国内事情
府中市
府中刑務所
すっかり刑務所とは呼べなくなった府中刑務所では、マディノ元子爵ベッセンが収穫の少なさに嘆いていた。
「もう少し八王子には期待していたんだがね。
府中の倍以上の人口なんだから、才能ある子がいっぱい発掘出来ると考えていたのだが」
本人は水晶玉に魂を入れて嘆いているので表情がわからない。
こういう時、ベッセン担当の公安調査官の福沢は応対に困ってしまう。
新たに魔術教育を受ける日本人の子供達は僧職の子弟が8人。
大陸系も5人発掘出来たが、神職系は皆無だった。
「政令指定都市の発掘は許されないのかな?
さいたまとか、千葉とか」
東京と横浜と言い出さないのは両都市とも人口が激減しているからだ。
横浜市も現在は人口が340万人程度にまで減っている。
「許可が出るわけが無いでしょう。
当面は立川市で我慢して下さい。
それとこれが外務省からの問い合わせです」
ベッセンを担当する公安調査官の福沢は、外務省から渡された書類を渡してくる。
「海棲種族の大使館開設に関する問い合わせなんて専門外なんだけどなあ」
「地球の海水による毒素からお客さんを守れる結界の構築。
それだけでいいんですよ」
日本を守る地球の海水は年々範囲が狭まっているのが、海棲種族への尋問により判明した。
高麗本国3島や樺太島西部などは既に効果の範囲外に指定されている。
正確な範囲を絞り混む為にも海棲亜人の協力が必要だった。
その為にも窓口となるシュモク族に品川に大使館を開館させることにしたのだ。
また、国交正常化を果たした螺貝族も大使館を設置することとなった。
こちらは独立国扱いで、ガンダーラから旧ミャンマー大使館を買い取り、しながわ水族館を寮にすることなっている。
「去年捕虜にした女騎士さんに使者になってもらい、交渉が続いていました。
三大部族の崩壊という状況を見て国交の正常化に合意して来ました。
ですが両大使館と寮には大量の海水が必要となりました。
今は範囲外から海水をわざわざ運び込まないといけません。
タンカー1隻を割り当ててますが、正直経済的ではないと財務省がお怒りなのでして、早急にお願いしますね」
いっそタンカーとやらを大使館にすればいいのにとベッセンは思ったが黙っていることにした。
せっかくの研究の機会を逃すような事は出来ないからだ。
「いいさ、予算と時間はちゃんとくれよ?」
大陸東部近海
日本国海上自衛隊
新京地方隊所属はつゆき型護衛艦『いそゆき』
大陸東部近海を航行する護衛艦『いそゆき』は、僚艦の護衛艦『しらね』とともに長期航海に同行する船団を待ち受けていた。
「そろそろの筈だな」
艦長の石塚二佐は、腕時計を観ながら船団の到着を今や遅しと待ち構えていた。
「レーダーに感有り。
当艦の後方距離12,000。
ルソン船団数42隻を確認。
クルーズ船30隻、貨物船10隻、巡視船2隻、約15ノットで、航行中」
「旗艦『マラパスクア』より通信。
当艦隊の護衛を感謝す、です」
副艦長の神田三佐が通信を要約して伝えてくる。
「船団の前方を警戒しながら航行する。
針路0-0-2、舵固定、速力14ノット。
合流の時間を向こうに伝えておけ」
ルソン船団とはまだ距離があるので、速度を落とし前進しながら合流を果たすことにした。
連絡してきたルソン沿岸警備隊の巡視船『マラパスクア』は、日本がルソンに供与した40m型多目的即応巡視船の1隻である。
転移前の日本とフィリピンとの南シナ海への国際貢献として、供与が決まっていた十隻の巡視船の1隻である。
もう1隻の巡視船『スルアン』が四番船、『マラパスクア』が3番船にあたる。
ルソン船団は米国より要請された西方大陸アガリアレプトへの援軍を運ぶために航海をしていた。
アウストラリス王国が用意した大陸東部、南部から集められた5万の兵団がこの船団に乗船している。
ルソン船団は日本、高麗、新香港に次ぐ大規模船団を保有している。
フィリピンの船籍をもつ船と国籍を持つ船員が、転移時に日本近海を多数航行していた為だ。
ルソンは海運としての産業を成り立たせている。
「しかし、えらく時間が掛かったものだな」
百済サミットから8ヶ月。
いくら中世的なアウストラリス王国とはいえ、時間が掛かりすぎだと石塚艦長は肩を竦める。
兵員の輸送には日本が大陸に敷いた鉄道も使用されているのだからこんなに遅い筈がない。
「王国側の嫌がらせでしょう。
我々が渋っている間に快く快諾したふりをして援軍の出発を遅延させる。
その間は地球系同盟諸国は次の援軍の準備は行っていませんでした」
その間も米軍の弾薬や燃料は消耗して損害も増える。
米軍の力が衰えれば自衛隊の負担も増えて、地球系同盟国・同盟都市への補給も減る。
かといって抗議をしようにも王国側は自らの未開を盾にとって、開き直っている。
むしろ努力を評価しろとまで言われて、ロバート・ラプス米国大使が苦虫を噛み潰して胃炎で入院したという。
神田副長の分析に石塚艦長はうんざりした顔を出す。
「気の長い話だな。
一世紀や二世紀後の話か?」
その間には王国の民も地球系諸国から学び尽くして対等以上の関係になっているかもしれない。
「我々が停滞したままならそうなるでしょうけどね」
「さし当たってこの老朽艦では長期航海はきつくなってきたな」
「本国で最後に新鋭護衛艦は温存する気らしいです。
財務省は本艦を沈むまで使わせる気らしいですが」
潜水艦だけは毎年就役しているが、護衛艦の就役は予定が明かされていない。
この『いそゆき』や『しらね』も本来なら十年以上前に退役していた筈の艦だ。
この世界の軍やモンスターなら十分以上な戦力として使えるので、残されているにすぎない。
代わりに海上保安庁の巡視船は転移前の二倍の規模にまで増産されている。
この世界の暴力的な脅威にはその程度の戦力で十分だと判断されているのだ。
神田副長は話題を変えるべく最近聞いたニュースを話し出す。
「そういえば聞きましたか艦長?
我々が戦った螺貝族の連中が東京に大使館を開設するそうですよ?
同盟国として、あの巨大ヤドカリと共同作戦をするかも知れないと思うと頭が痛いですね」
「私が退役してからにしてくれないかな?」
ブリッジの中は笑いに包まれていた。
東京都三田
アウストラリス王国大使館
アウストラリス王国大使館は、ブリタニカとして統一された為に閉鎖された旧オーストラリア大使館を購入して使われている。
大使として赴任しているレーゲン子爵が部下から今朝のニュースを伝えられる。
「新設の大使館?」
「はい、詳細は不明ですが我々と同じように閉鎖されていたブルネイという国が使っていた大使館を使うとか」
旧ブルネイ大使館はここから3キロ程の距離にある。
「おそらく人種の国では無いのだろうな。
我々以外に人種の国など残ってはなかったのだからな」
数日後、旧ブルネイ大使館と同じく閉鎖されていたアクアパーク品川という水族館がシュモク大使館としての活動を開始した。
樺太道
敷香町
陸上自衛隊上敷香駐屯地
旧日本軍陸軍飛行場跡を利用した駐屯地では、第51普通科連隊の出陣式が行われていた。
防衛大臣乃村利正は、スピーチの後に連隊幹部達との昼食会に参加している。
南樺太を選挙区とする政治家だが、豊原産まれの亡き父に影響されて転移後の南樺太返還交渉で辣腕を奮った。
その功績で政治家としての知名度も上がり、議員三期目にして防衛大臣のポストを手に入れた。
右翼寄りと言われるが、日本国民戦線とは一線を画する立場を取っている。
昼食会のメニューは隊員達が耕した畑の農作物や駐屯地に併設された海自の隊員が漁船を仕立てて漁獲した瀬戸内海の海産物。
駐屯地内の畜舎や牧場で育てた牛や豚などが机の上に調理されて上がっている。
自衛隊駐屯地・基地の地産地消も十年以上の歳月で拍車が掛かってきたのに乃村は苦笑してしまう。
「普段の私よりもよほど良いものを食ってるよ」
大臣のコメントに食堂で笑いが起こるが、大袈裟な話では無い。
この国の大半の国民は未だに配給制だ。
最もメニューに気合いが入ってるのは、昼食会に参加している乃村の女性秘書達に隊員達が鼻の下を伸ばしているのも無関係ではなさそうだった。
婚活では常勝不敗と言われる自衛隊隊員達でも、駐屯地内で見る一般女性は貴重なのかもしれないと不謹慎な分析を乃村はしていた。
ここで現実に引き戻してみる。
「さて君達が大陸に渡った後、この駐屯地は西方大陸アガリアレプトから帰還する第17特科連隊が訓練に入る。
ロシア系の82mm迫撃砲2B14、152mmカノン砲2A36「ギアツィント-B」、122mm榴弾砲D-30の再現が完了したからな。
北サハリンの需要分を満たし、余剰分が入手出来たので、ようやく目処がたった」
乃村は得意そうに語るが、連隊幹部達は微妙な顔をしている。
ロシア系統の兵器を使用しているのは51普連も同様だが、乃村が述べた兵器は何れも一世代前のものだからだ。
本来第2師団所属の51普連は国産兵器を装備する筈だった。
それが大陸への駐屯が決まり、ロシア系統の兵器の転換訓練を行れた。
最新型のロシア製兵器は北サハリンが温存して入手が出来ない。
現状のこの世界では在庫として残ったロシア系統の兵器でも充分な性能なので、財務省も防衛省も諸手をあげて歓迎した。
だが現場の隊員達は、微妙な気分に支配される。
最新鋭の米軍装備が支給される第16師団との差がひどいからだ。
第1特科旅団に所属していた第17特科連隊も現地の米軍から供与された米軍系統の兵器を装備したのに今度はロシア系統の装備の転換訓練とは泣けてくる話だった。
連隊長の百田一佐は恐る恐る訪ねてくる。
「大臣、我々はいつになったら国産兵器を?」
「あと数年は待ってくれ。
来年の調達予算も第7師団分と決まっているしな」
アウストラリス帝国崩壊後、賠償金代わりの鉱物資源の接収により、新規の国産兵器が生産されるようになった。
国産兵器の生産は公共事業の一環となり、生産数は大幅に増加させた。
しかしながらアガリアレプト大陸派遣部隊への補給も優先される事情もあり、国内部隊は未だに更新を完了出来ていない。
それでも第1から第6師団にまでは優先配備、調達された。
各師団で余剰となった兵器は第9から第14師団にまわされている。
耐用年数が限界に達しても、修理不可能、壊れるまで使えという財務省の基本方針に逆らえない。
自衛隊も隊員数が増加している今、装備品の調達が追い付かないのは問題となっていた。
乃村は現実に引き戻しすぎたと少し後悔する。
消沈する隊員を見て話題を変えるべくメモ帳で話せる内容のものをピックアップする。
「数日後に君達はフェリーで函館から旅立つが、その際に函館で少し任務にあたってもらう」
「国内で任務ですか?」
「ああ、正式な命令書は明後日に届くと思うが、要人の移動に使用される新幹線の警備だ。
私も彼等に同行するが、線路の周辺をパトロールしてくれればいい」
「新幹線が動くのですか?」
「ああ、一年ぶりだな。
当日の線路周辺は見物客が多数現れるだろうからよろしく頼む」
新幹線が動くことに隊員達が色めきたつ。
転移後、国民の転居に制限を掛ける為、一時的に鉄道を無期限で停止させた。
これは食料を生産出来る地域への移住を防ぐためだ。
各自治体は住民数の定数化に踏み切り、新住民は在地住民の推薦が必要になった。
当然、親族が優先されて不満が高まる。
国民の大多数が勿論これらの法案に反発し、都民が大量に流出した千葉県や埼玉県で在地住民と東京流民が各地で流血を招く争乱にまで発展した。
特に千葉県市原市で起きた『市原暴動』では、自警団、警察、流民に数十人の死者を出すまでに至った。
この時、警官隊は転移後初めて国民に向けて発砲した。
この事件以後、法案の反対運動はなりをひそめる。
銃弾は全ての言論に勝り事態を終息させた、という批判は今でも聞こえてくる。
しかし、実際のところ配給の都合上、住民の転居が望ましく無いことも確かだった。
食料を得る賭けに出て転居するか?
少量だか確実に食料を入手出来る現住所に留まるか?
後者のメリットが周知されたことも大きい。
旅行中は配給も受けれないので、長距離の鉄道を使用する者は激減した。
これらの規制は皇国との戦争に勝利し、食料が賠償金として送られて来たことで緩和しつつある。
それでも需要を完全に満たせず、規制の完全解除の法案を政府は否決し続けている。
このような現状では、新幹線は余程のことが無い限り動くことは無い。
ただし、いつでも動かせるように整備だけは付近住民の協力のもとに行われていた。
「函館から東京までは、基本的に現地の各部隊や警察が警備する。
北海道の担当は君達だ」
「わかりました。
関係各所と話を詰めたいと思います」
新幹線が動くのを特等席から見られると、隊員達が盛り上がっている。
「他に何か気になることはあるかな?」
百田一佐は少し考えて、後任の特科の砲声が畜産に与える騒音ストレスの影響について語りだして乃村を困らせることになる。
百田一佐の長話から解放された乃村は秘書やSPを引き連れて北海道に移動し、航空自衛隊の千歳基地に向かう。
この基地には日本が保有する唯一のF-35戦闘機が保管されている。
日本の小牧市にあるFACO(最終組み立て検査施設)で製造された最初のF-35Aである。
転移の時期については2015年の後半と認識されている。
この機体は2015年12月15日に、中央部胴体を完成させてからFACOに搬入されていた。
幸い2016年1月に在日米軍がF-35に配備する計画があり、事前に持ち込まれた部品を日本が購入して完成にこぎ着けた。
同機は航空自衛隊向けの5号機(AX-5)であり、転移2年目には航空自衛隊に納入されている。
問題はステルス戦闘機が、この世界で使い道が無かったことだ。
レーダーを使う敵がいないので、存在意義まで疑問視されていた。
地球系国家ならレーダーも使うが、同盟国への配慮と外務省と予算をバカ食いする機体への苦慮を主張する財務省のタッグにより、予算は大幅に減額された。
さらには帝国との戦争や生産に必要な資材の確保、ブラックボックス等の解析に時間が掛かったこともあり、6号機(AX-6)の生産は転移六年目までずれ込むはめになった。
その後も技術の維持の為の生産は行われており、11号機(AX-11)までは航空自衛隊に納入されて、北サハリン空軍を仮想敵として千歳基地で訓練が行われている。
乃村は米軍すら保有していない唯一のステルス戦闘機として、その機体の優美なラインを自らもカメラで撮影しながら秘書達に語り出す。
「F-15やF-2で十分とかいう意見もある。
最もだと思うけどね」
「生産再開は大臣が骨を折られたと伺ってますが、その熱意はどこから来たのですか?」
自らも海上自衛隊の護衛艦『あさぎり』艦長を父にもつ秘書の白戸昭美が疑問を口にしてくる。
乃村は間もなく乃村家に嫁入りするこの秘書を大変気に入っていた。
次男の利伸の同級生だったが、事務能力が抜群だと推薦して来た時は驚いたものだった。
「決まっているじゃないか、そこにロマンがあるからだよ」
必要性が全く無い点については、他人には聞かせられない理由だった。
「えっと、近日中に最もらしい理由を専門家に作ってもらいます」
「ああ、楽しみにしているよ」
生真面目な娘だと思いつつ、何故、あの放蕩次男に射止められたのかさっぱり理解できない。
次男の利伸とも最近は会話をして無いことを思い出す。
「そういやあいつ、今何をしてるんだ?」
大陸で大学時代の仲間と貿易会社を創り、財をなしたのは聞いている。
仕事の関係上、日本にもしょっちゅう帰国しているが乃村の仕事の関係もあってほとんど顔を合わせていない。
「聞いていませんでしたか?
今は小樽港に本社船を停泊させて滞在してますよ。
私も明日からの休暇中はそちらに参ります」




