3-12
古今東西、きらびやかさやラグジュアリーには黄金は不可欠だ。実家でも客が来る場所では存在感をアピールするように飾り立てていた。社交界に出てからはその輝き、存在感の桁違いに気後れしたものだが、今は値踏みすることができるくらいには慣れた。
ベニート子爵夫人ミレイアは自分が発信源になるという未だかつてないことを行うのに、その頃の気持ちをふたたび味わった。だが、それも慣れる。回を重ねる毎に、返しもしらりとしたものになった。
「とは言いますけれど、本当のところはどうなのかしら?」
「わたくしもよくは存じませんの。ただ、あの方がなさることですもの。きっと素敵なものに違いませんわ」
コツははっきりしたことを明言しないことだ。ただ、良く噂に上る者を示唆するだけで良い。
「あの人嫌い侯爵様が……」
「あの麗しの……」
それだけで、卓絶した美貌が茶会参加たちの脳裏を駆け巡る。
ミレイアはルシエンテス侯爵と会談した後、夫とともに、時には単独で、あちこちのサロンや夜会、茶会に積極的に出席して麗しい方の素晴らしい企画をそれとなく語った。初めはなんの戯言か虚言かとばかりに取り合われなかった。自分の言い方が悪かったことは重々承知している。もっとさりげなく、興味を引く様に話さなければならない。
それでなくとも、ルシエンテス侯爵に関する話は眉唾物が多いのだ。かの方のことを話題に持ち出すと、喜ばれる反面、懐疑的になる者もいる。
ルシエンテス侯爵は最近では二度ほど夜会にも出席し、美々しい衣装を身に付け、それ以上に典雅な自身を印象付けている。夜会主催者はどちらも由緒ある家門であるが、より一層箔を付けたと言われている。しかも、優れているのは姿だけではない。
「ああ、そうそう、ルシエンテス侯爵様が高速船を造られたとか。それで交易もはかどりますでしょうね」
侯爵位を継いでから目覚ましい事業成果を示している。人前に出ずに殆どを代理人に任せているが、指揮を執っているのは侯爵自身だというのはもっぱらの噂である。
「夜会でも古参の方々と書物のお話に花を咲かせたとか」
長らく貴族をしていると、自尊心と価値観の硬直がみられる。端的に言うと偏屈になりがちだ。そんな者たちと意見を交わし合うことができるのは生半なことではない。
「まあ、読書家であらせられるのね」
「単なる本好きではないそうよ。海外の本もよくよく読み込んでおられるらしくて、素晴らしい蔵書を誇るライブラリーがおありだと伺いましたわ」
活版印刷によって書は大量生産された。だが、美術品よろしく収集するだけしてろくに読まない者もいた。
「夜会だけではなくてよ。コーヒーハウスにも顔を出されることがおありだそうよ」
ミレイアはこみあげて来る笑いを堪えた。さすがは噂の佳人、こちらが話を向けなくても、その動向には注目が集まる。
「まあ! 旦那様に連れて行ってもらおうかしら」
「毎日通っちゃうわね」
「あのご尊顔を拝するなら、そのくらい出来てよ」
自分はそんなことをしなくても同じテーブルを囲み、言葉を交わし、あまつさえ助言を求められた。そう、ミレイアに直々に意見を要求されたのだ。その企画を成功させる一端を担えるのだ。気持ちが奮い立つ。けれど、口調や態度はあくまでさりげないものを心掛ける。
「ルシエンテス侯爵様はコーヒーもお好きなのね。確か、遠方からお茶を買い付けてお出でだと聞きましたけれど」
「あら、隣国と取引きしているのではなくて?」
「いいえ。ほら、例の新しい高速船で、遠方との交易が半分の日数でできるようになったとか」
「まあっ……!」
投下された言葉は投石機のごとく衝撃を与えた。従来の半分の日数というのはとんでもない速さである。そして、遠方の国との交易が可能になったということは、国はおろか諸外国から抜きんでた商売を可能にすると予想される。
地位、外見、頭脳、そして今ある財産を上回る富を手にしようとしているということだ。しかも、あの若さで。
茶会の出席者の眼がぎらついた。
「では、あの話もあながち嘘……いいえ、聞き間違いというわけではないのかしら」
「ねえ、一体どういうものなのかしら」
「誰かご存知?」
それぞれが情報を持っていないかと視線で探り合う中、ミレイアは涼しい顔をしながら茶を飲んだ。こうして社交で飲む茶ももしかすると、ゆくゆくはルシエンテス侯爵が取り扱うものになるかもしれない。そう考えるとその未来が待ち遠しい気もする。
「ねえ、貴女、ベニート子爵夫人と言ったかしら。随分、ルシエンテス侯爵についてお詳しいのね」
「わたくしもよくは存じませんの。ただ、あの方がなさることですもの。きっと素敵なものに違いませんわ」
ミレイアはにっこり笑いながら、先ほど言った言葉を繰り返した。今度はみなの同意を得られた。溜飲が下がる。
ベニート子爵夫人ミレイアは茶会を終えて馬車に向かおうとした際、声を掛けられて振り返った。そこには黒髪黒目のやせ型の男がいた。茶会の参加者のひとりで、確か子爵だったはずだ。よく言えば穏やか、悪く言えばなんの面白みもない印象を受けた。
「今日もかの麗しい方の噂でもちきりでしたね」
可も不可もない雰囲気に警戒がやや緩む。貴族間では気を抜いて隙を作れば、どこでどう悪く作用するか分からない。
「社交界に顔を出されないのに、まつわる話は尽きませんわね」
ミレイアは当たり障りなく答えた。邪険にして恨みに思われても適わない。
「その尽きない話とやらですが、ベニート子爵夫人は随分、ルシエンテス侯爵についてお詳しいようだ」
「あら、そうかしら? みなが噂している程度のことしか存じ上げませんわ」
噂の発信源だと言うのは簡単でその時だけはちやほやされて気分が良いかもしれないが、今回はどこからともなく、という方針だ。ミレイアはとぼけてみせた。
子爵は茶会から帰ろうとする参加者を避けるようにして、ミレイアを誘導した。ミレイアは知らず、サロンの片隅に移動させられていた。
「ですが、ほら、高速船のことや茶を好むことなどを話されていたではありませんか」
「あれは誰から聞いたのかしら。ええと、男爵夫人? 違ったかしら。ううん———」
「ベニート子爵夫人はよほどの社交家のようだ」
ありもしない名前を思い出す振りをすると、子爵は朗らかに笑った。
「まあ、とんでもございませんわ」
「ルシエンテス侯爵はなんでも持っているが、手にしないものもある」
唐突に子爵はそんな風に言い出し、ミレイアの関心を大いに引いた。
「それはなんですの?」
「それはね、貴女のような社交的な方が傍におられないことですよ」
「まっ!」
声を潜めるようにして言うのに、ミレイアは絶句した。もちろん、悪い気はしない。
確かにあの若さで地位、外見、財産、才能、おおよそあらゆる物を手にしていると言えよう。けれど、子爵が言う通り、社交は得意ではなさそうだ。話してみたところ、寡黙というところはなく、逆に人の話を聞かないお喋りというのでもない。老貴族と会話に花を咲かせたというのも分かるほど、もっと話をしたいと思わせる人物だった。なのに、社交界には顔を滅多に出さない。
そんな風に考え込むミレイアをまじまじと見つめながら子爵は続ける。
「ルシエンテス侯爵の美しさ、若さ、才能、どれも素晴らしいもので、突出しています。それだけに孤独であるのではないでしょうか。支えてあげる人が必要だ。そんな人は貴女のようなルシエンテス侯爵が持たない物を持つ方が相応しい」
子爵が言う通り、ルシエンテス侯爵はミレイアに助言を求めた。女性ならではの視点だと喜んでいた。
「でも、わたくしなんて、とてもではないですが、」
ミレイアの弱々しい反論を、子爵は遮った。
「貴女のような普通の方が良いのですよ。だって、侯爵はご自身でもう色々お持ちだ。ならば、良識ある普通のご婦人が傍にいて支えることこそを望まれているのではないでしょうか」
そうかもしれない。子爵が言う通り、あの麗しいルシエンテス侯爵を支える一般的な感覚の持ち主が必要かもしれない。
きっと、そうに違いない。
ミレイアの外見だって、美しい部類に入る。
そうだ、もっと侯爵の役に立ちたいだけなのだ。
黙り込んだミレイアが目を潤ませ頬を染めるのを、カブレラ子爵は冷静に見つめていた。




