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2-11

 



「君にあの小瓶の薬を渡したのは?」

「わたくしのお客様よ。エレナは私の代打をしてくれた時にもらったみたいね」

 普段使うものよりも身体が不調に陥らないといって喜んでいたわ、と続ける。


「渡した客と言うのは?」

「それを話すのはわたくしにとっても大きな賭けとなるわ。だからまず、わたくしの身の安全を保障していただかないと」


「あれは禁制の品だと知っていたのか?」

 取り合わずにエリアスが言うと、パメラは目を見開いた。演技には見えない。だが、すっかり妓女たちに手玉に取られていたエリアスだ。判断を下すには早計かもしれない。


 質問を変える。

「その客がわたしを探れと言ったのか?」

「ええ、そうよ」

 肩を竦めながら観念したように答える。だが、まだ、肝心なところはしゃべっていない。本当に頭が良い女性だ。


「エレナも話を持ち掛けられたみたいね。ルシエンテス侯爵の手袋のことについてはエレナから聞いたとおっしゃっていたから」

「それで、今度は君にわたしの秘密を探れと指示したのか」

「そうよ。なにも命を取ろうというのではないわ」

「秘密を握って操ろうとはしたようだがね」


 エリアスは高位貴族だ。殺傷に及ぶと自分たちの身が危うい。そうするよりも、弱みを握って好きに動かすことの方がよほど旨味があるだろう。

 パメラにもそれが分かるのか、すまし顔をしているものの、なにも言わない。


 エリアスは考えをめぐらした。実に、彼女は頭が良く度胸もある。そして、世慣れてもいる。良い手駒となるだろう。

 彼女を助けることにした。狙うは大物だ。パメラは呼び水、モデルケースとなるだろう。


「その客というのは黒髪黒目でおとなし気でありつつも、油断ならない者か?」

「あら、ご存じだったの?」

 知っていてあれこれ質問していたのか、人が悪いと言わんばかりだが、エリアスはかまをかけただけだ。予想通りの者だったが、当人が動いたのは慮外だった。


 唐突に、左手に痛みが奔る。警告だ。

「誰かが来る」

 パメラははっと息を呑んだ。


「君はわたしに害を為そうとした」

 エリアスの言葉に、パメラは薄めの上唇を噛む。

「だが、わたしの配下となるのならば、別だ」

「ルシエンテス侯爵一門の庇護を受けられる、と?」

 人は危急が迫ると判断力が落ちる。けれど、パメラは流石の胆力で言質を取ろうとした。


「いや、あくまでもわたし個人だ」

 それでは足りない、不服だとありありと表情に出ている。しかし、パメラは追い詰められていた。

「良いわ。よろしくてよ。高級娼館「百花繚乱」のパメラ、あなた様に命を預けるわ」

 片手を胸に当て、芝居掛かって言う。思い切りが良い。

 そこで時間切れとなった。


 廊下が俄かに騒がしくなる。

 お客様、と諫める店の者の声と退け、という荒々しい叫び声がする。店の者が警邏を呼びに走らせる。こういう商売柄、鼻薬を効かせているだろう。すぐに駆け付ける。それは酔漢を装った暴漢たちにも理解が及ぶ。一層、騒ぎが大きくなり、とうとう、パメラの部屋の扉が烈しく鳴る。そのたびに蝶番が軋む。ふざけた風を装っているが、強く蹴りつけ開けようとしている。


「落ち着いて。入って来た者の顔をよく見て覚えておくんだ。見たことがあるかどうかも確認するように」

 エリアスの言葉に、流石に怯えた風を見せるパメラががくがくと頷くと同時に、蝶番がはじけ飛び、扉が飛び込んできた。その後ろから熟柿臭い男たちがなだれ込んでくる。足取りはしっかりしており、身体をふらつかせてみせるのは演技だろう。


 パメラは後退りながらも、しっかりと目を見開いて男たちの姿を見つめている。

 エリアスは満足げにその様子を見て取り、椅子から立ち上がった。


   瑞々しくしなやかに


「おうおう、邪魔するぜえ」

「俺たちも混ぜてくれよ」

「こんなお高く止まった店、来たことがなくてさあ」

 げらげら笑って見せるが、室内の妓女よりもエリアスに視線を集中させてくる。そこには酩酊ではなく、ぎらぎらと暴力への期待に満ちた凶暴な光が宿っていた。

 しかし、エリアスは気圧されることなく泰然として見つめ返す。


   艶やかさ漂わせ、惑わす眦


「誰の差し金だ?」

 エリアスは静かに問いながら左手袋を外した。


   誇り高き気品に気圧される


 百花繚乱のどの美女よりも艶麗な様態に、男たちは思わず動きを止める。この部屋にいる男性客を痛めつけろ、あるいは拉致しろとだけ命じられていた男たちはエリアスを初見だった。呆然と魂が抜かれたように見入る。


   とりどりの花も色褪せる


 エリアスは棒立ちになる男たちに向けて左手を差し伸べた。

「目くらましを」

 端的な要請に応え、左手の皮膚が蠢く気配がする。失われた古の呪文を詠唱しているのだ。そして、魔法は発現する。

 エリアスが伸ばした左手の少し先に眩く輝く太陽が発生した。エリアスは目を閉じた。


 カッと室内が白濁する。


「ぎゃあっ」

「な、なんだ!」

「あ、熱い! いや、熱くない?」

「きゃああああ」

 室内は混乱の極みに達した。

 パメラもまた唐突のことに甲高い悲鳴を上げた。


 これで警邏が来るまでの時間稼ぎにはなるだろう。左手に手袋を嵌めなおしながら、滅多に魔法は使用しないが、易々とこちらの言うことを聞き入れるのはよほどセブリアン・ワインが気に入ったのだろう。

「アルフレド様々だな」

 ルシエンテス侯爵家の者では調べ得ない事柄も伝えてくれる。今度、なにか礼をしなければ、と思いつつ、忠実な御者が「旦那様! ご無事ですか!」と飛び込んでくる声を聞いた。



「信用できないが、使い方次第か」

 エリアスはパメラを手駒として使うことにした。執事や従者の嫌そうな顔が目に浮かぶ。

 更に執事の眉間の皺を深くするできごとがある。


 エレナである。

 彼女はエリアスに確かに恋をしていたが、仕事によって客を取る。その客に情報を抜かれ、操られる。エリアスの気に入りの妓女だからこそ、敵対者たちは目を付けたのだ。

 二重の意味で悪縁を切るためにはまずエレナをこの場所から出さなくてはならない。エリアスは決心して彼女を買い取ることにした。高級娼婦だから相当な金が必要となる。だが、ルシエンテス家の財力ならばたいした痛手ではない。爵位を継いでから、一層積み上げてきた。ただ、彼女を買い取ったなら、側に置かなければならない。彼女を愛している。けれど、常に近くに誰かがいるのはまた別の問題があった。


 この手に宿るのは化け物である。飲食を欲し、それが叶わなければ宿主のエリアスを苦しめる難儀な代物だ。けれど、唯々諾々と屈しなかった。あれこれ試し、抵抗されつつ、失われた不可視の力を発揮させるに至った。


 化け物を飼う代償に手に入れた力だ。

 苦しみの果てに得た切り札だ。


 化け物を身に飼う侯爵は、麗しく笑う。


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