持たない視点を教わり、自分の代わりに指示なくとも動く者がいる。なんなら、エリアス自身が外に出ていくことすらある。
ロランドやロブレド侯爵を始めとする癖があっても素晴らしい気性の者たちもいると知れた。
「ああ、欲しいな」
まだ、足りない。
ルシエンテス侯爵領はもっと様々な事業を展開していく。セブリアン伯領へぶどう畑の病害虫駆除を行った者の報告を受けている。気の良い気質の者たちから農業を教わっていると聞く。困窮した時に駆け付け、共に額に汗したからこそ、彼らが代々培ってきたノウハウを教えてくれたのだ。職を失って腐っていた者たちだが、懸命に働いたからこそ手にするものがあった。無論、中には怠惰に過ごした者も途中で逃げ出した者もいる。でも、働きたくても働けない者はここが正念場と頑張った。
カブレラ子爵の才能は惜しい。彼の能力があれば、働く体力や気力がある者を腐らせておくことは少なくなる。ルシエンテス侯爵領はもっとやる気のある者が報われる土地となるだろう。
カリブレ子爵がフランシスカを害したのではない。けれど、結果的にはエリアスとの仲を裂いた。本音を言えば憎い。
でも、彼が欲しい。エリアスの気持ちとは別のところで、彼の能力があれば、それを巧く使えば、救われる者が多くいるのだ。
「分かりましたわ。引き続き、カリブレ子爵と彼の領地のことを調べますわ」
私情を押さえて自領と他領の益を取ることができるエリアスのルシエンテス侯爵としての資質を垣間見たパメラは恭しく頭を下げた。高位貴族の冒し難い畏敬を覚えた。
「アゴスト侯はまだクライフは水面下で繋がっているのか」
「そのことですが、実は、件の商人を通してバルケネンデの貴族と連絡を取り合っているらしいですわ」
エリアスは眉を顰めた。以前、パメラが推測でしかないと言っていたのはこのことだったのだ。
「分かった。商人たちの方へもそれとなく、聞いてみよう」




