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※本日三回目の更新です。

 ご注意ください。


 



 セブリアン伯爵家の三男のアルフレドは茶色の癖っ毛で、身長は少し高めというくらいだが、コートを着ていても分かる見事な筋肉の持ち主だった。前身ごろが盛り上がっている。

 同乗した馬車は広い部類なのだが、アルフレドがいるとやや窮屈に感じられた。そもそも、誰かと一緒に馬車に揺られるなど、最近ではないことだ。


「小さいころから畑や牧場の世話をしていたんです」

 セブリアン家は農業や牧畜業を広く営み、特にワイン造りで名を馳せている。アルフレドは曽祖父や祖父についてあちこち行くうち、あれこれ手伝ってきたという。


「ああ、セブリアン前々当主も前当主も領地を広く回られたと聞いています。御令孫もあちこちで可愛がられておられるとか」

「え、は、よ、よくご存知ですね」

 しどろもどろになるアルフレドはちらりとエリアスを見て慌ててうつむき加減になる。


「館に引きこもって誰にも会わないのに、ですか? 夜会に出ずとも情報の重要性は熟知しておりますよ」

 殊更笑顔を作ってみると、アルフレドはぽかんと口を開く。

「なにか?」

 意地の悪い気持ちで問うと、案に反してアルフレドは破願した。

「いや、聞きしに勝る美貌だなと思って」

 今度はエリアスが虚を衝かれた。

「それはどうも」

 エリアスはなんだか決まりが悪くて窓の外へ視線を移す。


「あ、あの、」

 意を決した風にアルフレドが口火を切った。

「ルシエンテス侯爵に謝りたいことがございます」

「わたしに?」

 エリアスは窓の方に顔を向けたまま、視線だけをアルフレドに移す。

「セブリアン伯の御子息に謝罪いただくようなことはございませんが」

 窓から差し込む茜色の光を受け、エリアスの相貌は冴え冴えとした。


「侯爵は覚えていらっしゃらないでしょうが、わたしは幼少のころ、父に連れられてご領地のカントリーハウスにお邪魔したことがあるのです」

 いや、覚えている。

 あれは二十年近く前のことだった。あのころはまだ両親がおり、エリアスはその庇護下にあった。


「貴族同士の交流の傍ら、同じ年頃の子供たちも、というところでしょうか」

「はい、そうです。少なくとも、茶会を主宰された前侯爵や父はそう考えていたのでしょう。わたしの他にも同じような年齢の子供が招待されていました」

 そうだ。

 そのころ、突発的な不幸が降りかかってきて、部屋にこもりがちになったエリアスに友人を作らせようと両親が茶会を開いた。


「そこで、わたしはその、」

「なにか粗相でもされたのですか? だとしても、そんな昔のことなど謝罪いただかなくても結構です」

 言いよどむアルフレドにエリアスは冷たく突き放す。


「ですが、わたしがその時言ったことが元で、」

 アルフレドは口ごもる。ちょうど、馬車が停車した。アルフレドの住居だというテラスハウスに到着したのだ。

 エリアスは内心ため息をつく心境で幕引きを行うことにした。

「わたしが化け物侯爵と呼ばれ始めた、と?」

 アルフレドは息を呑んで、ただただエリアスを見つめる。

 まあまあの顔立ちをしている。

 明後日なことを考えながらエリアスは微笑んだ。

 それは噂に違わぬ麗しいものだった。


 ———化け物!


 幼い子供の声が耳朶を打つ。

 茶会に集まった子供らは十歳にも満たない者たちばかりだった。しかも、ほとんどが男の子だ。貴族の子弟とはいえ、次第に集中力を途切れさせ、誰かが席を離れてうろつき始めたら、我も我もと動き回った。


 エリアスは必要に迫られて手袋をしていた。それがなにかの拍子に、そうだ、誰かの茶が掛かったかなにかして慌てて、近くにいた子供が外そうとした。抵抗しようとしたが、相手の方が早かった。

 そして、エリアスを化け物呼ばわりした。

 集められた子供たちはわっと蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。付添人たちのところへでも行ったのだろう。


 エリアスを化け物呼ばわりしたアルフレドの表情は驚愕と恐怖に歪んでいた。それが怖くて悲しくて、エリアスは自室に戻って寝台に潜り込み、延々と泣いた。

 アルフレドとはそれきりだった。


 それから長い月日が経ち、亡き父の爵位を継いだエリアスが社交界に顔を出さないことを気にしているのだろう。二十年近くも前の出来事を、覚えている者がいるとは思えないが、ルシエンテス侯爵に付きまとう噂の原因が自分にあるのだと思い、三度も手紙を書き、こうして謝罪をしているのだ。律儀なものである。


「分かりました。謝罪は受け取りました。では、ごきげんよう」

 エリアスは腕を広げ、御者が開けた扉を掌で指示した。

「あっ、あの! そ、そうだ、謝罪にぜひ、うちのワインを! チーズも美味しいです!」

 アルフレドは懸命に言い募った。エリアスは片眉を跳ね上げた。


 古より、ワインは神の血とも言われる貴重なものだ。ワイン製造の歴史は古い。学問が神殿の支配下から放たれて久しい。神殿の聖職者たちがほとんど独占していたぶどう栽培は徐々に開放されていき、今や目端の利く者たちが広く行う事業となっていた。


 セブリアン伯爵家は一歩も二歩も先に立ち、土壌調査、ぶどう畑の開墾、天候、あらゆることに精通し、質の高いワインを作るに至っている。

 伯爵家では王侯貴族が呑むワインとは別に、裕福な庶民たちにも手が出る商品を販売した。都市の発展とそれによる豪商の出現により、財力を持つ者が台頭し始めたとはいえ、少々裕福だという者たちの手に届くものを広く扱ったのだ。中には、日々の生活に汲々とするも、祝いや特別な日にセブリアン・ワインを購入するのを楽しみに励む。

 伯爵の家名は貴族の中だけでなく、庶民にも広く知れ渡ることとなった。

 ぶどう畑を開墾すると同時に、豊かな牧草地で牧畜を行い、加工物を作ることにも力を入れた。チーズやバター、加工肉が作られ、ワインと共に多くの者たちから愛好されている。


「上手い商売の仕方だ」

「お詳しいのですね」

 褒められて恐縮する目の前の男は、頑強な肩を縮めてはいるも、伯爵家の今日のワイン製造や酪農の仕組みを領地に浸透させた曽祖父、祖父と共に事業に取り組んできた。


「曽祖父が樽詰め一辺倒からコルク栓と瓶詰めを考案したと言われていますが、それは違います。もっと先の時代に発明されていました」

 それは革命を起こしたに等しい。これによって流通量が飛躍的に高まったのだ。瓶とコルク栓が運搬と品質保持を劇的に改善させた。

 ただ、それを行ったほどの人物ではないかと錯覚させ得る者であった。


「ワイン製造に関してはセブリアン伯爵家は群を抜いていますから、そのくらいの実績を残されたと認識されているのでしょう。セブリアン伯の御子息はその事業を前当主と共に手掛けられておられるとか」

 爵位は当主が死去してから次代に継承されるのが一般的だが、前セブリアン伯は破天荒な一面があった。次第に大きくなっていく事業と当主の務めを全うすることの両立は難しいと見るや、息子に爵位を譲った。社交は息子にゆだね、自身は事業に専念した。


「その前当主がもっぱら事業を手伝わせているという御令孫が美味だというワインとチーズだ。ぜひとも賞味したいですね」

 アルフレドは顔を輝せながら中へと誘った。

 狭く整頓が行き届かないが、と言う表情からは喜びや好意といったものしか見受けられない。

 エリアスは不可解に感じた。自分を化け物呼ばわりしたことを覚えてはいても、その原因となったことは忘れているのだろうか。


「いえ、わたしは噂通り、あまり人前に出ないものでして」

 アルフレドが見間違いや勘違いだったと思っている可能性もある。ならば、これ以上接触する時間を増やすこともない。


「あ、で、では、このまましばらくお待ちください。すぐ戻りますから!」

 言って、アルフレドは慌てて飛び出していった。

 止める間もなく、テラスハウスに駈け込んでいく。扉を開いて控えていた御者も話を聞いていた。すぐに馬車を出すことなく、一旦、扉を閉めて待つ態勢だ。


「調子が狂う」

 エリアスはため息をついた。

 あれ以来、人との付き合いはほとんどしてこなかった。使用人たちや事業の代理人とやり取りするくらいだ。この先、代理人では済まず、自分が出て行く必要に迫られる場面もあるだろう。その時のためにマナーをもう一度学びなおす必要があるか、などと考えていると、アルフレドが戻って来て、御者に声を掛けているのが聞こえてきた。

 アルフレドはもう一度話をさせろと要求することなく、礼儀正しく見送るつもりであるようだった。


 エリアスは馬車の扉を開かせると挨拶を述べた。

 うす暗い車内に、扉が開かれた分だけ夕日が差し込み、侯爵の美貌に陰影を作る。よく見える部分と隠された部分、見える側があまりにも美しく、隠れたところがあるからこそ、気を引く。エリアスはただ居ながらにして、視線を、関心を釘付けにした。





近世、貴族の多くは都市ではテラスハウスという集合住宅に住んでいたそうです。

それでも、お金持ちならば内装はキラキラしていそうですけれどね。


ちなみに、ルシエンテス侯爵家のタウンハウスの敷地は広く庭付きです。

格差社会・・・!




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