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3-6

 



 アルフレドがやって来たのでサロンで応対した。

 見るからにやつれており、疲労が取れるという茶を出すように指示する。

 夜会の後も精力的にあちこちに顔つなぎをし、新たな契約を取りまとめ、旧来の契約者と親交を深めていたのだという。


「そろそろ領地へ戻るよ」

 さぞかしぶどう畑が気になるのだろう。祖父は先に戻ったという。

「面倒事を全て俺に押し付けてな」

 顔をしかめるアルフレドに夜会で会ったロランドを思い出す。アルフレドから聞いていた通りの豪放磊落な人物だった。気にしない細かい事象は周囲の者たちが処理する羽目になる。


「流石はセブリアン前当主の後継」

「やめてくれ。それでなくとも、父や兄が神経質になっているんだ」

「君は伯爵位を継がないというのに?」

 言いつつ、こちらも夜会で既知を得た父兄が貴族らしくより良い伝手を得ようとしていたのを思い出す。その術をアルフレドが手にしていること、それが曽祖父や祖父から継承したものであることを不快に感じているだろうことは容易に想像できる。ようは嫉妬であり、欲している自分たちではなく、有効利用ができないと彼らが考えるアルフレドが受け取ったことが我慢ならないのだ。曽祖父や祖父がアルフレドが同じ志を持ち、譲っても良いと思えるほどに誠実で実力があるからこそなのだということには考えも至らない。ただ可愛がられた結果、易々と受け取ったとしか見ていない。


 アルフレドは明確な形にはなっていないものの、薄々分かっているようで、やりきれないという苦い表情を浮かべて茶を飲んだ。

「ああ。はっきり意志表明もしている」

 そうしてなお、地位を脅かされるほどにアルフレドは祖父や曽祖父の偉業を継ぎ得る者なのだ。

「大人物だな」

「俺が? 止してくれ」

 うんざりして背もたれに背を預け、顔を上向かせる。ざっかけない態度に、不平を持つどころか、気の置けない雰囲気を味わってエリアスは口元を緩めた。


「お疲れのようだな」

「そう言う君は浮かれているな」

 顎を上向かせたまま、目だけを動かしてこちらを見遣る。とんでもない行儀の悪さだが、気安さからくるものだ。なにより、エリアスは確かに浮かれていたので、寛容な気持ちになっていた。

「分かるか」

 脚を組み替え、口火を切る寸前、自然と笑みが唇に昇る。それを見たアルフレドは居住まいを正した。空気を読める男である。さすがは破天荒な祖父と長らく付き合って来ただけある。


「これを手放しても良いと思い定めることができる女性が現れた」

 軽く左手を持ち上げ、手袋の甲を掲げて見せる。

「惚れっぽいね」

 アルフレドが片眉を跳ね上げてそんな風に言っても気にならなかった。

「今までが女性とは縁遠かったから、その反動かな」

 それにしたとしても、のめりこんでいる自覚はある。フランシスカは敵対する貴族に連なる者だというのに。


 かいつまんで経緯を話すとアルフレド画真剣な表情をする。

「上手くやるさ。まずは男爵の借金の肩代わりだ」

 それがフランシスカの枷となっているのなら、まずは解放しなければならない。


「王立図書館にも足を運んで調べたよ」

 フランシスカが外国のことに興味を持っていることから、ふとアルフレドが遠い国の妖怪について話したことを思い出したのだ。

「その妖怪という概念がある地方では「外道を譲渡する」という手法があった」

「ほう」

 アルフレドが身を乗り出す。


「その家の「最も上の女子が嫁に行った場合」に、嫁ぎ先でその嫁にミコガミカサと呼ばれる瘡の形で現れるという」

 アルフレドがちらりとエリアスの左手に視線をやる。

「そう、瘡だ」

 エリアスはゆったりと笑みを浮かべた。


「神殿でも聖痕を尊ぶ。超自然の不可思議な力を持つものへの畏れというのは文化の違いがあるにしろ、どこにでも見られる。そして、それは徴となって現れる」

 アルフレドに頷いて話の先を続ける。


「そこで婚家先ではミコガミサマが来ているから祭り戻さなければならないと言って、「甘酒に色幣」をそえて実家に帰ってもらうという」

「アマザケ。酒の一種? お神酒か?」

「そう。色幣も力あるものへの崇敬を表したものだろう」

 それがあらばこそ、大人しく従ってくれるという儀式の類だ。


「ミコガミサマとは納戸を祭る神で、長女の嫁入先に現れるということは、実家での祭り手が不在になったことを暗示しているのだろうな。そこで一旦戻し、新たに祭り直すことを確認することによって、元に収まることになる」

「儀式で戻し、元に納める、か」

 説明の重要な部分を要約して口にしたアルフレドに、エリアスは唇の両端を吊り上げ笑みを深くした。事の肝要をよく抑えている。


「だが、それは女性の祀ることなのだろう? しかも主婦だ」

 嫁ぎ先とはつまりそういうことだ。

「女性がそういった役割を担ったということだ。とりあえず、そこら辺は置いておけ」


 エリアスは身軽に立ち上がってサイドテーブルから用意させていたワインとグラスを取り上げた。

 テーブルに置くと、アルフレドが封を切ってグラスに注ぐ。

「祝いだ」

「なんの?」

「君の再婚話の」

 グラスを掲げて見せると、アルフレドがぎょっと目を剥く。飲む前に告げたのは武士の情けである。きっと噴き出していただろう。目の前に座る自分に害が及ぶのを避けたという一面もある。

 耳が早いなと首を竦めるアルフレドを肴にワインを味わう。


「父や兄たちが身軽になったら次、とばかりに話を持ち込んできたんだ」

 そうは言いつつも、アルフレドはまんざらでもなさそうにワインを飲む。

「良いワインだな」

「セブリアン・ワインだからな」

 ワインボトルを眺めて自画自賛するアルフレドに、エリアスが苦笑する。


「詳細を聞いても?」

 アルフレドに先を促す。

「ああ。向こうも再婚だ。俺よりも少し年下と聞いたかな。しかし、ちょっと面白い話があるんだ」

「ほう」


 貴族の一門の男が病死したものの、妻を愛するがあまり、また、子がなかった無念から亡霊となって夜な夜な妻が横たわる寝台に現われたのだという。

 とうとう妻は懐妊した。事態に慄いた妻から事情を訊いた万事弁えた侍女が、寝台に立ちはだかって苦言を呈した。貞淑な女性であるのに、夫の死後すぐに子ができたと知られれば、とんだ醜聞になりかねないと。

 妻を深く愛する夫は亡霊になってもその事実は変わらなかった。いや、だからこそ、毎夜現われたのだ。侍女の言うところ、尤もしかりと納得し、それ以降は現れなくなった。妻もまた夫を愛していたため、この仕儀には泣き濡れて一時は侍女を責めたが、彼女が言うことが道理だと知っていた。


 語り終わったアルフレドに、エリアスはすぐに感想を述べるのを避けた。まず真っ先に思い浮かんだのは彼の父兄がアルフレドを厄介払いしようとしたのだということだ。

 アルフレドは由緒ある伯爵家の息子であり、大財産を築く事業部門を担っている。再婚とはいえ引く手あまたで選ぶ側の人間であるのに、同年代の子持ちの未亡人をわざわざ宛がう必要はない。それとも、よほどの有力貴族の一門なのだろうか。


 一方で、アルフレドの様子を見るに、愛情深い夫婦間に感じ入っているようだ。彼の最初の妻は浮気性で外聞を憚った。最終的には他の男の子を孕み、祖父や父が怒り心頭となって離縁させた。近しい肉親では、祖父母の一方通行の愛情のこともある。夫婦に関してあまり良い印象を持っていないようだ。だからこそ、互いが思いやっている男女に憧憬めいた感情を抱くのだろう。


「歴史ある貴族間には珍妙な習慣があると聞くが、単に晩産だっただけだろう」

「そうなのだろうが、貴族とはとかく醜聞スキャンダルが好きなんだ。ちょっとでも変だと思ったら面白おかしく話す」

「そうやって話を膨らませるのは新聞でも良く見かけるな」

 ふたりの話は次第に逸れ、ワインのボトルをすっかり空にした。


 アルフレドはこの後すぐに領地に戻ってぶどう畑を見回るのだと言った。

「すぐにまた王都に戻って来るんだがな」

 再婚話を詰めるために、父兄に強く言われているのだという。

「慌ただしいな」

「全くだ。そうだ、今度王都に来た時に、友人を紹介させてくれないか? 交易に興味を持っていて、手広くやりたいそうなんだ」

 アルフレドは引き続き、アゴスト侯やカブレラ子爵らについて調べておくと言って去って行った。


 アルフレドは後にこの再婚話を受け、新たに妻を娶る。その際、息子をも引き取って養育し、長じた後には血のつながった父親の家門を継がせたという。



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