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2-12

 



 ぶどう栽培は日照時間、水はけの良さやなどの様々な条件が必要となる。施肥や灌水の他、剪定なども必要になってくる。

 どれだけの労力を注いでも、自然の脅威がつきまとう。強風や雹、それらによる低温は無核果を引き起こし、高温の日が続くと果粒が十分生長しない。

 そして、虫による病の発生もある。被害は広範囲に及びぶどうの樹は枯死するに至る。


 セブリアン伯領のぶどう畑でこれらの病状が急激に広がり、アルフレドとセブリアン前当主はその対応に追われている。エリアスは見舞金を送った後、事態がすぐには収束に向かわないことを知り、追加の資金と物資と人手を手配する。貧困層で職にあぶれている者たちを集めた。一時的な職だが、ないよりましだ。無論、雇用主はルシエンテス侯爵家であり、賃金もそこから支払われる。

 アルフレドに相談したかったが、それどころではないだろう。突然人や物資を送られても戸惑うかもしれないが、彼ならば上手く差配するだろう。


 時を同じくして、エリアスはエレナの身柄を買い取り、ルシエンテス侯爵家の別棟に案内した。

 ところが、晴れて自由の身となったエレナは恋人となったら変心し、途端に詮索がましくなった。

 あのエリアスにうっとりと触れた手指を離す時の名残惜し気な仕草は、甘く切ない媚態から、力が入り過ぎた決して逃さじという荒々しいものとなっていた。一旦懐に入り身内のような感覚となっているからか、粗雑で趣が乏しくなる。

 エリアスも馴染んだことからくる寛ぎや、気の置けない様子になったのだと思おうとした。


 しかし、ふたりは決定的に育ちが違った。エリアスは貴族の子弟として、常に他人の目にさらされるという価値観の中にあり、礼儀作法は呼吸と同じく身についている。

 ふたりの間にある相違を興味深く思うに至らなくたらしめた決定的なことがあった。


 自由の身となり、エリアスの恋人となったエレナは、手袋のことを言及したのだ。

「それ、つけたままでするの?」

「ああ」

「貴方に直接触れられたいわ」

 手袋越しではなく、と耳元で囁き、柔らかい唇で耳たぶを食む。

 華奢でありながら必要な個所はたっぷりと柔らかい身体、それが近くにあるがゆえに伝わる体温、香しい体臭、全てはエレナの武器だった。


 ただし、彼女の発言が逆鱗に触れたことを機に、それらは全てひっくり返り、嫌悪を与えることになる。今まで百戦百勝であった高級娼婦であるエレナには知り得ない事柄だった。


「どうしたんだ? 今までそんなこと、言い出さなかっただろう?」

 そっとしなだれかかるエレナから距離を取るエリアスの声音に、驚きの他に冷ややかな感情を読み取る。焦慮を面には出さず、ふたたび距離を詰めつつ、上目遣いになる。こうすることで相手が自分よりも小さく力なく、頼りなげな存在なのだと意識づける。人間、弱い者には寛容になれるものだ。


「そうだけれど、今は恋人よ? いつまでも布越しだというのは寂しいわ」

 哀し気に目を伏せれば、エリアスは躊躇する風を見せる。少なくとも、エレナは沈黙の中に言いよどむ雰囲気をそう読み取った。

「そうだ。じゃあ、こうしましょう。まずは片方だけ取ってみるの。ね? 少しずつ慣らしていきましょう」

 言って明るく笑い、エリアスの両手を自身の両手で軽く取った。

 だが、素早い動きでエリアスは身を引き、手を取ることはかなわなかった。


「もう! どうしてそう嫌がるのよ? もしかして、古傷が残っているとか?」

「まあ、そんなところだ」

「あら、わたしはそんなの気にしないわよ」

 今まで訪れた客の中には軍人もいた。体中に酷い傷跡があるものがいた。初めは衣服を着たまま事に及ぼうとしたが、最終的にはエレナに傷跡を優しく撫でられることを好むようになった太客だ。エレナを娼館でトップに押し上げてくれるほど金銭を落として行ってくれた。感謝するとともに、男の気にすることを許容し褒め自信をつけてやれば、こちらに心が傾くのだと学ばせてくれもした。


 だから、エリアスも気にする必要はない。どれほど醜い傷が残っていても、労わり、撫でさすってやる。そうすることで、巨万の富と美しさ、知性といった多くのものを持つルシエンテス侯爵が手に入るのならば、容易なことだ。そう、これだけ美しいのだから、ちょっとくらいの醜さでも、大いなる欠点に思えるのだろう。持たざる者からすれば、随分甘いことだが、貴族なのだからそういうものなのだろう。常に自分が優位になければ気が済まないのだ。

「両方ともなの?」

 言いながら、ふたたび手を手袋に伸ばそうとした。


 エリアスは麗しく笑った。しかし、そこにはこれまで見せていた甘い艶はなく、冷ややかで身を竦ませるものであった。



 結局、エリアスは執事の進言を受け入れ、エレナと別れることにした。

「旦那様、彼女は左の御手の秘密を一緒に抱えていく胆力のない者だと見受け致します」


 久々にルシエンテス侯爵家を訪ねて来たアルフレドを迎え入れたサロンでエリアスは苦笑する。

「別れるのは大変だった。最終的に、テオを随分わずらわせた」

 有能で万事弁えた執事テオが采配を振るった。


 エレナはルシエンテス当主の妻の座を得ようとするのなら、あの薬を用いるべきではなかった。子を孕んでしまえば、消極的にであろうと受け入れられただろう。

 ルシエンテス侯爵は人前に出たがらないのだから。子を持つ機会など千載一遇だ。他のどの貴族よりも有効な手段だっただろう。


 エレナがいた娼館を紹介したアルフレドは随分散財させたと申し訳なさそうにする。携えてきたとっておきのワインを見て、侯爵は麗しく笑う。

「君がいなかったら、そもそも、遊びをしてみることもできなかったからね。それにこのくらいの支出は散財とは言えないよ」

 その財力に閉口する。エリアスは少なくない見舞金をセブリアン伯領に出している。人でも物資も大変ありがたく、そのお陰で現在は小康状態を保つことができている。祖父からくれぐれも礼を尽くすようにと厳命されて送り出されて来たのだ。


 エリアスは遠慮なくワインを味わった。

「エレナは教養があった。話も合った。それでも、事業の話は自分から水を向けてくることはなかった」

 事業の分野を男性占有の領域だと思い込む男は多い。だから、頭の良いエレナはエリアスに話すことはなかった。エレナが興味を持ったらアルフレドと同じようにあれこれ熱を入れて会話を楽しむことができただろう。エリアスには持ち得ない観点を知ることができただろう。なのに、機嫌を損ねる懸念から、そうしなかった。そんな風にエリアスもまた他の男と同じような対応を取られた。


 自分はエレナの特別ではなかった。ある意味、最も値打ちのある獲物だったかもしれないが、それだけに過ぎず、エリアスもまた十把一絡げにされた。

 エレナから愛されていると思った。けれど、もう少し違う形を欲した。例えば、知られれば破滅が待つ秘密を共有することができるような支え合うものを。


「もう少しゆっくり互いを知って、そうしたら———」

「やっぱり気にしていたんじゃないか。弱いのに、こんなに飲んで」

 違う。エリアスは若さに酔ったのだ。だからこそ、酒より酔いが回った。


「君が強すぎるんだよ」

「子供のころから領内のワイナリーを巡っては試飲をしてきたからな」

「そのついでに柵の修繕や収穫を手伝ったりしていたんだな」

 見れば、アルフレドは疲労著しい様子だ。ぶどう畑の病害虫に目が行きがちになるので、努めて他の事にも目を向けるようにしているのだろう。律儀な男である。

「苦労を分かち合ったら、喜びもひとしおだろう?」

 類を見ない美貌の持ち主は酩酊に任せてうっとりと微笑んだ。


 その後、アルフレドは祖父と父に説得され、妻を離縁したと連絡して来た。

 エリアスは自分のことばかり話してアルフレドが領内のぶどう畑のことだけでなく、プライベートでも激動を迎えていて、その話をしようにも自分が早々に酔いつぶれてできなかったのだと悔やんだ。

 久々に訪ねて来たアルフレドは憔悴していた。

 今もまた自領で奔走しているだろう友の無事を祈るくらいしかできなかった。



これにて、二章終了しました。

引き続き、三章を投稿していきます。

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