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3-5

 



 エリアスは新しい恋に純粋に溺れるわけにはいかなかった。

「カハール男爵を調べてくれ」

「旦那様、わたくしは従僕にございます」

 エリアスのふたりいる従僕は兄弟で、共にまだ年若く、主よりも少し年上という年齢であった。ルシエンテス侯爵家の家宰がエリアスが不幸に見舞われた際にその秘密を守るべく、教養と共に護衛としての力を育て上げた強者たちだ。アゴスト侯との因縁ができてからは危険を伴うために調査を任せていたが、二度も襲撃されたことから、本来の役目を果たすべく、外出には常に同行している。


 そのため、セブリアン家の夜会にもすぐ傍に控えており、フランシスカのことも知っているため、話が早いとばかりに依頼したところ、素気無く断られてしまった。

 使用人らしからぬ言動ではあるが、それだけ、自身を傍から離した際に一度ならず二度までも主が危険に晒されたということを許容できないでいるのだ。

「度重なる不手際、家宰様や弟に叱られてしまいます」

 そうまで言われては致し方ない。


 他の人間を使ってカハール男爵を調べさせると、思わしくない報告を受けた。

 男爵家では領地での収益が思うように上がらず、方々で借金をしていた。それを少し前に一本化している。その相手こそがアゴスト侯である。


 フランシスカがそうと知っていて、更に言えば父親を通してアゴスト侯の指示によってエリアスに近づいたとは考えたくない。名乗った際の驚きはエリアスが誰だか知らなかったと如実に語っている。ただ、ルシエンテス侯爵の名は聞いているのだろう。父親からかアゴスト侯の手の者からかは知らないが、友好関係にある陣営の者ではないという認識を持っているのは確かだ。


 まだ、始まったばかりだ。今なら、諦められる。失恋の痛手も浅く済むだろう。

 そう思いつつも、次に彼女に会うことを楽しみにしている気持ちが明確に存在していた。


「こんなに簡単にカハール男爵との繋がりを露呈してくれたことに感謝すべきか、もっと上手く隠してくれと言うべきか」

 分かっていても諦めきれない自身に呆れるべきか。

 それでも、秘密を抱えて難儀していた自分に親身に助けてくれたのは使用人たちであり、彼らの心根を褒めてくれたフランシスカの価値観は自分と近しいものだと感じる。


 約束した日、コーヒーハウスの個室に現れたフランシスカは上半身の線がくっきりと分かるローブ・ア・ラングレーズを身に着けていた。大きく開いた胸元を品よく白いフィシューというスカーフで覆っている。


 案内の給仕が去って行くと、エリアスはまず夢見が悪いと言っていたことに触れた。

「ただの夢とは思いますけれど、その、ここずっと続きますのよ」

 フランシスカが硬い表情なのは夢のせいなのか、エリアスが敵陣の者であるからか。


「夢というものは心の中を表すこともあります。よろしければ、話してみませんか」

 喋ってしまえばすっきりするかもしれないと重ねて進めたエリアスに、フランシスカはためらいながら口を開いた。

 悪夢を見て、悪いことが起こるのではないかと怯えていた。徐々に明確に覚えてもいない悪夢に捉われ、恐れるようになった。

「朝起きたら、汗でぐっしょりですのよ。とても疲れていて、息も切れておりますわ」

 そして、とても怖いという気持ちが強く残っていて、心臓が早鐘のように打っているのだという。


 話す間にコーヒーが運ばれてきて、まずはその香りと味わいを楽しむ。

「美味しい」

 思わず、という態でフランシスカの唇から感嘆が漏れる。

「それは良かった。ああ、これが言っていた外国の新聞ですよ」

「まあ、これが!」

 前もって店に用意しておくよう依頼していた目当ての新聞を見せると、萎れていたフランシスカは精気を幾分取り戻した。元は心も体も健康的で興味のある分野に積極的な女性なのだ。


 エリアスはコーヒーカップをソーサーに戻しつつ脚を組んだ。

「見ている夢が夢だという認識を持つことです」

「そんなこと、できますの?」

 目を丸くするフランシスカに微笑んだ。

 悪夢を見ると言っていたから、ルシエンテス侯爵家が誇るライブラリーで前もって調べて来たのだ。

「訓練をすればある程度は可能ですよ」


 まずはなんらかの事象を書いたメモを用意する。寝る直前にそれについておさらいをする。枕に頭をつけたら、その事象の明確なイメージを持つ。眠りに落ちる際、そのことについて夢に見たいと念じる。目が覚めた時、すぐに起き上がらないで、出来る限り夢のことについて思い出し、内容を書きだす。


「そのなんらかの事象ですが、フランシスカ嬢の場合、外国の異文化やそれに類するものが良いでしょう」

「まあ、それならできますわ。いつも色々考えておりますもの」

「そうですね。まずは楽しいことをやってみるのが一番でしょう」

「ありがとうございます。希望が持てますわ」


 そうやって今見ているものが夢であるという自覚を持つことで、不安の対象から距離を置くことができ、客観視することができるようになる。


「これを明晰夢と言います。寝る前にこのイメージ訓練などをすることで、夢の展開をコントロールすることも可能だと言われています」

「そうなのですね。わたくし、夢とは夢占いや神霊のお告げとばかり思っておりましたわ」

 流れるように説明するエリアスに、フランシスカは感心してため息をついた。


「夢占いも馬鹿にしたものではないのですよ。迷信のようなあやふやなものではなく、心理状態を測るものです。夢の中に登場した印象の強いものをシンボルとして解釈します。夢のお告げなどは芸術家などがインスピレーションを授かることもある」

「目覚めた時に新しい楽曲が出来上がっているとか、でしょうか?」

「実際、そういった音楽家もいたそうですよ」

 不安を取り除かれたフランシスカはすっかりエリアスを信頼している表情を見せた。エリアスは脚を組み替えた。


「ところで、お父上のことですが」

 本題を切りだすと、フランシスカはぐっと背筋を伸ばした。肩にやや力が入りすぎている様子だ。

「わたしは貴女のことを好ましく思っています。貴女も恐らく、わたしのことを憎からず思ってくださっているでしょう」

 眇めた目にはエメラルドの光が凝縮される。フランシスカは吸い込まれそうな面持ちで見つめる。

「それは、」


「カハール男爵領の現状は聞き及んでおります」

 フランシスカはしんなりと眉尻を下げる。聡明な彼女の事だから、家門の経済状況に疎い一般的な婦女子とは異なり、現状を理解しているのだろう。


「出会ったばかりのわたしの言葉は信ぴょう性がないでしょうが、アゴスト侯は禁制品に手を出したり、強引な契約を推し進めたりと、あまりよくない噂が頻々とあります」

「存じておりますわ」

 短く言って唇を固く引き結ぶ。

「父の借金も、かの侯爵の息がかかった者からのものでしたの」

 その様子から、借金の一本化もカハール男爵を追い込むためのものであることを知っているのが窺われる。

 父親を窮地に立たせる相手であるからか、アゴスト侯に良い印象を持っていないのがありありと分かる。


 後に、エリアスはこの時、性急に事を進めず、もっと彼女の話を聞くべきだったと後悔した。だが、素晴らしい女性と出会い、その女性が敵対勢力とつながりがあると知った落胆から反転、それを良く思っていないという事実が輝かしい希望に思われた。それに飛びついた。


「単刀直入に言いましょう。わたしがカハール男爵家の借金を肩代わりします。結婚の支度金として」

 一般的には妻が持参金を持って結婚するものである。

「そ、そんなことが、」

 流石に父親に面と向かって借金額がいかほどばかりかとは聞けないようだ。ただ漠然と莫大な金額なのだろうと当たりを付けているだけなのだろう。


「若輩ではありますが、ルシエンテス侯爵家は事業を手広く行っておりましてね。借金を棒引きしてもライブラリーの書物を減らす必要はありませんよ」

 困窮して家財を売ることはないと言うのに、わずかに唇を綻ばせる。エリアスにとって書を手放すことは最後の手段だというのが分かったのだ。そして、彼女も似たような価値観であることも、エリアスも見て取れた。


「君が真実、わたしを愛しているというのならそうする覚悟もあります」

 エリアスは麗しく笑う。


「少し……少し、考えさせてください」

 唇をわななかせてようようそう言う。

 フランシスカからしてみれば、父親が借金をしている相手が敵対視する者から差し伸べられた手だ。取って良いかどうか、躊躇するのは当たり前だ。視野狭窄に陥らず、実に冷静で聡明な女性である。


「お父上とよく相談されると良い」

 約束のキスを交わし、至近距離で見つめ合う。彼女は確約した。

「そうしますわ」


 フランシスカはきっと約束を守ろうとするだろう。それが頼もしく、嬉しかった。

 財産なぞ、失ってもまた作れば良い。

 フランシスカという類稀な女性を手に入れられるのなら、全く惜しくない。そして、また、彼女の傍にいるためなら、この人面瘡を手放しても良い。

 エリアスはそう思い定めていた。


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