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農作業でひと汗かいたアルフレドは休憩がてら、手紙を開けた。向こうの方では祖父が農民たちと今後についてあれこれ話している。元気なものだ。
届いた手紙は、祖父の伝手をふんだんに使って調べた調査結果だ。そこにはアゴスト侯とバルデム伯という高位貴族の名前が挙がっていた。
手紙をもう一度頭から読み直しながらアルフレドは唸った。
「エリアスはなぜまたこんな大物に敵対視されているというのか」
洗練したやりようしか見ていないが、あの優美な姿から予想もつかないほど強引な手法を取ったというのだろうか。
王都と離れた領地にいるせいで、手紙が届くのに要する時間はまちまちである。報告書は立て続けに届けられた。次の手紙を開く。
エリアスがテルセロに縁を切るようにと言ったクライフというのは隣国バルケネンデの商人で、アゴスト侯とつながりがあるらしい。クライフがアゴスト侯を通してこの国に持ち込もうとした品のいくつかが禁じられているものであった。以前、エリアスが手を回し、当局に報告したため、未然に防がれた。アゴスト侯はしらを切り通して難を逃れたらしい。当局としても大物貴族に対して及び腰だったか鼻薬を効かされたかしたらしい。
そういう次第があったからこそ、エリアスはテルセロに初対面にもかかわらず、踏み込んだことを言ったのだ。そして、テルセロもまた、クライフのことに違和感を抱いていたがために受け入れた。そうすることでエリアスは自身の敵対者とつながりがある人物に打撃を与えることができた。クライフはネギをしょったカモを取り込み損ねたのだ。
聡明な友人たちが相互に助け合い、難を逃れた。
「アゴスト侯は襲撃失敗に懲りて大人しくなってくれるかな」
水面下ではまだクライフとつながっている可能性もある。
禁制品を秘かに国内で売りさばきひと儲けしようという目論見が潰えたことに、アゴスト侯は怒り狂っただろう。自分の計画を台無しにした者を探させた。エリアスはエリアスで下手を打つ真似はしなかっただろう。なのに、アゴスト侯の魔の手はエリアスを捉えんとした。
よほど奸智に長けた者なのか。判断する材料に乏しい。そこで、アルフレドは手紙の送り主に、情報の礼とともにアゴスト侯やバルデム伯のことについて調べるよう依頼する返信を書いた。
「なんだ、アルフレド! また手紙を書いているのか。筆まめなやつめ!」
手紙の内容に集中していたのだろう。祖父の言動はやかましいから近づいてくるとすぐにそれと知れるというのに、相当近くに来るまで気づかなかった。
「なにをおっしゃるんです。お爺様の代筆ですよ」
冗談ではなく本当だ。祖父が迂遠だとばかりに投げ出したから、消息が途絶えたとやきもきした者たちが一斉にセブリアン伯家に問い合わせたのだ。無茶をして怪我でもしたのではないか、もしくはどこかで女性と懇ろになり夢中になっているのではないかと。どちらも大いにあり得ることで、筆をとれないほどとはよほどのことだと心配したのだ。
祖父と会ってみれば手紙を書くよりも他のことに夢中になる人柄だと分かるものだが、人は遠距離の事象について、自分の見当違いな思考をより逞しく育てるものだ。
祖父の友人知人や信奉者、恋人希望者からの質問攻勢に遭った父兄が辟易し、アルフレドに厳命している。祖父の窓口となれと。
幼いころから曾祖父や祖父と共に領地を巡ってぶどう農家や牧畜の世話をしていた。そのため、友人や社交界において、アルフレドの話題に触れることが多く、一部の人間は掌中の珠という誤った認識を持つに至る者までいる始末だ。そんな大層なものではないが、あの曾祖父と祖父が可愛がる孫である。彼らの歓心を買いたい者だけでなく、友や多くの貴族や商人、有力市民たちがアルフレドの評価を高めた。アルフレドが一度も会うことなく、である。頭が痛い仕儀である。
しかし、技術や経済の発展で多くの人や物が行きかう昨今、情報は氾濫し玉石混合でその信頼度合は自身で推し量るしかない。ワインで言えば、混ぜ物品や劣化品を掴まされるかどうかは信用に左右されるところが大きい。大量に扱う中、どうしても品質の劣るものが混じることもある。
セブリアンの扱うワインなら間違いはないだろうという信頼があるからこそ、買おうという気にさせる。高額の金銭を支払って不味いワインを手に入れるなどという間尺に合わないことなど誰もしたくはないだろう。
高額の対価に見合うワインという認識が根付いたからこそ、セブリアン・ワインは売れるのだ。
実はアルフレドは手紙のやり取りをするも、会ったことがない者が多数いる。それでも彼らの人となりはそれなりに知っている。ここぞという内容の手紙には末尾に祖父のサインか、一行二行は書かせる。そうすると、大抵こちらの言い分を呑んでくれる。
小聡明いやり口だが相手は喜ぶ。よくぞ手紙を代筆してくれた、あのロランドにサインをさせた、自筆で消息を書かせた、と感激いっぱいの返信がある。
「お爺様がご自身で書かれたら、どれほどのことでもしてくれそうですね」
「そんなに長い間、ペンを手にして紙の前に座っていられるか」
「そうさせるなにかが必要だということですか」
祖父は曾祖父を敬愛し、自身もワイン造りに人生を捧げてきた。
セブリアン伯領地では農業と牧畜業が盛んだ。しかし、それは昔ながらに行われて来たことを漫然と続けているだけで、いずれくる劇的な経済活性化に取り残されるだろうと曾祖父は予見していた。
現に、アルフレドが物心つくころまで、自給自足の他、近隣地域の市場に出す商品を生産するにとどまっていた。
曾祖父と祖父は領地内を巡り、原材料を加工させる知識を教え、技術を向上させる。品質を改良させ、一定水準まで押し上げ、生産量を確保した。各農家を回って商品を流通させる手段を構築し、ワインを詰める瓶やコルク栓といった原材料の一部を全て伯爵の方で用意した。
だからこそ、なし得たことである。ぶどう農家でどれほど良質のぶどうを作っても、それをワインに製造してもそこで終わってしまっては意味がない。
そうして、地域外に向けて販売できるルートやブランド化に成功した。
ただ、農家は自然を相手にする。なにかにつけて、予定通りにはいかない。まずは良質のぶどうを作ること。その品質が一定水準生産できることから始まる。曽祖父、祖父、一代飛んで孫で行う長いながい事業である。
祖父はワイン造りに熱意を注ぐあまり、次代のことを考えず、彼の子供らの中から後継は現れなかった。祖母は自分の子供らに貴族らしい振る舞いと価値観を教え込んだ。ワイン造りに愛する人を奪われたという嫉妬からそうしたのだろうとアルフレドは見ている。
父を筆頭に叔父叔母は社交に勤しんだ。
ところが、孫のひとりが頭角を現した。土いじりも重労働も糞尿香しき家畜の世話も厭わない、自分たち側の人間がいたのだ。
ただでさえ、ひ孫や孫は可愛いものだ。そんなあどけない者が自分たちのすることを真似る。曽祖父も祖父もアルフレドを可愛がって競ってあれこれ教え込んだ。
「アルフレド、上質のワインを作るためにはなにが必要だ、言ってごらん」
曽祖父や祖父は唐突に質問することがあった。
「グリーンハーベスト(間引き)とフィールドブレンド?」
「そうだ! 流石は我がひ孫(ある時は孫)! 賢いな!」
答えが合っていても間違っていても、アルフレドを抱きしめて髪を撫でた。
グリーンハーベストは光合成を十分にさせるために必要なことである。果房を未熟な状態で収穫することで、総収量を減少させる。
アルフレドも曽祖父や祖父と共にまだ緑色で小さく未熟なぶどうをよく摘果したものだ。
「こうすると品質の高いワインができるのだぞ」
「よく成熟し、風味が十分あるぶどうができるからな」
グリーンハーベストを行わないと、風味が薄く、未熟なぶどうになる。
フィールドブレンドとは、同じ畑に植えられた複数の異なるぶどう品種でワインを作ることだ。
アルフレドは長じるにつれ、時代の流れを敏感に読んで、ワインのブランド化を図り、曽祖父と祖父の人脈を駆使してセブリアン・ワインの名を高めることに成功した。アルフレドの筆まめはここで大いに貢献しているのだ。手紙と共にできたワインを贈る。飲んだ者がその品質の高さに唸り、あちこちで喧伝してくれる。
口コミというやつである。
ただでさえ、噂話は貴賤の区別なく人の娯楽となり得る。
アルフレドの凄味は高級化だけでなく、手頃なワインを販売したところだ。ぶどうの品質には自信がある。けれど、やはり、年によっては不出来なものも出てくる。それでも、そこいらのワインよりもずっと美味い。その自負を持って、有力市民がちょっとした日に、庶民が特別な日に祝いとして飲むワインとして売り出した。これが図に当たった。ワイン製造に携わる農家でも、知り合いの知り合いという身近なところから、セブリアン・ワインを手に入れて祝いに呑むのだと嬉しそうに言われれば、励みになる。そして、セブリアン伯爵家に信頼が篤くなる。
曽祖父と祖父はアルフレドの力を認めた。だからこそ、伝説とも称される曽祖父や祖父はアルフレドの言には耳を傾けた。言葉の端々にアルフレドを認める色合いを帯びる。そういった発言を会う度に聞く彼らの友人はセブリアン伯の三男坊に一目置くようになる。
曽祖父や祖父の友人らに可愛がられてはいたが、認められ、信頼を勝ち得たアルフレドはこれぞ好機とばかりにワインをアピールした。おいそれと手に入らない類のものもあり、値打ちを出した。
つまり、アルフレドは若いながらにして貴族や有力市民、商人といった幅広い身分の間で信頼という大きな財産を手にしている。そしてそれらの人脈を使って、最近できた友のために情報を集めた。
ワイン作りも順調で、セブリアン・ワインはいよいよ名を高めた。
しかし、ここへきて、逆風が吹き始めた。
ぶどう農家の敵、自然の驚異のひとつである病害虫が発生したのである。
アルフレドのひいおじいちゃんとおじいちゃんはチートです。
そんなふたりにそれなりに自分を認めさせたことから、
アルフレドは確固たるものを持ちつつ、他者に誇る必要がありません。
マイペースということですね。




