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フランシスカと三度目に会ったのは異国情緒あふれるオペラハウスだった。彼女が好みそうな場所だと思った。
外観は二層の異なる様式によって建てられている。一層目は切石積みで上部に古代異国風のレリーフで装飾され、二層目は列柱が連なっている。内部の天井画は神話をモチーフにし、壁や柱、階段や桟敷席のバルコニーの手摺、様々な部分に細密に装飾がなされている。
ホールに佇みながら、いつもなら人の視線を煩わしく思うのに、今日は気にならない。待ち人に気を取られていたからだ。
愛しい人は若々しいふっくらした頬を染め、現れた。
エリアスは事前に二度目に会った時に着ていたローブ・ア・ラングレーズと同じ型のドレスを贈っていた。白いフィシューが上品に思われたから、少し透け感のあるレースのフィシューを合わせて届けた。それらを身に着けたフランシスカを見て、内心、安堵のため息をついた。
贈り物をしてこんなに不安になったのは初めてのことだ。気に入るかどうか、それを身に着けてくれるかどうか、こんなにもあれこれ考えるものなのだ。
「良くお似合いですね」
表情を取り繕うことなく、目を細めてしみじみ言う。理知的な新緑の光が柔らかく凝縮するのに、フランシスカは頬を染める。
「夜会に着ていたドレスと同じ色合いの優しい青色ですね」
「ええ。貴女の薄青の瞳に合うと思ったのです。想像以上だ」
「こんなに素敵なドレスを、ありがとうございます」
胸が高鳴った。
手放しの称賛に頬を更に染め、目を伏せる様は実に初々しい。思えば、人嫌いの侯爵として当然、女性と接触する機会はほとんどなかった。そこへ最近、未亡人、妓女と関わりを持った。どちらも積極的であった。フランシスカの挙措が初々しく見えるのも当然のことかもしれない。
「いいえ、今日こうやって身につけた姿を見せて頂いて、わたしの方こそ感謝いたします」
案内係に合図を送り、フランシスカと共についた席はバルコニーに設えられた桟敷席だ。今日も当然のようについてきた従者は扉の外で番を務めている。
この日のオペラは従来チェンバロで行われていた伴奏を管弦楽に変更した先鋭的な演目だった。
「革新的な演目ですわね」
「ふたつの全く異なる音色の歌劇を同質の音色で一貫させている」
エリアスはそう言って隣に座るフランシスカの手を握った。オペラの演目のように、自分と彼女、全くの異なる人間同士が寄り添い、ひとつの家庭を作り上げたい。
桟敷席は密談をするためにふたりだけで、その他は空席だ。
「答えを聞かせてほしい」
明るい舞台とは逆に、薄暗い空間に切り取られたようにふたりで並んでいると、世界に自分とフランシスカしかいないように思われた。
「その前に、わたくしは告白しなければならないことがございます」
フランシスカが身を硬くするのが分かる。緊張が伝染する。
「聞きましょう」
短く返したエリアスに、フランシスカはこういう時の女性に対する際特有の長時間待つ必要なく、口を開いた。
「実はわたくし、セブリアン伯の夜会にはある方の指示によって出席したのですわ」
半ば予想していたことだが、アゴスト侯の息のかかった者から紹介された人間の指示により、夜会に参加したのだという。
彼女は確かに着ていたドレスや靴は借りものだと言っていた。着慣れなくて、と率直に話す様を好ましく思ったものだ。
フランシスカはいくら父親の借金という弱みを握られているとはいえ、特定の相手にわざと近づけという指示に唯々諾々と従うことに抵抗感を持っていたという。
「参加さえしてしまえば良いと思いましたの。ルシエンテス侯爵様には近づけなかった、分からなかったという主張を通そうとしました」
でも、出会ってしまった。
「誓って貴方だと知らなかったの」
エリアスはフランシスカを見つめた。愛しい人は身じろぎし薄青の瞳を揺らしたが、視線を逸らすことはなかった。
身体の奥がきゅっとつねられるような甘い痛みを感じた。
あの夜会で、エリアスから声を掛けたのだ。彼女の言葉には矛盾や嘘はない。
「……信じましょう。わたしも次に君に会う時には秘密を明かします」
だから、裏切るな、自分を信じろという意味で言った。つもりだった。
「嬉しいですわ」
ほっとすぐ隣の身体が弛緩する。
「それでは?」
「ええ、ええ、侯爵様のお申し出はカハール男爵家にとってもまたとないものです。どうぞ、よろしくお願いします」
フランシスカと婚約する。
この聡明で控えめで、けれど好奇心旺盛な面を持つ女性が傍にいるようになるのだ。
たまらなくなって、エリアスは彼女の頬に軽く手を寄せ、逆側に顔を傾けつつ近づける。笑顔が驚きに入れ替わり、そしてすぐに恥じらいつつも瞼を閉じて神妙に待つ表情に取って代わる。
軽く唇を重ね合わせる。顔の角度を何度か変えつつ、口づけを繰り返す。
柔らかい感触、温かい体温、ほのかに漂ってくる彼女の身体の匂いが、エリアスの体内に火を灯す。じりじりと焼かれるのに後押しされ、唇の間を舌で割って中に潜り込む。舌を絡ませる感触に背筋が痺れた。
しばらくしてから身を引くと、フランシスカは俯いた。暗いバルコニーにあっても赤い顔をしているのが分かる。
離れがたく愛おしかった。
その気持ちのままに抱き寄せる。彼女の手がおずおずと背中に回されるのがくすぐったかった。フランシスカと抱き合い、ひとつになったまま、しばらくそうしていた。
エリアスは有頂天だった。
思えば、この時が一番の幸福にあったのだ。人面瘡を手放しても良いと思い込める女性が現れたのだから。
四度目の逢瀬はルシエンテス侯爵家のライブラリーへ招待したいと言うと、フランシスカは非常に喜んだ。出会った時、ダンスをしながら話したことを覚えているらしい。破顔する彼女にエリアスも嬉しくなった。




