2-2
少し前までは三度手紙を出してもやんわりとした拒絶の返答が返ってくるのみだったな、と思い返しつつ、アルフレドは携えてきたワインその他を出迎えたルシエンテス侯爵家の執事に渡す。
案内されたサロンでは既にこの館の主が着席している。
優雅に手にした陶器を見て、ルシエンテス侯爵家の交易でも扱っていたと気づく。
「良い香りだな」
「つい先日、港に着いた茶葉だ」
「試飲していたのか」
「君もどうだ」
「いただこう」
侍女が静かに用意していたカップに茶を注ぐ。その間、執事がエリアスに耳打ちする。
「またワインをくれたそうだな。いちいち手土産はいらないぞ」
「まあ、そう言うな。うちで一番誇れるものなんだ」
エリアスは執事と侍女を下がらせた。
「それに、うちのを呑めば次の苦痛が遠くなると聞けばな」
「もう定期購入の契約は済ませている」
「予備だ予備」
なにかあった時に自室に置いておけとアルフレドが言うと、苦笑して引き下がった。
エリアスは左手の瘡がひどく痛むことがある。痛みは時と場所を鑑みず、唐突に起きる。収まった後は息も絶え絶えの態になるほどのものだ。体力も奪われ、すぐには動けない。
瘡の飢えを満たしてやり、ひと晩眠れば普段通りだと言っていたが、不便この上ない。
だからこそ、外出は億劫になり、無防備な状態を晒すことの危惧から人前に出ない。
ならば、アルフレドが訪ねれば良い、と王都にいる間は顔を見せた。幸い、侯爵家の者からも歓迎されている節がある。
ワイン様々である。
自分が作って来たワインがこんな風に役に立つことを誇らしく思う。自儘な瘡をも大人しくさせるのだ。
アルフレドが今日やって来たのは、人面瘡についてあれこれ調べてきたことを話すためでもあった。
「ヨウカイ?」
エリアスが片眉を跳ね上げ、脚を組みなおす。アルフレドよりも少しばかり身長が高いエリアスの脚は大分長い。いや、自分には重いものを持てる膂力もあるし、体力もある。鍛えられた筋肉は裏切らない。
「そう、妖怪。遠い東の国の伝承であるらしい」
「悪魔とはまた違うものなのか?」
「俺が聞いた感じでは妖精の方が近いかな。気まぐれや悪戯心を持っているようだ」
アルフレドが聞き及んだ海外からの情報では、憑かれると身体の痛みを訴えて寝込むというものだ。
「ほう」
エリアスが興味を持って目顔で先を促す。
憑かれた者はあれこれ食べたいと言うのだそうだ。
「共通点が多いな」
「ああ。だが、病床へ持って行っても、すぐには食べない。人がいなくなると大量にあった食料はすっからかんになる」
「なるほど」
そして、またなにそれが食べたいという。
アルフレドの語る話に耳を傾ける侯爵は唇に笑みを刻んだ。
「それで?」
徐々に喋る速度がゆるやかになるのを促され、アルフレドは唇を舐めて続ける。良くない結末ではあるが、これを教訓とするのなら、聴かせなければならない。
「そうこうするうち、寝具に動物の毛がついていたり、あちこちに足跡が残っているのだそうだよ」
「獣の?」
アルフレドは頷いた。
「自分の口から摂取した食べ物は憑き物が摂取してしまうらしい」
「そこが違うな」
「ああ。それで、栄養失調がひどくなった頃、足跡を残して出ていってしまう。そうすると、じきに宿主は死んでしまう」
アルフレドは眉をしかめてバッドエンドを締めくくった。喉の渇きに飲んだ茶はすっかり冷め、香りも失われていて、舌にひどく苦く残った。
エリアスは呼び鈴を鳴らして使用人を呼んだ。すぐにやって来た侍女が新しい茶を運んできた。教育が行き届いている。
「相違点は口から摂取するということだな。次に、足跡や体毛を残すということか」
「大食するのは同じだな」
「あれこれ欲しがるというのは同じかな」
ああでもないこうでもないと話し合った後、ふいに沈黙が降りた。どちらかが不機嫌になったからというのでもない、ちょっとした拍子である。
「アルフレド、君には感謝している」
「なんだい、唐突に」
カップをテーブルに戻し、手袋を嵌めた両手を膝の上で軽く握り合わせる姿は木漏れ日のように明るく澄んで輝かしい。
「こうやって人面瘡のことを語り合ったり、痛みを慮って心を尽くしてくれる。それへの礼さ」
君と友誼を結ぶ前には夢にも見なかったことだという。
「わたしが化け物侯爵と噂されたのは、瘡に食べ物を与えているのを見て怯えた使用人が、辞めてから言いふらしたのだろう。以降は秘密を守るという共通認識を持ち、結束が固まったから悪い事ばかりではない」
だから、噂に関して、アルフレドが原因ではない。気にすることなど始めから無かったのだという。
でも、侯爵を子供の時分に傷つけたことは確かだし、悪いことをした。
「その謝罪はもう何度も受けた」
言外にこれ以上は不用だというエリアスにアルフレドは頷いた。たおやかな容姿とは反して頑固な一面がある。
人との関わりを避けてきたエリアスが自分には見せる甘えの一種だろうと受け流すことにする。
自分に甘えっぱなしの祖父のことがあったから、そのくらいは可愛いものである。
その祖父はアルフレドが王都で人嫌いのルシエンテス侯爵と誼を結び、ワインの定期購入を取り付けたと知るや快哉を叫んだ。
「ほらみろ、社交界だの夜会だのに勤しんでいる者よりも、我が孫がちょちょいのちょいと取引に漕ぎつけたではないか!」
爺さんにはもうちょっとオブラートとか言い方を学んでほしい。
祖父の躾けなど大それたことをやりたくもない。それでなくとも、手綱を取れると思われているのだ。あんなの、無理だ。そう返せばお前ができなければ誰にもできん、と戻される。
それ、なんて生贄?
「どうかしたのか?」
「いや、ちょっと問題児———じゃなかった、祖父のことを考えていたら頭痛がした」
「ははは。破天荒な御方と噂だな」
「その手綱を取れと言われている身にもなってくれ」
恨みがましいはずの言葉は、珍しく声を上げて笑うエリアスの前には形無しである。
「おや? わたしは君が唯一の窓口だと聞いたが」
笑いの残滓を残したままエリアスは肘掛けに肘をつき、その手指で軽く傾げた顔を支える。はらりと前髪がひと筋、落ちる。それを指で払う仕草、やや伏せられた瞼、長いまつげが作る陰影が、艶やかだ。
「まあ、それは当たっている」
事業でも用意周到に調べるらしいエリアスはアルフレドやセブリアン家のことも情報を集めているのだろう。それでなくとも、セブリアン前当主である祖父は有名人だ。
「そして、なにかあれば君しかいないと」
「なにかってなんだ」
聞き捨てならない言葉に反射的に尋ねる。
「だから、セブリアン前当主のあれこれ」
あれこれのひと言で片づけられてしまったアルフレドはがっくりと肩を落とす。
「そんなことより、最近では随分熱心に娼館に通っているそうだな」
ルシエンテス侯爵のご執心と噂になっていると、やり込められた腹いせに言ってやる。
エリアスは隠すこともないとばかりに、エレナは教養もあり、それを示してくるさり気なさは見習うべきところだと話す。
「ぼんくらどもは自分で調べるということをしないから、こちらの優れた点を分かりやすく、それでいて鼻につかないように開示してやらなければならない」
事業において優位点のアピールも、あからさまだと下品だと眉を顰められる。
恋に友情に、今までなかったことに浮かれているとはいえ、エリアスはルシエンテス侯爵領の事業を成功に導く男だ。私情で目を曇らせることはないだろう。
高級娼館という選別された場所とは言え、紹介した側としてはなにかあってはと危惧していたアルフレドは思い直したのだった。




