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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第一章 (仮)
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第八十八話 背中

 帝国軍とておとなしくはしていない。こちらと違ってまだ混乱がおさまらない状況のようだが、それでも鋭い炎の矢のようなものが無数に放たれた。しかしこちらは騎馬だ。動く的に当てるのはかなりの精度を求められる。

 しかもリデロのその目のよさは桁違いなので、炎の矢はこちらに届く前に術兵たちの防御により跡形もなく打ち消される。術が放たれる前から炎式であることが分かっていたのだ。

 一部の術士には術素の動きが見えている。実はシェイルにも見えているのだが、どれほど見えているのかはかなりの個人差がありそれを正確に知るすべはない。自ら手の内を明かすような術士はまずいないと考えた方がいい。

 術素があることしかわからない者から動いていることがわかる者、術素の種類まで見る者もいる。さらに細かく流れを把握できる者もいて、見え方も千差万別だ。戦場に術士がいるかどうかはある程度「見える者」が見れば一目瞭然ということになる。何しろ術素が異様な動きをしているのがわかるのだから。まさに自然の理を曲げていると表現するのがふさわしい。

 リデロほど目がいい者にとって真正面からむかってくる炎式を打ち消すのは容易だ。その術素をこちらですべて奪ってしまえばよい。アルヴィンは同じ術式をぶつけると表現したが、まさに原理はその通りだ。術士の能力次第だが、術士の手を離れた術素を奪うのはその手に抱え込まれている時より容易である。同じ炎式を使う要領で手の内に術素をかき集めてしまえばよい。

 ただし複合術式の場合は指揮官の目がものをいう。炎式に雷式が複合されるとわかりにくくあまり目がよくない指揮官の場合は判断を誤る。

 さらにレジス軍の規定されている四術式以外を使われた場合は避けるか、指揮官ひとりで何とかするしかないわけだが、近隣の国々で使用されている術式に関しては諜報による調査が進んでおり対処方法も随時研究がされていた。とにかく術兵の戦法というのは奥が深く、術兵の指揮官に求められる能力はおそろしく高い。

「行き、ましたよ」

 リデロがにやりと笑う。エリッツだ。障害となる帝国兵を斬り倒しながらもとうとう坑道の奥へと消えた。当然その背を多くの兵たちが怒声をあげながら追ってゆく。この距離であれば術兵がエリッツを狙ったとしても援護してやることができる。リデロにその気があれば、だが。

 帝国兵たちもレジスの術兵たちが全力でエリッツを援護すると踏んでいるのであろう、無駄になりそうな攻撃をエリッツに仕掛けようとはしなかった。

 エリッツを追わなければならないと直情的に考えてしまったが、それは正しい判断ではない。

 ふとシェイルは冷静になる。坑道の外で援軍が来るまで待機するのが上策ではないか。坑道がどうなっているのか、どれほどの帝国兵がいるのかもわからない。町の中の痕跡を見るに少なく見積もってもこの隊の五倍以上はいるはずだ。しかも背後からはさまれる可能性も高い。坑道内でそんな状況に襲われれば全滅する。そんな危険に優秀な術兵たちを巻きこむわけにはいかないだろう。

「この先は危険です。いったん引き返しましょう。援軍が来るまで外で待機します」

 リデロは敵術兵を蹴散らしながらも不思議そうな顔でシェイルを見た。至近距離での戦いは武器による物理的な攻撃に加え、術をあやつるというかなり集中力を消耗する戦い方になる。これは術兵が一番嫌がる状況だ。精鋭の術兵たちはいともたやすくそれをこなしているように見えるが、やはりこのまま進ませるわけにはいかない。

「開放系以外の、風式と水式で、エリッツ様を追えます」

 リデロは突然大声を出す。

「わたしに指揮をしてほしかったんじゃないんですか。従いなさい。退却です」

 シェイルもつられて大声を出す。部下たちを見殺しにするつもりなのか。

「援軍がくるか、わかりませんよ」

 なぜかリデロはくいさがる。敵兵を前に言い争っている場合ではない。昨日会ったばかりのエリッツに何をそこまでこだわっているのか。

「退却です」

 有無を言わさぬ口調で告げると、リデロはこれまで見たことがないような形相でシェイルをにらみつける。

「シェイラリオ様、誰にも言ったことは、ありませんが、俺は、術素以外も、見えるんですよ」

 捨て台詞のようにそう吐き捨てると、そのまま敵兵の攻撃をかわしながら黙って引き返してゆく。退却の号令もないがレジスの術兵たちは粛々とそれに続いた。信頼しているのだ。リデロのことを。

 しかし何が見えるというのか。本当に不気味である。

 シェイルも引き返そうとし、未練がましく坑道の奥に目をやる。帝国兵が多くいるのになぜかエリッツの背中が見えた。カルトルーダの背で奮闘し、まだ無事でいる。しかし術兵たちの援護がなくなった今、それは時間の問題だ。

 戻れと言ったのに戻らなかった。他の者を犠牲にすることはできない。これ以上どうすることもできないではないか。

 急に胸を圧迫するような強い痛みに襲われる。エリッツの小さな背中があの日のガルフィリオの背中と重なった。

 誰もシェイルの話の矛盾を追求しなかったが、シェイルが最後にガルフィリオの背中を見たという証言はおかしいのだ。殴られて気絶したところを沼に捨てられているのだから、見ているはずがないとは誰もいわなかった。いわないでいてくれたというべきなのか。

 かなり殴られて沼に放られたことは事実だが、気絶していたわけではなかった。他に頼る者のないシェイルはどうせ追いかけて来るだろうという高をくくったようなガルフィリオの態度が癪にさわったのだ。逆にガルフィリオの方が心配して引き返してくるに違いないと、幼いシェイルはその背中をただ見送った。しかしいつまで経ってもガルフィリオは戻っては来なかった。素直にその背中を追いかけていれば――。

 少なくとも長くこんな思いにとらわれることはなかったはずだ。

 まさかリデロはこういうものが見えるのだろうかと、益体もないことを考える。

 シェイルは目の前の帝国兵を長剣で斬り伏せ、手綱を引いた。

 エリッツは敵兵に囲まれながらもなんだかぼんやりしたような顔をしている。鬼神のような形相で戦っているのかと思ったが、いつものエリッツだった。見たところ小さな傷をいくつも負っているが致命的な怪我はない。

 ようやく追いついた。

 こっちは必死でここまできたというのにエリッツの方は何だかふんわりしている。

「エリッツ、殿下にもらったものを出しなさい」

 互いに背後を守るようにして取り囲む帝国兵に応戦する。このままでは先が見えている。簡単に突破できる人数ではない。術兵たちは坑道内の接近戦であるからか様子を見ているようだが、そのうち攻撃してくるに違いない。

「え、何の話ですか」

 エリッツの声が上ずる。この期に及んで誤魔化すつもりだ。

「いいから早くしてください」

 気づいていないとでも思っているのだろうか。何度も胸元に手を当ててため息をつき始めたのはラヴォート殿下に呼び出された後からだ。濡らしてしまった封書があることを打ち明けられず長く胸元に隠していたこともあったので、シェイルはその動きの意味することをすぐに察知した。ラヴォート殿下に何かを渡され、それはシェイルに気づかれたくない、ため息がとまらないほど憂鬱なものであるということだ。

 観念したようにエリッツは黙り、衣服を探っているような気配がする。そしてそっと後ろ手に渡されたものは予想通りのリングだった。なぜかそのまま手を握ろうとするので、リングだけをつかみ取る。

 シェイルの知っているレジス軍のヒルトリングとは違う。各段に薄くシンプルだ。

「わたしにこんな真似をさせて、後で折檻ですからね」

 いいながらシェイルは渡されたリングを左手の中指にはめる。

「――あ、ありがとうございます」

 なぜかエリッツが背後で礼をいっている。ラヴォート殿下のせいでエリッツは折檻の意味をはきちがえてしまったようだった。

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