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※本日二回目の更新です。
ご注意ください。
アランバルリ国の王都に建つルシエンテス侯爵のタウンハウスは歴史ある館で、手入れが行き届き、瀟洒な佇まいである。
侯爵という爵位と財力とを鑑みれば、使用人はそう多い方ではないが、厳選された忠実な者たちだ。
「旦那様、セブリアン伯爵の御子息から書状が届いております」
居心地よく整えられた居室で茶を楽しんでいると、執事が銀盆を手に現れた。
若きルシエンテス侯爵エリアスは形の良い眉を片方跳ね上げた。
「何度目だ?」
「三度目にございます」
「懲りないご仁だな」
精緻な装飾がなされたペーパーナイフを執事が差し出す。持ち手の螺鈿が窓から差し込む午後の日差しを弾く。
「開けてみるまでもない」
一度目も二度目も、面会を求める内容だった。
ペーパーナイフも手紙すらも手に取ることなく、エリアスは立ち上がった。
「出かける。馬車を用意してくれ」
「かしこまりました」
若木のようなすらりとした佇まい
気品ある瞳、その眦は恋を含む
鼻梁は美しく孤高に他を寄せ付けず
白く滑らかな頬、首筋は匂いたつよう
ルシエンテス侯爵を見た当代随一の詩人がそう詠んだという。
ダークブロンドの少し長めの前髪をこめかみに向けて斜めに流し、襟足は短く切りそろえている。エメラルドの瞳には理知的な光が宿る。
若くして爵位を継いだエリアスは他の貴族とは異なり、率先して事業の指揮を執った。
領地で指示し、代理人を動かす。最近になって王都に滞在するようになったのは新しい事業を展開させるためである。それまでのように自領で指示を出すだけでは限られたことしかできない。王都には物も人も集まる。代理人を立ててでは、分厚い手袋越しに触っているかのようで、不明瞭さがもどかしい。
貴族は家門を残すことを最大の義務としている。そのため、社交界に出て自身の一門が有利になるように働きかける。事業を行う者もいるが、大体のことは部下や使用人に任せている。
エリアスは社交界どころかほとんど誰とも顔を合わせず、事業拡大に精を出している。
詩人が詠った美貌をひと目見たいという者は後を絶たないけれど、人前へ出る機会は少ない。
そんなエリアスに三度目の手紙を送ったセブリアン伯の三男アルフレドは同年代の男だったと記憶している。セブリアン伯爵の領地はルシエンテス侯爵領の隣に位置し、昔、両親が健在であったころ、交流があった。
———化け物!
なにかに車輪が当たったのか、大きく車体を跳ねた。車窓を見るともなしに眺めて、つらつらと昔のことを思い返していたエリアスは我に返る。
外が騒がしい。
考え事に捉われて、注意力散漫となっていた。
これも全て、性懲りもなく手紙を送りつけてくるアルフレド・セブリアンのせいだ。
「旦那様、外にお出になりませんよう」
「何事だ?」
御者の慌てた声にエリアスは尋ねたが、答えは返ってこなかった。
「それが、あ、こら!」
「貴族様、お恵みを!」
「お恵みを!」
「さ、下がりなさい!」
「食べ物ちょうだい! でございます!」
「腹が減った! です!」
なるほど、その日暮らしの者を親に持つか、親自体がいない子供らに囲まれたらしい。
貴族街の端にまで遠征してきたのだ。警邏に見つかってもすぐに逃げ込めるように、奥までは行かないのだろう。
王都だけあって、人も物も雑多だ。貧しい者も多く、全員が十分に食べられるかといえば、そうではない。貧富の差もある。
侯爵領でもそういった面はある。炊き出しは定期的に行っているが、健康な身体を持つ一定の年齢以上の者が勤勉に働くかといえば、そうでもない。
「まずは労働すればするだけ賃金を得られるという構造を作らなくては」
成果を出した者が相応に報われるという仕組みを作ることが先決だ。そして、親がいない年端も行かない子供らを養育する機関も必要だ。
「なんにせよ、金がいるということだな」
なにをするにも、先立つものは必要だ。
爵位を受け継いでまだ月日は浅いが、すでにエリアスの観点は統治者に相応しいものとなっていた。
そんな風に考えている間も、御者と子供らの攻防は続いているようだ。御者は護衛も兼ねているが、経験不足の者だったか、年少の者らを邪険に扱えないのか、難儀している様子だ。
時間がかかりそうだとため息をつきながら、背もたれにもたれかかる。
「手伝いましょうか?」
「え、あの、」
御者に救いの手が現れたらしい。エリアスは聞くともなしに聞いていた。
「ああ、突然声を掛けて失礼。わたしはセブリアン伯の家の者です」
自然と眉根が寄る。
「そら、パンがあるぞ。今朝焼いたやつだから、まだ柔らかい。お前がリーダーだな? ちゃんと分けろよ」
「わあ、柔らかいパン!」
「すげえ!」
セブリアン伯の縁者が言うと、子供たちがどっと沸いた。
「あんちゃん、話が分かるな」
「まあ、これだけいたらひと口ずつしか食べられないだろうが」
セブリアン伯の縁者の声に苦味が混じる。よく市井の者と交わるらしく、くだけた口調が馴染んでいる。
「柔らかいパンなんて、夢でも食べたことないからな」
答えるリーダーとやらは淡々としている。
「それからこれを。そっちの子に飲ませてやると良い。なるべく綺麗な水をたくさん飲めると良いんだがな」
「他には?」
セブリアン伯の縁者の言に、リーダーの声が真剣味を帯びる。恐らく、具合が悪い者がいたのだろう。エリアスはすぐに察したセブリアン伯の縁者やリーダーに好意を抱く。
「温かくしてよく眠ることかな」
エリアスにはセブリアン伯の縁者が最も言いたいことが分かる。栄養を摂ることだ。しかもバランスよく野菜や肉、魚を食べる必要がある。けれど、それを子供たちに言ってもしょうことない。彼らにはどうやっても手が届かないことだ。だからこそ、セブリアン伯の縁者も一番重要なことは言わなかった。
セブリアン伯の縁者は薬かそれに準ずるものを渡してやったのだ。大勢の子供の中からすぐに分かるくらいなのだろう。リーダーが知らない筈がない。でも、ついてきたがったのか、置いて来ることができない事情があったのか。
「助かりました」
「いいえ」
子供の事情に思いを馳せていると、事態は収束した様子だ。業者がセブリアン伯の縁者に礼を言っている。
エリアスは僅かに身構えた。自身の出番が来ることに備えて。
「それでは、失礼します」
「本当に、ありがとうございました」
ルシエンテスの家門がある馬車を助けたのは面会を求めようという下心からだと思っていた。なのに、あっさり去って行こうとする。
エリアスは扉を内側からノックする。
「旦那様、なにか御用でしょうか?」
「わたしも助けていただいた礼を述べよう」
「かしこまりました。セブリアン伯のお身内の方、お待ちください———」




