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ルシエンテス侯爵家のタウンハウスには広い庭がある。手入れされた草木を見下ろす執務室の窓際に立ち、エリアスはアルフレドが寄越した手紙を手にしていた。
内容に目を走らせ、柳眉をひそめる。
アゴスト侯やバルデム伯のことは既に掴んでいた。アゴスト侯は同格の爵位であるがゆえに、以前からルシエンテス侯爵家を目の敵にしていた。そこへもってきて、禁制品に手を出したことの密告だ。まさか、エリアスがしたことが露顕していたとは思わなかった。敵の力量を見誤ったというよりは、陣営を支える者の存在に気付かなかったのが痛手だ。
ともあれ、気に食わない新侯爵が社交界に顔を出さず、にもかかわらず、次々に打ち出す事業で成功を修めている。翻って自領では中々収益を上げることに苦慮している。だからこそ、手っ取り早く稼ごうと禁制品に手を出したのだろう。
バルデム伯の方はアゴスト侯の子飼いであることは周知の事実だ。
アルフレドの報せはエリアスに自身が知らず危地に追いやられる危険性を示唆していた。祖父の伝手を辿って詳細に調べてくれたのだろう。事情があって人前に出ることを極力避けるエリアスは、それだけに情報を重要視して来た。そんなエリアスでさえ未だ知り得ないことを探ることができる情報網に舌を巻く。
「カブレラ子爵か。厄介な男が敵に回ったものだな」
セサル・カブレラは有能な男である。アゴスト侯の手駒となっているにもかかわらず、エリアスにそれと知られずにいたのも、中々の手腕の持ち主である証拠だ。アゴスト侯の禁制品の取り扱いに対する密告の裏にエリアスがいたということも、おそらくこの男が掴んだのだろう。
「だが、気が回るのはひとりに限ったことではない」
アルフレドはエリアスが依頼するまでもなく、カブレラ子爵のことを調べるとしたためてきた。
ワイン作りや社交界の顔つなぎで忙しい中、方々へ手紙を書いてくれているのだろう。そのワインのお陰で、左手の飢餓も長らく抑えられている。手袋に包まれた手に視線をちらりとやる。
あのごっそりと身体の生気を奪われるような、疲弊著しい状態は好ましくない。いつ何時そうなるか分からないため、エリアスは今まで外出を避けてきた。どうしても代理人では用をなさない場合、満腹にさせた直後に出かけるという方法を取った。
今は自由気ままとはいわないまでも、制限が緩んだ。
エリアスは若い。活動的に動き回ることがこれほど心地の良いものだと初めて知った。
アルフレドの手紙を置くと、その他の報告書を手に取った。
市場調査は定期的に行わせているが、今回は特定の物品を重点的に調べさせた。
脳裏にエレナが所持していた小瓶が浮かぶ。その小瓶の封をするコルク栓に焼き印があった。これが特徴的であり、この国では禁じられた品、いわば禁制のものだった。
エレナはそれは普段使っているものよりも上質のものであり、そういったより良いものを客から贈られたことに対して優越感を覚えている風だった。
ああいった場所で仕事をする上で、愛撫ひとつ、口づけひとつとっても、全ては技術の範疇である。甘い囁きも駆け引きのうちだ。愛を測るのには、自分を特別視しているかどうかを見極めるには贈り物であったり、まめな連絡であったりするのだろう。
エリアスも訪問が途切れる際には手紙を添えた花束や菓子類などを贈っている。熱を上げた客が宝石やドレス、靴や小物といった高価な贈り物をすると聞く。ルシエンテス侯爵家が元々持っていた財産ではなく、エリアスが築いたものでそれらを購うことは容易だ。
「だが、それをするのは結婚を申し込んで受け入れられてからだな」
他の男と共有する女性に振り向いてもらうためではなく、正面から申し込んで受け入れられてからこそ、高価な物を贈ろうと思っていた。
エレナは客から禁制の堕胎薬を手に入れたと言っていたから、大義名分の下にエリアスは彼女の客について調べた。理由がないままに調べたら、単なる嫉妬深い愚かな男のように思え、指示を出すことが出来なかった。
「しかし、結局、わたしは愚かな男に過ぎなかったな」
エレナの客のひとりがバルデム伯に繋がる者だった。足しげく通うエリアスのお気に入りである妓女に近づいたというところだろう。
男の沽券だの矜持だのルール違反だの理由づけをせずに、早々に調べておけばもっと早いうちに手を打てただろう。敵はエリアスのすぐ傍にまで手を伸ばして来ていたのだ。
「カブレラ子爵の動向も気になる。早々に対処しなければ」
エレナの客であるバルデム伯ゆかりの者について詳細に調べさせる指示を出す。
妓女から情報を抜くのは常套手段だ。高級娼館ともあれば、秘密厳守を躾けられているが、そうとは知られずに情報を得る方法はある。
エリアスは左手に視線を落とす。
「最中でも手袋を外さないことも話しているかな」
知らないとはいえ、彼女の口からエリアスを害しようとする者に弱点が伝わることがとても残念に思えた。今後、エレナに秘密を明かすことはためらわれる。
アゴスト侯の陣営はテルセロという離反者が出たことで、他の者も気持ちが揺らいだ。そこへ、エリアスは人を使って噂を吹き込んでおいた。人は他者の動向やその結果を見て自身も動こうとする。噂というのは重要な判断材料となり得る。エリアスがアルフレドからベルガミン子爵の事を聞いて迅速に事に当たれたことのように。噂は虚実入り混じっているので事実を精査する判断材料が必要になって来る。そこには他の情報や思考の明晰さが不可欠である。幸い、エリアスはそれらを手にしていたし、更には最近、情報通であり協力的な友人ができた。
高度な諜報戦であり、今回はエリアスが制した。離反者が多く出たことから焦りを覚えた敵対者が動き出すだろうと予測する。
しかし、エリアスは知らない。カブレラ子爵の有能さが獰猛さに変じて自身の喉笛に噛みつこうとしていることを。
「アゴスト侯」は正確には「アゴスト侯爵」なんですが、
同じ爵位なので、ちょっと違いを出してみました。
別に深い意味はありません。
後で他の侯爵もちらっと出るから、ややこしいかな、と思っただけです。
たまに、「アゴスト侯爵」となっているかもしれませんが、同じ意味です。
余談ですが、公爵、伯爵も「公」「伯」だけでつく(例:セブリアン伯)のに、
子爵、男爵はどうして違うのか・・・。
(カブレラ子。うん、別のものに見える)




