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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第一章 (仮)
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第九十六話 決意

 もうほぼ気を失っているに等しかった。

 目の前から敵がいなくなったのでエリッツは糸が切れたようにその場に倒れこむ。周りのレジス兵たちも同じように倒れたり、膝をついたり、中にはすでに寝ている者もいる。だが周りを気づかう余裕はなかった。少し顔を上げると帝国兵たちが敗走してゆくのがわかる。馬で追っているのはリデロたちだろうか。馬たちが地鳴りのような音をあげ駆けているが、疲れ切ったエリッツはちらちらの揺れる灯りに眠気をさそわれてしまう。

 夜になっているのはわかるが、いったいどれくらい戦っていたのだろうか。重たい長剣を使ったので腕がもうぴくりとも動かない。致命的な大怪我こそしなかったが、あちこち傷をつくっているようで、今さら体中が痛みはじめる。疲労のためか頭痛と吐き気までする。

 突然、背中に何かがのってきたので、「ぐぅ」と変な声が出てしまった。

「何? マリル?」

 自分の声ではないようにかすれている。

「お疲れ様。なんとかなりましたねぇ」

「なんとかなったの? その前になんでおれの背中にのるの?」

 その直後、ドンと下から突き上げるような揺れと地鳴りがしてエリッツは思わず地面に顔を伏せる。

「おおー。きみのお師匠さんだよ。強いなぁ。外に出た途端にアレだ。ちまちました術は苦手らしいからね」

 何だか楽しそうだ。しかしあの帝国兵を追ってゆく騎馬の中にシェイルがいるのか。あんなに戦ったあとでまだ動けるのかと空恐ろしい思いで揺れ動く灯りの群れを見つめる。

 そのとき一人の兵士がこちらに駆け寄ってきた。

「ウィンレイク指揮官、報告します。伝令によるとマルロの砦を奪還し帝国軍は全軍撤退とのことです。レジス市街に被害はありませんでした」

 エリッツの背中に馬乗りになっているマリルに生真面目に敬礼する。もうちょっとこの状況に疑問をもってくれないものだろうか。

「ご苦労様です」

 マリルは例の少し鋭い「ウィンレイク指揮官」の声で兵士をねぎらうと、あろうことかそのままエリッツの背中の上に立ち上がる。「んぐぅ」とさらに変な声が出た。

「全員すぐさま通常業務に戻ってください。いつまでも寝ている者は顔面に膝を入れます」

 周りで伸びていた兵たちが大慌てで起きあがる気配がする。このあと諜報や暗殺の仕事に戻っていくのか。過酷な職場だ。

 兵たちが急いで身支度をしている物音を聞きながら意識はゆっくりと遠のいていく。マリルの部下じゃなくて本当によかった。

 たくさんの夢を見たような気がする。ほとんどすぐに忘れてしまうようなものだったが、森の中の岩場で猫と昼寝をしている夢だけはかなり鮮明だった。夢の中でまで寝ている。

 頬にあたるまだ冷たい春風と泉がわいて流れてゆく音、木々のざわめきにあわせて揺れる木漏れ日、ときおり猫が寝返りをうつ気配、風でページがめくられてゆく読みかけの本。

 うっすらと目をあけたとき、エリッツの目には涙がたまっていた。

 帰りたいと切実に感じる。

「気がつきましたか」

 背後からシェイルの声がする。馬上だ。落ちそうな気がしてあわてて馬の首にしがみつく。

「すみません、寝てしまいました」

 レジスの街に向かっているのだろうか。みな疲れ切った様子で馬をゆっくりと歩かせている。斜め前方にはリデロとやはり眠っているアルヴィンが見えた。

「エリッツ、これを。殿下に返しておいてください」

 ヒルトリングをさし出され、エリッツは逡巡する。やはりこれを受けとることはできない。

「おれ、実家に帰ります」

 シェイルは黙っていた。前方が明るくなっている。まもなく夜明けだ。

「レジスの街に着いたら乗り合いの馬車で帰ります」

 黙って帰るわけではない。ちゃんと伝えてから帰るのだから不義理にはならないはずだ。しかしシェイルは何もいわない。不安になってふり返るがただ前方を見ているだけだ。朝焼けが夜のような目にうつりこんでとてもきれいだ。エリッツはまた師にみとれる。

「残念ですね」

 小さくそうつぶやくとそれ以上はもう何も言わなかった。


 何も持たずに家出してきたので持ち帰るべき荷物は何もない。シェイルとはレジスの街に入ってすぐあっさりと別れた。もともとあまりしゃべる人ではないのでエリッツの方も別段いうべきことがない。それにしてもまったく引きとめられないのは少しさみしかった。

 そういえばいつの間にかマリルもいなくなっている。部下だけではなくてマリル自身もすぐに本来の仕事に戻ったのだろう。

 それにアルヴィンも眠ったままだ。あの食いしん坊のアルヴィンが食事もとらずに動けなくなるまで戦ったのだから無理もない。

 お別れをいう相手が少なくて静かな旅立ちになってしまった。自分でも薄情だとは思うが時間が経ってしまうと決意が揺らいでしまう。

 馬車代を持っていなかったので、申し訳ないと思いつつもカルザム長官の短刀を売り払うことにした。兄の持ち物であればさほど気が咎めなかっただろうが、そういったものは全部兄の部下に返してしまっていたので仕方ない。以前のエリッツならそんな大それたことできなかっただろう。

 しかもカルザム長官の短刀というのが、けっこうな額のお金になってしまった。もしばれたら請求がセレッサの方にいったりしないだろうか。カルザム長官がセレッサとエリッツが入れ変わっていたことに気づいていればいいが。どのみち仕事ができるようになったらきちんと返済はするつもりだ。

 馬車に揺られながらエリッツはこれからのことを考えていた。時間はたっぷりとあったし、胸元にはシェイルにもらった紙とペンがある。やるべきことを思いついた順に書きつけていたらサムティカに着いたのは案外早く感じた。

 まずは父に謝らなければならない。

 グーデンバルド家は田舎だけあって屋敷も敷地も広大だ。だが不思議なことにエリッツは以前感じたような威圧感をあまり感じなくなっていた。正面の獅子が象られた意匠の門も少し錆びついている。

 父と話すのは少しだけ憂鬱だ。だが目的のために手段を選ぶつもりはない。


 父はさしてエリッツに興味がないようで相当の覚悟をして謝罪にいったが「わかった」といったきり、部屋を追い出されてしまった。思い返せば家出をしていた期間はとても短く、エリッツの部屋もこまめに掃除はされていたようだがほぼそのままだ。家出をする前に読みかけていた本がベッドサイドに置きっぱなしになっている。

 エリッツの家出はここではたいした事件でもなかったわけだ。

 しばらくは特に何事もなく日々は過ぎていった。レジスの役人がローズガーデンでの出来事の件で事情聴取にくることはあったが、それ以外は家出をする前とまったく同じ変化のない日々だ。ワイダットもあれこれと詮索することなく、以前と同じように稽古をつけてくれる。

 だがエリッツの中では以前とは確実に違っていた。


 季節がめぐり、晩秋のある日またレジスから役人がやってきた。時間が惜しいが仕方がない。どうせまたローズガーデンの件だろうと、呼ばれるままに応接へ向かう。遠路はるばるやってきては何度も何度も同じことを聞くのでうんざりするが、役人とはそれが仕事なのだろう。

 しかしこちらから調査の進捗状況を聞いてもあまり教えてはくれない。デルゴヴァ一族が失脚したことくらいは国官報というレジスの公的な広報紙で知ったが、詳細は不明なままだ。

 クリフは無事なのか。ルーヴィック王子やその母エラリス様はどうなったのか。気にはなるがゴシップ誌などの真偽があやしいものを調べているような暇はない。

「ぃよっ」

 重たい応接の扉を押すと、中から軽い声に迎えられた。控えていた使用人が眉をひそめる。エリッツは淡々と人払いをした。これは長くなりそうだ。

「お久しぶりです。ゼインさん」

 エリッツは応接のやわらかなソファに浅く腰かけた。

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