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「その条件とやらがわたしがセブリアン伯主催の夜会に出席するということなのか?」
「そうなんだ。もちろん、断ってくれて構わない。爺さんの方は俺がなんとかする」
ルシエンテス侯爵家のサロンで主であるエリアスとテーブルを挟んで座しながら、アルフレドは恐縮しきりだった。祖父がとんでもないことを言いだすのはいつものことだが、今回はまたすこぶるふるっている。
アルフレドはまずはエリアスが送ってくれた見舞金と人手、物資の礼を言い、セブリアン伯領のぶどう畑はなんとか小康状態を保っていると話した。そして、厄介なことは早々に片付けてしまうに限るとセブリアン伯主催の夜会のことを説明した。
「どうも、今回の害虫病のことで迅速に力を貸してくれたことに感謝しているらしくてな」
どうしても、一度会って礼を述べたい、だから、ルシエンテス侯爵が出席するなら自分も夜会に出ると言い張ったのだそうだ。
父も父だ。
そんな戯言を真に受けてアルフレドにルシエンテス侯爵への招待状を託したのだから。アルフレドがなだめすかして出席させれば済む話なのである。
「それだけではあるまい」
エリアスが唇に愉悦を刻んで言う。
「というと?」
「可愛い孫が最近、噂の人嫌い侯爵と仲良くしているから、気に掛けられたのだろう」
そんな風に言いながら、エリアスはティーカップを優雅な仕草で持ち上げた。華奢な持ち手を掴む姿は一幅の絵のようだ。アルフレドが訪ねて来ると、珍しい茶葉とやらで茶を出してくれる。香りが果物や花、チョコレートといった多様なもので、ひそかに楽しみにしている。コーヒーハウスにもひとりで何度か足を運んでいるようだが、館では紅茶党なのかもしれない。単に、取り扱う商品の試飲をしているだけかもしれない。
「可愛いねえ。だったらもっと言うことを聞いてほしいものだが」
「それはそれ、これはこれ、ではないか?」
身も蓋も無い言い様に、一瞬言葉に詰まる。
「君、最近、爺さんのことに理解が及び始めているようだな」
ようようそう言うと、エリアスは笑みを深くした。
「面白い御仁だからな。わたしとしてもぜひ一度お会いしてみたいところだ」
「え、じゃあ」
「伺おう」
言って、テーブルに置かれた招待状を手に取った。窓から差し込む光が白い封筒を浮き立たせる。その封筒を開けるエリアスはより一層眩い。優美な姿の輪郭を光が包む。高い鼻、伏せ気味の長いまつ毛が滑らかな白い肌に陰影を作る。何気ない動作一つひとつが典雅である。
「他の機会を作ることもできるぞ?」
「そうだな。だが、折角のご指名だ」
卓越した容姿だけでなく巧みな話術を持つルシエンテス侯爵は広大な領地の各地を活性化させている成功者であるのに、社交界には顔を出さない。以前、一度とある公爵主催の夜会に出席し、アルフレドと親しく言葉を交わしたために知遇を得ていると知れ渡り、侯爵と誼を得たい者たちからこぞってつなぎを取ってくれと言われた。
「また、窓口業務が増えそうだ」
出席してくれるのは有難いが、やはりエリアスと既知を得るにはアルフレドを通すのが早道だと思われかねない。
「セブリアン前当主で慣れているだろう?」
当の本人は悠々と茶を楽しんでいる。
「あの大変さが二倍になるのだぞ」
辟易するアルフレドはふと思い出して妻と離縁をしたことに触れた。
「手紙にも書いたが、結局はそういうことになった」
アルフレドは全く気にしていなかった。逆に気にしなさすぎていることを気に掛けていた。
「あまりに情のないことだからな」
あっちにもなかったのだが。
エリアスはこういった時、どんな風に振る舞えば良いか分からないのだろう。貴族的に表情を取り繕っていた。
「ああ、気にすることはないぞ。貴族間の結婚だからな。父も次につながりを持ちたい家柄の婦人を見繕っているところだ」
最近、エリアスと親しくしているから、自分を足掛かりに近づこうというような女性でないことを祈る。そんなことはおくびにも出さずに、最近では領地内の農場や牧場でも後継ぎがいなくて困っているという話をした。
「自然の脅威を相手にする一筋縄ではいかない仕事だからな。重労働だ。それより、都会で一獲千金を狙う方が良いという若いやつは案外多いのさ」
それでも、離農者が問題にならないのは前領主と現領主の息子が定期的に見まわるからだろう。人は気に掛けられ労われ、苦労を共にすれば、少々の不満は呑み込める。それよりも自身の苦境に無理解や無関心でいられる方が辛い。承認欲求の一種かもしれない。
「どこでも後継問題はつきまとうな」
エリアスの言葉に強く同意した。
仮に祖父が死去した後、現セブリアン伯、つまり父や次期セブリアン伯である兄が現状を把握し、ワイン事業の功労者であり要でもあるアルフレドを重用するかといえば、懐疑的である。アルフレドが曽祖父や祖父と共に築き上げてきたものは目に見えない物も多い。そして、広く浸透している。それがあるからこそ、セブリアン伯領では農業や酪農業で成功している。逆に言えば、それを失えば今ほどには収益は上がらない。
アルフレドの父兄はそれを理解しないだろう。エリアスへの夜会の招待状を寄越した父の様子を思い返しながら苦笑した。
「父やその弟妹を育てた祖母は祖父を深く愛していたからな。その祖父を奪ったワインや事業全てを憎んでいるのさ」
その薫陶を色濃く受けたアルフレドの父は農業や酪農業を理解していないどころか、重要性すら鑑みない。
「愛は人を狂わせる」
エリアスが言うと月並みな言葉も詩的な響きを帯びる。
「全くだ」
アルフレドは身近に見聞きし、なんなら自分にも影響が及ぶ事柄に深く頷いた。
そして、エリアスの言葉は自分へと返ってくる。今はまだ、ふたりにはあずかり知らぬことだった。




