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3-7

 



 富と永遠を象徴する黄金で縁取られた天井絵画やシャンデリア、貝殻や植物の葉の曲線を利用した装飾は優美な印象を与える。

 そういった内装を持つ王侯貴族の館とは対照的に、王都でも下町の端にある細民窟では物が饐えた甘酸っぱい臭いと薄暗さがこびりついていた。そういった場所では金のない労働者を相手にする女性たちが遊弋ゆうよくした。

「ああいうところではね、話がまとまれば路地裏の物蔭で始めますのよ」


 元いた高級娼館では働けなくなったパメラはエリアスの情報屋として働いている。様々な場所に入り込めるように、身なりを整えるために相応の資金を渡している。女性の身であるから危険な調査は任せられないが、そこら辺の見極めに関しては彼女自身が上手く行い、深入りすることはないだろう。

「女諜報員ですわね」

 格好良い、という言葉が付いてきそうな口調で言って、案外、性に合っているのではないかと思わせた。それは図に当たっており、頭の回転が速く世慣れていて胆力もある彼女にはうってつけだった。


 この時代、便利さと不便さが入り混じり、目まぐるしく世情が変わる。そんな中、情報の重要性を強く感じていた。知識量や認識力は人によってまちまちで、それだけに人の口から出る情報は変わりやすい。それらの背景を巧く読み取ることが情報を扱う者に課される。質の高い間諜を多く抱えることはエリアスとしても願ったり叶ったりである。


「エレナは新進気鋭と噂のデザイナーと婚約しましたわ。裕福な商人とは別れたみたいですわね」

 エレナは切り替えが早い。そうでなくては生きてはいけない。

 お金を持っていたとしても商人は随分年上だったものね、と言うパメラは聞きもしないことを報告されたエリアスが片眉を跳ね上げたのに赤く塗った唇の片端を上げた。


「必要なことを調べるついででしてよ」

 言いつつ、事あるごとにパメラはエリアスに流し目を寄越したり、しなだれかかろうとする。都度、躱しているが、仕掛けることを止めない。


 パメラは自身やエレナが客から貰った堕胎薬を調べていた。客の指示でエリアスの秘密を抜いて来る任務を失敗し、口封じをされる危険性があるため、高級娼館では働けなくなった。街角で客を探して彷徨うよりはまし、とエリアスの誘いに乗って手駒となった。自分は激情的な下町の女とは違うのだというプライドが透けて見える。


「堕胎薬はクライフから流れてきたものでしたわ」

 それがパメラからエレナの手に渡った。

「わたくしが渡さなくてもバルデム伯側の人間がエレナの客になったから、そちらからいずれは渡されたかもしれないですわね」

 以前、エリアスが通った娼館の妓女エレナに、アゴスト侯の陣営であるバルデム伯が子飼いを接近させた。人前にあまり出ないエリアスの内情を探らせようとしたのだろう。

「それにしても、しつこい奴らに睨まれたものですわね」

 牙を剥いてきても、どこ吹く風とばかりにいなしていれば、躍起になってしまった。


「ふむ。彼らの企みに不利益を被ってみるのも、この悪縁を断ち切る一手となるかもしれないな」

「これだから、お金持ちは」

 損して得取れ、少々の打撃を受けても、他でカバーできる財力を有しているからこそ言える科白で、パメラは呆れたような表情を浮かべた。


 以前、アゴスト侯の陣営がアルフレドの友人を取り込もうとした。けれど、件のクライフというのは外国の商人で不正に関与している。だから、エリアスと取引をするのなら手を切れと真正面から言った。良い大人がすることに容喙することはしないが、少なからず、アルフレドの友だという意識が働いた。アルフレドはエリアスが依頼する前からなにかと気を回してあれこれ調べてくれる。必要以上に慣れ合うことはしないが、気遣いには相応のものを返したいと思う。


 少し前まで、人嫌いの侯爵として外に出ようとしなかった。そのころの心理とは大きく変容した。その自覚はあっても、以前の状態に戻ろうとは思わなかった。煩わしいことももちろんあるが、良いこともある。


「君は賢い」

「あら、ありがとうございます」

「だから、自身の有能さゆえに引っかけられないとも限らない」

「ま、ご挨拶ですわね」

 褒めたと思ったら非難かと呆れた顔つきになる。くっきりとした相貌の美女は表情を転変させるが、それも様になる。

「クライフやカブレラ子爵には十分に気を付けろ」

 パメラは紅唇の両端を吊り上げた。単に注意を促しても右から左へ流されるだけだ。しかし自身の力を頼みにするところに隙が生じやすいと言われれば頷かざるを得ない。彼女の表情から得心がいったのだと知る。


 妓女は客から様々に情報を聞くことがある。事後の気のゆるみから、または、妓女の献身が金銭に対するものであるのに自身の魅力や自分への恋心からだと思い込む者は案外多い。だから、自分を知ってもらいたくなってあれこれ喋るのだ。

 その妓女を生業としていたパメラは客の言うことの真偽を測る目や耳を持っていた。なんなら、既に持つ情報も相当な価値があるだろう。それをしかるべきところに持って行けばひと財産築ける。


「それをしちゃあ、お終いですわよ。こういうのは喋られるかもしれない、という心理状態の方が強く出られないのでしてよ。話してしまったらそこまで。その後は恨まれて反撃されるだけですわ」

 そうなれば、遠くへ逃げ出す他はないという。


「まあね、田舎に引っ込むのなら、それでも良かったのですけれど」

 言いながら、エリアスに流し目をくれる。

「わたくしをどうしても欲しいというお方がおられましたからね」


 パメラはエリアスの手を取ってスカートの華やかな生地に隠された秘密の中へ導く。エリアスの瞳を見つめながら自身の太腿に押し付ける。早業だ。流石の手練手管だ。

 エリアスは動じず、瞳を揺らすことすらせず、静かにパメラを見つめ返す。

「あら、慣れてらっしゃるのね」

 面白がる風情なのは、もしかするとエレナから男女間のことに不慣れな高位貴族についてなにやら聞いていたのかもしれない。そこからあれこれに慣れたというのならば、返す言葉は決まっている。

「百花繚乱仕込みだ」

「ま!」

 呆れたのと一本取られたというのとがないまぜになったパメラは身体を引く。すかさず、手を取り戻す。

 フランシスカがいなかったら、うっかりその色香に惑っていたかもしれない。


 あれから、聡いパメラはエリアスの手袋について詮索することはなかった。もちろん、外そうなどそぶりも見せない。高級娼館の私室へ暴漢が乱入した時にすさまじい光が辺りを支配し、時間稼ぎをしたことにも言及しなかった。

「君の手腕には期待しているよ。経費は必要なだけ上手に使ってくれ」


 パメラが握る秘密とやらで客を巧く手玉に取りつつ、情報を得てくるだろう。それらは彼女が言うとおり、危険をも内包する。有用さと天秤にかけて、彼女の身の安全を保障することで情報を得る。中々に癖と個性の強い札である。使いどころが難しいところが難点だ。

「そのお金も情報も重要性を知りつつ、必要な時に放出するのに寛容なところが貴方様の美点ですわね」

 吝嗇りんしょくではなく、形のないものに価値を見出すことができる者は稀有だ。


「クライフは禁制品に関して一度は当局から取り調べを受けたから大っぴらに商うこともできず、ルシエンテス侯爵を釣り上げるためにわたくしに渡したのでしょうね。エレナに流れることを期待して。あの商人、相当なものでしてよ」

 クライフは性懲りもなく他にも禁制品を扱っているという。

「それだけじゃないですわ」


 クライフの調べを進めるうちに、隣国バルケネンデの貴族の影がちらつくのだという。

 きなくさい。

 エリアスが眉を顰めると、パメラは笑って見せた。

「もちろん、十分に気を付けますわ。それにね、アゴスト侯はクライフとつながりを絶っていないのはおそらく————いいえ、これは推測に過ぎないですわ」

 きちんと調べてから報告するという。

「無理はするな」


 ここで堪えきれずに力任せになぎ倒すか、柔軟に対応していくことを続けていくか、器量が問われる。もちろん、素早く判断して剛腕を振るうことが必要な時もある。けれど、強引な解決ばかりでは能がないことをさらけ出すに過ぎない。緩急付けたやり様が必要になる。

 そして、パメラも以前就いていた生業からそういったことの重要性は判っている様子で、エリアスのお手並み拝見という姿勢が窺える。

 有能な部下だからこそ、自分を使う者にはそれ以上を求めるのは当然だ。部下に力量を測られていることに癪に障るのではなく、価値を示して見せることに、やぶさかではない。


「ああ、それと———」

 パメラが掴んできた情報を聞いてエリアスは微笑んだ。百花繚乱の女性の園で働いていた彼女ですら頬を染めるほどの麗しさだった。

「それは有用な話だ。君と手を組むことができて良かった。わたしは本当に果報者だよ」

 そんな風に発破を掛けたり忠告するだけでなく、称賛することを惜しまないからこそ、パメラのような有能でありつつも他者の思うがままになりたくはないという意志強固な者からすら、この人の為ならと思い定められるのであった。



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