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※本日四回目の更新です。
ご注意ください。
ルシエンテスの館にアルフレドを招き入れ、執事に手当をさせた。
エリアスがその身に異変を生じてから、執事は医学を学んだ。
傷口を消毒して縫った後、化膿止めの薬を塗布し、包帯を巻かれたアルフレドは新しい服を身につけた。
「よくサイズが合う服があったな」
「こんなこともあることを想定して用意していたのだろう」
「主が用意周到なら執事もそうなるのか」
治療も手際が良かった。
その執事が茶と共にワインを運んでくる。
アルフレドに水分補給をさせてから、エリアスはおもむろに左手の手袋を取る。
「こいつはよく食べる上に、美食を好む」
左手を見下ろしながら言うエリアスの表情は冷ややかだ。
そこには皺が寄り、目を薄く開け、唇を歪めた醜い老人の顔に見えるモノがあった。
アルフレドは反射的におぞけがふるったのか、無事な方の手で手すりを強く掴み、脚を踏ん張った。それでも、アルフレドはエリアスの手の甲に皺のようにも見える醜い瘡を前にしてもなにも言わなかった。なんとなく、顔を見づらくて目線を合さないも、口ごもる雰囲気は伝わって来る。
エリアスが言わんとすることが分からないまでも、左手の異様さや先だっての一件で並々ならぬことを感じているのだろう。
見た方が早いと執事に向けて左手の甲を差し出す。
執事は瓶を傾け、手の甲にワインを注ぐ。
アルフレドが息を呑む気配がする。
エリアスは自嘲する。
こうやって人面瘡を飼いならしてきたのだ。
麗しの侯爵などと言われつつ、手の甲に刻まれた化け物を手袋で覆って、人目を避けてきた。
幼いころ、左手が燃えるように熱く痛みを感じた。痛みは長引いた。泣きわめきながら七転八倒し、汗みずくになった。目が覚めたら、左手に人面瘡ができていた。
あまりにも不気味で、怖くてふたたび泣き叫んだ。どうやっても取れなかった。擦って剥がし落としたくても、触ることさえ厭わしかった。
両親も戸惑い、使用人たちに口止めした。
エリアスもひた隠しにした。そのため、引きこもりになった。
貴族としてはそれではいけないと両親があれこれ気を回し、友人を作らせようとした。
けれど、その茶会の場でエリアスの瘡を見た子供が化物だと言った。
高位貴族の弱点ともなりかねない噂は素早く駆け廻る。
一層、人前に出なくなった。
そして、瘡は時折痛んだ。痛みは体力を奪う。出先で弱り動けなくなることを考えるとより億劫になる。
人面瘡は食べ物を要求した。痛みが要求手段だった。食べ物をやると、痛みは和らいだ。
「セブリアン・ワインを殊の外気に入っている。これがあると、次の要求は大分間遠になる」
エリアスの左手の甲の皺が蠢き、その隙間にワインが呑みこまれていくのを、アルフレドは凝視する。
「これには色々与えた。それこそ、薬も毒も」
はっとアルフレドが顔を上げる。
「ものすごい抵抗に遭ったよ。わたしも死ぬかと思う苦しみを味わった」
あんなのは二度と御免だと続けるエリアスを、労しそうに見つめてくる。そこに嫌悪がないことを見て取り、安堵する。
二十年近く前にこの化け物を一度見た少年は、長じてからはそうはしなかった。それが嬉しい。
「もしかして、それがさっきの?」
「ああ、魔法だ」
古に失われた不可思議な力の行使だ。
文明の黎明期が払しょくせんとする不可視の力の残滓だ。
技術改革による経済の活性化は急速に起こったので、同時に妖精犬や降霊術といったものも同時に存在する時代であった。後者も明確に存在するものとして認識されていたのだ。魔法もその一種であり、ただ、行使することができる者はほとんどいないとされていた。
それを、自分の手にある醜い瘡が放つとあってはどんな風に感じられるだろう。滑稽だろうか、それとも恐ろしいだろうか。そう、やはり化け物だと言われるのだろうか。
しかし、アルフレドはエリアスの予想をはるか上回る考え方をした。
「すごいな、エリアス、君は突然降ってわいた不幸を自らの力としているのか」
エリアスはまじまじとアルフレドを見つめた。日焼けした精悍な顔は貴族というには労働に親しみすぎている。そこには純粋な賞賛が見て取れた。
そうだ。
アルフレドの言う通り、エリアスは唐突な不幸に絶望しつつ、ただ自身を憐れむだけではいなかった。あれこれと試し、時に痛みに失神し、時に嫌気が差しながらも、人面瘡に魔石を食べさせることに成功した。そして、侯爵家の膨大な蔵書の中から見つけ出した禁書に記載されていた呪文を覚え込ませ、魔法を蘇らせることに成功した。
自身を、それまでの行いを誇っても良いかもしれない。
化け物を身に飼う侯爵は麗しく晴れやかに笑う。いつも寂しさが付きまとった。今、初めて孤独から放たれた。
アルフレドはエリアスに呼び出され、ワインとチーズや加工肉を携えて行くと、すでに出来上がっていた。
「ベルガミン子爵夫人は次期子爵の夫人になることにしたそうだよ」
つまり、未亡人は義弟の求婚を受け入れ、エリアスは振られてしまったのだという。それでこの体たらくか、とは言わずにおいた。
いつも隙なく端然とした姿が、やや緩んでいる。目元がほんのり赤らみ、頬はもう少し色づいている。取り去ったクラバットを掛けたソファの背もたれに深く背を預け、組んだ足先を時折ゆらゆらと動かす。
「まさか、今回の襲撃のことが原因で?」
促されて対面のソファに腰掛けながら尋ねる。
「瘡のことは聞き及んではいないだろう。ただ、狙われるような危険人物と一緒になるくらいなら、現状維持が好ましいというところさ」
その襲撃を指示した陣営に新しい夫が加担していることは知らないのだろうか。まさか、知っていてなお、自身の将来の安泰のために目をつぶったのだろうか。
維持できるほどの財産は失われつつあるというのを知らないままでいるのだろう。結婚すれば夫がなんとかするのが当たり前なのだ。
「新子爵は金策に駆けずり回っているらしい」
ふん、と鼻を鳴らすエリアスは、アルフレドが持ち込んだワインを開けた。
「まあ、呑め」
「うちのワインだがな」
「つまみも美味い」
「それは良かった」
人面瘡だけでなく、本体もお気に召している様子でなによりである。
火だるまになった襲撃者は生き延び、警邏に捕縛されている。いずれ回復したら尋問されるだろう。これでエリアスを邪魔に思って凶悪なやり口を見せた者たちにまで捕縛の手が及ぶとは思えないが、大人しくなってくれると良い。
「恋は失った。けれど、友はできた」
エリアスはワイングラスを高々と掲げた。
「子供の頃の失態をいつまでも忘れずいつか報いようという律儀で誠意ある、信頼するに値する男だ」
褒められているのか、呆れられているのか、アルフレドは判断に迷った。
「まあ、こういうのも悪くないか」
「ああ、良い夜だな」
エリアスは友と夜っぴいて吞み明かす日が来るなど、想像したこともないだろう。
「子爵夫人はわたしのことをとかく持ち上げるのだ。わたしが冗談で言ったこともな」
ましてや、恋の愚痴など酔いに任せたとはいえ、言ったことなどないに違いない。
「それは、その……」
アルフレドは口ごもる。
「はっきり言っても構わないよ。そうだよ。莫迦にされている気分を味わったよ」
「なんともまあ」
子爵夫人としては若く見目麗しく、ついでにいえば財産もたっぷり持っているこの上ない条件の男におもねり、気を良くして貰おうと努めたのだろう。けれど、それ以上に、エリアスは知識人であり、高い教養を持っていた。分からないならどういうことなのかと聞けば良いものを、とにかくエリアスの話す内容を全て肯定し、素晴らしいと褒めちぎったのだという。それが却って不興を買うとは思いも寄らなかっただろう。
「君はそんなことしないだろう?」
「君の関心を買おうとする女性と一緒にするな。わたしは君に対して見栄を張る必要などない」
「話していてもつまらないのなら、なにをするというのだ」
君となら会話はなくともワインを楽しめば良いが、と続けるのでアルフレドはどういう表情をすれば良いか分からなかった。
「そりゃあ、やっちゃうんだろうよ」
「やる?」
なにをだ、と小首を傾げるエリアスにアルフレドは温かな視線を向ける。
「きっとじきに知ることだ。あまりに品よく整った面の友人に、そっち方面のレクチャーをしたくはない」
「教えたくないとは、なにをだ?」
むくれた声で更に問いを重ねるが、アルフレドは違うことを言った。
「俺と話していても、畑か牧畜の話ばかりで、大して変わらないだろう?」
「なにを言う。領民を活性化させ、労働意欲を向上させるなんて、素晴らしいのひと言に尽きるではないか」
「貴族としては変わり者だけれどな」
手放しの称賛に照れたアルフレドは自虐を言う。
「だったら、わたしも同じだ」
「君は更に人前にも出ないし、相当だね」
「ああ。筋金入りさ」
くく、と喉の奥で機嫌良さげに笑ったエリアスは続ける。酔いに任せてとんでもないことを言う。アルフレドはこういうところが良い。妙に遠慮して話すのではなく、嫌味なく言ってのける。だからこそ、素直に受け止められる。相手に遠慮せず、させない。気の置けない者との会話は心地よい。更に言えば、なにかを成し遂げようと知恵を絞り、労力を厭わない者が語る内容はとても興味深い。
ワインを過ごしているな、と思い、どうやって取り上げるかを思案した。酔いは思考を鈍らせ、大胆なことも口にする。
「人目を憚りながらも、ベルガミン子爵夫人に頻繁に会っていたのは経験がなかったからだ」
「まあな。そもそも、対人スキルが低い」
本人を前にして言い切るアルフレドもまた、酒精の支配下にいたのかもしれない。
エリアスは声に出して笑った。
心地良い。次の日に二日酔いという難儀が待っているにしろ、今はこの酩酊にたゆたっていたかった。
「だったら、娼館へでも行ってみるか?」
アルフレドはエリアスにベルガミン子爵のあれこれを相談されたのに、その結末が残念なものになったことに対して、多少の責任を感じていた。
「ほう。詳しく聞こうか」
そんな風に他愛ないことを話し合う。
化け物を身に飼う侯爵は、麗しく笑う。
その手袋の下、左手の甲には数本の深い皺が、人の面相のようにくっきりと刻まれている。
これにて一章は終了です。
次回二章からは毎日一話ずつ更新します。
していなかったら、忘れているかパソコンの調子が悪かったと思って下さい。
新しいパソコン発注したんですけれど、
メーカーサイトのマイページに入れない。
・・・アドレスを間違って登録したみたいです(うっかり)。
つまり、いつ届くか分からないということですね。
(いや、注文番号は分かるんですけれど、そもそも、受付られているのかしら)




