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4-5

 



 社交界の話題はルシエンテス侯爵の新たな事業一色となった。美味な茶と佳酒、凝った趣向、ルシエンテス侯爵とロランド卿という社交界でも稀な存在のもてなし、招待客。話の種は尽きない。

 プレオープンに招待された者、特にいち早く噂を掴んでいたベニート子爵夫妻は夜会で引っ張りだこで、誰もが話を聞きたがった。


「化け物侯爵? あまりの美しさに魂を抜かれたようになるからそう言われているのではないのか?」

 そんな風にまで言われる始末だ。


 面白くないのはアゴスト侯である。

「くそっ、青二才目が!」

 打ち出す策をことごとくすり抜け、あるいは破壊されていく。

 考えれば考えるほど、腹が立ってくる。

「ライオンの老年は、小鹿の青春より価値があるというのを知らぬのか!」


 怒りに任せて呼び出したカブレラ子爵に椅子を勧める間もあらばこそ、当たり散らす。

「第一、娼館ですら取らない手袋の秘密はどうなったのだ! お前は見ていないのか!」

「あの麗しいご面相に気を取られておりまして」

 そんなとぼけた答えが返ってくる始末で、かっとしたアゴスト侯はワイングラスを投げ付けた。更に腹が立つことに、機敏そうには見えないカブレラ子爵はひょいと避けた。ワイングラスは壁に当たって派手な音をたてて割れた。中身が入っていたのに、予想していたとでも言わんばかりに悠々と避けて飛沫を浴びてもいない。それが苛立ちを大きくした。アゴスト侯は怒りを抑制することなく、育てる種類の人間だった。

 そもそも、最近精彩を欠いて見える子爵に、アゴスト侯は業腹であったのだ。


 翻って、カブレラ子爵はエリアスの左手が生み出した幻影を見てから、劇的に変化を兆していた。

 直接言葉を交わしたほんのわずかな間でエリアスの人となり、上に立つ者としての資質を感じ取った。そんなエリアスが自分の能力を高く買っている。しかし、自分はよりによってエリアスが心から欲したものを遠ざけたのだ。さぞかし恨まれているだろう。叶うならあの人の下で存分に働いて見たい。でも、それは実現し得ない夢だ。だから、このワイングラスのように砕け散って良かったのだと思おうとした。なのに、アゴスト侯爵は感傷に浸らせてくれない。

「若さは、何であれ伸びてゆくものに、老いは、何であれ滅びゆくものに似ている」

 そんな言葉が脳裏をよぎる。


 八つ当たりされて喚き散らされるのもうんざりだが、脇の甘いアゴスト侯がその辺に放り出していた書類が目に入った。そこには、エトホーフト子爵、デルクス男爵といった貴族名らしき名称があるのを目ざとく確認する。カブレラ子爵の視線に気づいてすぐに片づけさせたが、遅い。


 使用人も使用人だ。主人が隠すように言うような書類なら、なぜ前もって片づけておかないのだ。いや、こちらは分かる。気を回して行ったとしても、主人の機嫌が悪かったら叱責される原因となるのだろう。八つ当たりの種は潰しておきたい。往々にして、部下の気遣いを汲めない者ほど、下の者の無償の心配りを要求する。そして、そういう者が誰かの下についたならば、見当違いなことをして心配りをした気になるものだ。

 それは良い。


 問題はアゴスト侯が隠させた書類にあった名前はアランバルリの貴族ではないということだ。貴族名鑑は頭に入っている。他国の貴族だろう。なんとなく覚えがある。調べて見るか。

 アゴスト侯は疑わしそうにカブレラ子爵の顔つきを見ていたが、取り繕っていると、興味を失くしたようだ。自身の関心のないことについては深く考えない。だから、表面上のことしか受け取ることができない人間なのだ。

 彼にはそれよりももっと気が掛かりなことがある。


「若者は顔かたちが、老人は心ばえが美しい」

 そんな風にうそぶいてみせるアゴラス侯にはそのことわざはあてはまらないだろう。

 侯爵はルシエンテス侯爵に捉われている。


 愚行と虚栄心とは別れられない伴侶であるとはよく言ったもので、同じ爵位にあり、わずかに自分の家門の方が歴史が長いということが自慢であった。後継者が引きこもっているというのも、見下す要因となった。ところが、いつのころからか、ルシエンテス侯爵領では事業を盛んに行い、富を得ている。そういう噂はすぐに出回るものだ。そして、爵位を継いだ侯爵が若く美しく、更には大きな成功を修めつつある事業は彼自身が指揮を執っているという。


 見下していた者が実は優れたことを成し遂げていた。

 自分の判断や認識が間違っていたことを突き付けられ、恥をかかされたと憤った。自分よりも財を成していることも腹が立った。

 その思考方向にはなはだ疑問を禁じ得ない。


 ルシエンテス侯爵は同格の侯爵であるロブレド卿と親しく語らったという。大きな違いである。

 第一、ルシエンテス侯爵はつい先だってアゴラス侯の動きを完全に読み、先んじて動いていた。今後もそうでないとなぜ考えることができないのか。しかも、自分が動くのではない。誰かが自分の都合の良い様に働く者だと思っている。


 ———君、わたしの下で働かないか?


 ———アゴスト侯の下で人の命運を左右させるよりも、社会を発展させることをしてみないか?


 ———返事はすぐでなくても構わない。他国で活躍することも視野に入れて置いてくれ。自国が良いなら他の身分を用意しよう。


 ルシエンテス侯爵の言葉がまざまざと思い出される。

「わたしのような者にそこまで気遣いをされるとは」

 よほど能力を高く買ってくれているのか、それとも、単にアゴスト侯の力を削ごうというのか。

 いずれにせよ、今はもうそんな気持ちは霧散しているだろう。


「ルシエンテス侯爵はあれだな、若い時は天使、歳を取ると悪魔というやつ」

 だから、敵対する者をも捉えて離さない。

 当の本人にとっては迷惑千万なことだろうが。



 エトホーフト子爵、デルクス男爵はすぐに判明した。アゴスト侯は以前からクライフという商人と癒着している。彼がバルケネンデの者なので、隣国の貴族から当たったところ、該当者が見つかった。


 金は泥中でも光輝くとはいえ、カブレラ子爵は何度となくアゴスト侯にクライフと手を切るように言っていた。最近では姿を見掛けず、名前を聞かないようになったと思っていたら、水面下で付き合いを継続していたのだ。そして、アゴスト侯は更に深みに嵌っていると見える。両貴族の背後にはバルケネンデの大貴族の陰がちらついている。


 調査に多忙を極めるカブレラ子爵はアゴスト侯に呼び出された。

 いつになく上機嫌なアゴスト侯の傍らに、以前、下町に同行した者がいることに嫌な予感を覚えた。

「どうやら、我らの切り札となり得る者が見つかったようだ」

「これも侯爵様の御威光の賜物です」

 芝居がかったアゴスト侯におもねるように卑屈な笑みを浮かべる。いっそ、揉み手でもすれば良いのに、などとカブレラ子爵は投げやりな気分になる。


「古の不可思議の力を持つ子供だ」

 手駒の男は事実関係を調べてからご注進に及んだのだろうか。あの突如現れた火柱には子供が関与している可能性は高いが、確認を取ったのだろうか。アゴスト侯は思い込んだらすぐさま実現させようとするだろう。手駒の男は自身の手柄を立てようと大きなことを言ってやしないだろうか。それをそのまま信じ込み、明後日な方向に思考が逸れ、結局、自分の思惑に外れたこととなったら、腹を立てて全てをおじゃんにさせる。つまりは、あやふやなことで人ひとりの命運を捻じ曲げてしまう。


 どうせ、自分では動かないどころか考えることすら丸投げするご仁だ。手駒の男に任せておきたいが、子供を攫ってくる際、強引なことをして怪我をさせかねない。彼らは切り札などと言っておきながら、他人の痛みや事情には斟酌しない。

 カブレラ子爵は自分が心に変化を兆して以降、見くびっていたことを思い知らされる。


「恐ろしい力だが、なに、こちらはちゃんと楔を打ってある」

 カブレラ子爵は喉の渇きを感じた。舌が乾ききったかのように声を発することができない。アゴラス侯の手駒は表情をなくすカブレラ子爵をにやにやと愉悦を持って見つめる。ようやく悟る。アゴラス侯爵家という広大な領地から生み出される物品や金銭、権力の分け前を欲する者は多くいるのだ。カブレラ子爵は自分がアゴラス侯の手綱から解放されたくて仕方がなかったから気づかなかった。アゴラス侯の歓心を買って富や地位を得ようという者は、その手綱を欲するのだ。だから、カブレラ子爵には伏せて全ての事を終えてから告げたのだ。


「あの子供の弟妹を握っています。ちゃあんと言うことを聞きますよ」

 カブレラ子爵は灼熱を腹に感じた。

 あの時、懸命に生きる子供の幸せを誰に祈れば良いのか分からなかった。以前、領地が凶作に見舞われた際も同じように天を仰ぎ、しかし、そこには祈るべき存在を見いだせないでいた。

 人には太刀打ちできない自然の脅威の前で、誰に、なにに縋れば良いのだろうか。ただただ頭を低くし、縮こまってやり過ごすことしかできない。


「女は駄目だ。みんなやつに恋する」

「それでは、こういった趣向はどうでしょう」

 ふたりがルシエンテス侯爵に仕掛ける新たなる罠を話すのを、どこか遠くの出来事のように聞いていた。


 真の貴族は、生まれながらのものではなく、生きていくうちに獲得されるものであるとは誰が言った

か。では、自分や目の前にいる者たちは真の貴族の範疇からははみ出てしまったのだろう。


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