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3-4

 



 アルフレドも交友関係が広い。あちこちから声を掛けられるのに、適当に見回った後に帰ることを告げて別れた。

 アルフレドの友人らは傍らにいるルシエンテス侯爵にぎょっとしたり頬を染めたり羨望の眼差しを向ける。いつぞやのようにその輪の中に加わっても良かった。アルフレドの友人らは才気煥発な者も多く、有意義な会話を楽しめるだろう。

 ただ、なんとなく、人の目が煩わしく、気分が乗らなかった。話し始めれば会話を楽しむ術は持っている。


 ふらりと大広間を歩いていると、人の合間に美しい青地の布が翻った。

 そちらへ視線をやると、ゆったりしたマンチュア・ドレスが目に入る。柔らかい落ち着いた青味の絹タフタに銀糸で大ぶりの植物柄を描く生地は上品な光沢を放っている。ガウンの両サイドを後腰にからげ、ガウン後部にトレーンが長く引き、豪華さを醸している。

 その生地の美しさ、仕立ての見事さに見とれた。エリアスは周囲を観察しつつ、特定の場所、物、人に視点を長くとどめ置くことをしなかった。だが、少しばかりそのドレスに気を取られた。ふと着用した婦人がエリアスの方を向いた。


 生命力に富んだ瑞々しいエメラルドの瞳と優しい薄青の瞳が交差した。


 衝撃が眩い光となり、その人の輪郭を浮かび上がらせる。

 金色の髪をまとめあげ、ほっそりしたうなじを見せている。張りのある艶やかな肌、若々しくふっくらと盛り上がった薄桃色の頬、通った鼻筋にやや先が潰れ気味の鼻が愛嬌を加える。両端がきゅっと持ち上がる唇から白い歯が零れて見える。


 エリアスはなにかに衝き動かされるように、その女性に向かって自然と脚が動いた。

「こんばんは。良い夜ですね」

「え、あの、こんばんは」

 唐突に声を掛けられてまごつく様も初々しい。

 エリアスは努めて柔和に見えるだろう笑みを浮かべた。礼儀正しく距離を取りつつ、ひたと見つめて捉えて離さない。


「素晴らしいお召し物だ。わたしの青の衣装と合いますね」

 カップルが衣裳を揃えたり、互いの保有する色、髪や瞳と合わせるのが流行っていた。見れば、近くに同伴者がいるのではないらしい。恐らく、身内と一緒に来て、相手はどこかへ行ってしまったのだろう。夜会は男女ともに伝手を作り情報を得る大切な場所だ。貴族の役目というものである。

 となれば、彼女は自身の薄青の瞳の色に合わせた衣装を身に付けているのだろう。そこまで瞬時に判断した。


「一曲躍って頂けませんか?」

「実はその、」

 言いにくそうに、けれど正直に話した。

「このドレスは夜会に出席するために借り受けたのです。靴も」

 だから、着慣れなくて、と率直に話す様は好ましかった。

 靴は絹ダマスクス織で甲で止めるリボンやカーブしたヒールが優美だと人気がある型のものだ。これほどの小物や衣装を、身内が用いるのではなく、貸すことができる財力と彼女に見合う物を用意できるセンスに舌を巻く。

「そうなのですか? 今日の貴女のためにあるような装いですね」

 心からの称賛に、女性は頬を染めてやや俯き加減になる。


 止まっていた音楽が新たな曲を奏で始める。すかさずエリアスは手を差し出した。

「ちょうど始まりました」

 促されるようにして、おずおずと手を出す。見知らぬ男性に喋りかけられた緊張か、はたまたこの場の誰よりも麗しい容姿のひと目で高位貴族だと分かる様子に気後れしているのか、指先がひんやりしている。優しくエスコートしたいという気持ちにさせた。それに気を取られて、左手が彼女の手と重なったことも強く意識しなかった。


 音楽に乗って身体を動かす。彼女は戸惑いが身を硬くするようなので、まずは気持ちをほぐすように、慣れるまで歩調を狭めて同じ場でゆるゆると動くようにした。

 周辺各国の影響を受け入れながら、華々しくきらびやかに宮廷の権威を高める音楽だ。均整の取れた緻密な音楽の瑞々しい音色に、彼女の身体は次第に切れ良く動き出した。


「ヴァイオリンやそれに類する音も良いですが、オーボエやフルートのような管楽器も好きです」

「柔らかな音色ですものね。室内音楽を楽しまれますの?」

 当時は貴族はこぞって自身のサロンに楽師を抱えた。ルシエンテス侯爵家でも以前はそうしていた。けれど、今はタウンハウスもカントリーハウスも極力人を減らし、ひっそりしている。

「いいえ。楽団の類は持っておりません」

 知られたくないことがあるから、他者を身近に置こうとはしない。偏屈に思われるだろうか、と危惧するとすぐにフォローの言葉が告げられる。

「静寂を好まれますのね」

「ええ、書物は沢山ありましてね。とうとうライブラリーに収まりきらなくなったので、ロングギャラリーに書架を配置しました」

 元々、ロングギャラリーにはルシエンテス侯爵家の家格に相応しい美術品が飾られていたが、隅に追いやられるのではなく、配置を変え、書架と共に見事に収まっていた。


「素晴らしいわ。ロングギャラリーで一日中過ごせそうですわね」

 彼女も本が好きな様子で目を輝かせる。

「書物は全くの別世界を教えてくれる素晴らしいものですわ」

「同感です。ロングギャラリーの書架配列を眺めているうち、いつの間にかいくつか引き出していて、時が経っていました。翌日には居心地良い椅子やテーブルが置かれていましたよ」

「まあ、気の利く方がおいでなのね」

「いつも助けられています」

 本当に至らぬ主を良く支えてくれている。

 貴族は身分が低い者に慈悲を掛けても感謝することがない者もいる。感謝したとしても、使用人の能力を認め、更にはそれが自分が持ち得ないもの、つまりはある部分では自分よりも優れているという点を理解しない者がいる。


「万能な人間はおりませんから。わたくしもドレスの着付けをしてくれる使用人がおりませんでしたら、今日ここにおりませんでしたわ」

 彼女はどうやら身分が違ってもその能力を正しく評価することができる者のようで、大変好ましく感じた。


「それは貴女の侍女に感謝しなければなりませんね」

 エリアスが微笑みかけると、彼女のふっくらした下唇がわずかに下がり、うっすら口を開ける。つと流れ切れ上がる眦、幼さの残るまろやかな頬がほんのり色づく。


 清楚な風情をもっと眺めていたかったが、音楽は終盤に差し掛かっていた。

「ああ、音楽が終わってしまいそうだ。残念です。このままずっと貴女と踊っていたかった」

「わ、わたくしも貴方様ともっとお話したいですわ。でも、少し休みたいです」

 初めにひどく緊張していたせいか、彼女はふらつく。さり気なく手を貸し支えると、感謝を込めて笑いかけてくる。だから誘いやすかった。

「おや、お疲れでしょうか。飲み物をもらって休憩しましょう」


 壁際に置かれた長椅子に並んで座って書物について話す。

 彼女は周辺諸国について興味を持っており、エリアスはそれら異国の文化が生み出した商品を取り扱う事業について話すと興味深そうに聞いた。互いに向き合うのではなく、斜めに身体を傾けて語り合うので、随分距離が近い。彼女のすっきり尖った顎が軽快に動き、そこから発される小気味よい言葉はいつまでも聞いていたかった。


「ああ、すっかり話し込んでしまった。お引き留めしてしまったのでは?」

「いいえ、とんでもありませんわ。わたくしの方こそ、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。あの、それで、先程の、」

 自分から約束を確かめるのに、恥じらいを見せる。

「コーヒーハウスですね。ぜひご一緒しましょう」

「外国の新聞まで置いてあるなんて、素敵だわ」

 彼女の言葉に耳を傾けるうち、外国文化に興味があるのならと持ち出したら手ごたえがあったのだ。未だコーヒーハウスは貴族の子女ひとりでは行きにくい。男性同伴であれば目をつぶられる風潮にあった。


「数か国語を読み書きできるとは、才女でいらっしゃる」

「そんな。わたくしなんて、片言でしか喋られませんのよ?」

 彼女は刺繍のような古き良き貴婦人の習慣よりも語学や異国文化に興味を持っており、勉学に励んでいた。それを善しとしない者も多いだろうからか、恥ずかし気にした。


「話がどれも興味深く、申し遅れました。わたくし、カハール男爵の娘フランシスカと申します」

 名乗られて初めてまだ自己紹介し合っていないことに気づいた。

「わたしはエリアス・ルシエンテス。侯爵位を頂いています」

「あなた様が……」

 フランシスカは驚愕のあまり、目を見開いた。

 青ざめた表情は、新しい恋に浮かれていたエリアスの印象に強く残った。

 ふらつくフランシスカを心配すると、夢見が悪かったのだと力なく笑った。

 手を取ってエントランスまで送る。


 フランシスカは馬車に乗る寸前振り返ってす、と手を伸ばしてきた。避けることはできたが、エリアスはそのまま留まった。頬に指が触れる。彼女は親指を横へ滑らせる。頬骨をつうとなぞるその感触に背中がぞくりと震えた。



恋愛ジャンルなので、別れたら次が必要です。ええ。(身も蓋もない)

本作は短めで展開を早く、ということを目標にしましたから、

早い段階で登場させないと!

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