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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第一章 (仮)
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第六十六話 御前

 部屋の鍵があいた。とっさにエリッツは部屋のドアをあけてすべりこむように中に入る。

「あ、こら」

 兵士たちは後に続こうとドアを押さえた。

「ちょっと! あたしが着替えの手伝いに呼んだのよ。後ろに手が届かないの。終わったらすぐに行くから、まだ入らないでちょうだい」

 セレッサが大声をあげたので、兵士はあわてて扉から手をはなす。

 エリッツの先ほどの話とセレッサの今のセリフは状況的に支離滅裂なうえ、着替えの手伝いに男を呼ぶことも不自然だ。しかし着替え中の女性から入るなと怒鳴られれば男性の反応はおおよそ同じである。

「し、失礼しました」

 兵たちは口々に謝罪すると扉をしめる。

 エリッツはほっと息をはいた。

「遅い! 急いで」

 声をひそめつつも急き立てるセレッサにエリッツはあわてて服を脱ぐ。エリッツのことを信じて待っていてくれたのか、毒杯を運ぶのが心底嫌なのか、てきぱきとエリッツに服を着せるセレッサは真剣そのものだ。

「化粧をしなくていいかしら。その傷、ちょっと目立つわね」

 セレッサが急に不安げにエリッツの顔を見上げる。

「ヴェールで顔は隠れるし平気だよ。それに戻るときに顔を洗わないといけなくなる……あ」

 ふいに黙り込んでしまったエリッツをセレッサは不思議そうに見ている。

「何? どうかしたの?」

「いや、ごめん。たいしたことじゃない」

「もう時間がない。顔を見られないように気をつけて」

 着替え終わったエリッツの背中をセレッサは力強くたたくと、廊下にむけて「今、行くから」と声をあげる。

「セレッサはどうするの」

「ここで待ってる。終わったらすぐに戻ってきて。あと、赤い服の女が誰なのかは上の方の人しか知らないはずだから、もしも顔を見られたとしても堂々としてること」

 いいながらセレッサは部屋の奥の物陰に隠れる。エリッツが部屋を出るときに兵士たちがセレッサを見つけたら妙に思うだろう。だが、エリッツ自身が出てこないのもあやしくないだろうか。

 余計な詮索をさせないよう、扉の外に出ると素早く後ろ手でドアを閉めた。

「さあ、急いでください」

 兵士たちはそんなことよりも時間を気にしているようで、出てきたエリッツをよくよく確認もせず小走りになる。エリッツとしてはありがたい限りだ。

 声を出せば気づかれてしまうので黙って兵士たちに続く。

 しかし、前方の兵士が急に足を止めたのでエリッツはまともにぶつかってしまった。兵士たちはあわてたように廊下の両端に整列し直立不動の姿勢をとった。エリッツは何が起こったのかわからないまま廊下の真ん中に取り残される。

 前にいたのは二十代後半くらいの青年である。衣服は上等なもののようだがよほど長いこと着替えていないのか、あちこちがしわになりこのような式典にはふさわしくない。髪も金糸のようにかがやいているものの寝ぐせなのかあちこちにはねており起き抜けのような様子だった。顔はほっそりと青白く眼鏡をかけていて、先ほど見たエラリス妃の面影がある。今、その藍色の目は好奇心で子供のように輝いていた。

「ねぇ、何してるの」

正面にいるエリッツにつかつかと歩み寄ってくるが、声を出せば男だとわかってしまう。だが兵士たちの様子から無視していいような御方ではなさそうだ。エリッツは気後れして見えるように深くうつむいた。

「ねぇ」

 貴人にしてはえらく不作法である。うつむいたエリッツを下からのぞきこむように見てくる。見られたと思いあわてて顔をあげると今度は遠慮なくヴェールをめくる。幸い青年が盾になり、兵士たちからはエリッツの顔は見えていないはずだ。兵士たちにはさっき顔を見られている。

 男だとばれるだろうか。できるだけ視線をおとすくらいしかできることがない。

「ねぇ、名前は?」

 エリッツは答えられない。困ったような表情でうつむいているのが精いっぱいだ。

「あ、ごめん。ボクのことはルゥって呼んで。それで君は?」

 エリッツが黙っていると、しびれをきらしたように兵士たちを振り返る。エリッツはあわててヴェールをなおす。

「ねぇ、この子、誰?」

 無遠慮にエリッツを指さす青年に兵士たちも困ったように顔を見合わせる。意を決したようにひとりが一歩前に出た。

「殿下、大変申し訳ありませんが、上の者からはこの女性を所定の場所に連れていくという指示しか――」

「あー、もういいよ、いいよ。ラヴちゃんに聞くから。ラヴちゃんどこ?」

「恐れ入りますが、ラヴォート殿下はローズガーデンの式典に参加しておられまして――」

「えー、それ、今日だったのぉ」

 藍色の目を見たときもそうではないかと思っていたが、やはりこの奇妙な青年がルーヴィック殿下なのだろう。ラヴォート殿下を「ラヴちゃん」などと呼ぶことができる人物は限られる。エリッツはルーヴィック殿下の噂をほとんど聞かない理由がなんとなくわかってきた。

 おそらく噂自体はあった。だが、最近レジスに来たばかりのエリッツの耳に入るような噂ではない。大きな声でいうことができない、つまりよくない噂ばかりだったからだ。

 青年は急につまらなそうな顔をすると「じゃ、みんな忙しいんだ」とつぶやき、すねた子供のようにくちびるをとがらせた。――かと思うと、急にエリッツの方を振り返る。エリッツは驚いて一歩後ろに下がった。

「ねぇ、君、これが終わったらボクの部屋においでよ。今はみんな面倒くさそうなことしてるみたいだから一旦帰るね。じゃあ、またあとで。約束だよ」

 何だかわけがわからないがどうやらやりすごせたようだ。ほっと息をついているのはエリッツだけではないようで兵士たちも緊張にかたくなった体をほぐしている。

「なぜこんなところにルーヴィック王子が」

「相変わらずのご様子だな」

 やはり変な人ということで有名のようだ。

「気に入られたようで災難ですね」

 兵のひとりがエリッツに心底憐れみをこめた視線をむける。

「無駄口をたたいている暇はないぞ。急げ」

 もはや小走りどころではなく、エリッツのことなどかまわず全員走っていた。また走るのかとうんざりしたが、どうも建物内の様子に違和感がある。あまりにも静かなのだ。てっきり有事にそなえて多くの兵が警備に当たっているものだと思っていた。そういえば、客席に近く人の出入りがありそうな場所にいたのがセレッサたちの小隊だが、そのセレッサは毒杯を運ぶ役を兼任していた。手薄すぎるのではないだろうか。

「遅い。遅すぎる」

 ラヴォート殿下はやはりいらだっていた。人目が多いのでいつもよりも上品な口調だが、予定をだいぶ遅れていることは間違いない。

 兵士たちから何人かに取り次がれ最終的に殿下の御前に出た瞬間、気の毒なことに何の咎もない取り次ぎの男はひどく叱責されるはめにおちいっていた。殿下の御前で話をすることが許されているということはかなり階級の高い人物なのだろうが、エリッツのせいで懲罰をうけることになるのではないかと心配である。

 エリッツはきょろきょろとあたりを見渡した。客席からは死角になる貴人たちの天幕の陰だ。シェイルに会えるかと思ったが、やはりラヴォート殿下のそばにはいない。

「もう会食にはいっている。給仕をたのむ。毒杯は後だ」

 殿下はエリッツに短く指示を出すと、帝国の使者たちの天幕へと入っていた。状況の説明にいったのだろう。

 エリッツは周りに指示されるままに炊事場にむかう。炊事場は客席の優雅な雰囲気などみじんも感じられないあわただしさだ。「おい、皿が足らないぞ」「こら、それを焦がすな」「どけ、そこは邪魔だ」など、調理人たちが大声でやりとりをしている。給仕の経験などないからいろいろと聞きたかったが、とても聞ける雰囲気ではないし、第一声は出せない。なんとか自力でやり通すしかないだろう。

 天幕の中の北の王は食事をするためか、白い仮面は口元があいたものに変わっていた。エリッツはその姿を凝視する。外に比べて薄暗いため、目が慣れずよく見えない。

「何をしている。早くしろ」

 北の王の隣に控えていたのはダフィットだ。エリッツはあわててスープをテーブルに運ぶ。あせったせいで上等そうな敷物の上にスープを少しこぼしてしまうが、余裕がなさすぎていちいちかまっていられない。スープを置きスプーンも忘れずにそえて、ぼろが出る前にとそそくさと天幕を出ようとした。そのとき。

「ちょっと待て」

 ダフィットに呼びとめられる。ゆっくりとふり返るときびしい表情でエリッツをにらみつけていた。

「逆だ」

 ダフィットにいわれてテーブルを見るが、何が逆なのかわからない。スープの器か、スプーンか。エリッツの手順の話か、そもそも立ち位置が逆だったのか。

「聞こえなかったのか」

 あわてて解答を見出そうとテーブルに戻る途中で敷物をひっかけて盛大に転ぶ。顔面を強打しただけでなく、ひらひらとした服の裾が派手にめくれ上がってしまった。

「もういい。別の者を呼んでこい」

 ダフィットのいらだたしげな声を浴びて、エリッツの混乱は極致に達した。

「す、すみませんでした」

 そのタイミングでぼたぼたっと鼻血がたれる。声を出してしまったうえに、御前で下着を見せ、鼻血まで出してしまった。こうなってしまったからには何か言われる前に早く逃げなければ。もはや何のためにセレッサと入れかわってまでここに来たのかわからなくなってくる。

「お前、やけに声が低いな」

 ダフィットがエリッツを逃すまいと腕をつかむ。北の王は命を狙われているという噂だ。あやしげな者が給仕をしていたらとらえられるに決まっている。

 トンと、テーブルを指先でたたく音がした。見ると北の王がこちらの様子をうかがっている。ダフィットが異国の言葉で何かをいいながら主のかたわらに戻る。「フィル・ロイット」という単語が聞きとれた。北の王をそう呼んでいるのかもしれない。

 北の王はダフィットに何ごとかを耳打ちしている。

「はあ」

 ダフィットから何とも気の抜けた声がもれる。それを取りつくろうかのように、あわてた様子で言葉を重ねている。エリッツには意味がわからないが、この隙に逃げ出した方がいいのかもしれない。

「おい、ちょっと待て。どこへいく。こっちにこい」

 そっと天幕を出ようとしているエリッツにダフィットが鋭い声をあげる。

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