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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第一章 (仮)
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第四十五話 薬湯

 扉の前にいるのは兵。後ろからくるのはおそらく文官。エリッツの力で突破できる可能性が高いのは後者だ。だがシェイルのように軍部出身の文官もいるのかもしれない。いや、可能性を考えればきりがない。ここはアルヴィンを見習って深く考えずに動くしかない。

 後ろには確か階段があったはずだ。背後からくる人たちは数が多い。いったん階段をのぼって逃げよう。

 エリッツは背後からせまってくる人々にむかって走り出した。

 突然むかってきたエリッツに対して人々の反応はおどろくくらいに大袈裟だった。恐慌をきたして逃げまどい、ただやみくもに「殺される。殺される」と叫ぶ。一体だれと間違えているのやら。

 それでもとらえようと向かってくる人々をなんとかすりぬける。心の中で謝罪しながら二、三人は足払いをかけて走りぬけた。勝手に混乱してくれたおかげで思っていた以上に簡単に階段にたどりつく。しかし進路を確認もせずに一気にかけあがったのは軽率だった。なぜか踊り場にひとり兵がいる。

 戻ろうにもすでに階下は態勢を立てなおそうとした人々が集まりつつあった。兵は事態をまだ飲みこめていないようであったがそこはさすがに訓練をうけたものである。先にエリッツの進路に立ちふさがってから「何事だ!」と階下に叫ぶ。

 なぜここに兵がいるのだろうか。背後に何を守っているんだ。

 きらりと踊り場の灯りを照り返す。

 それは玻璃だ。玻璃の窓。

 エリッツは階段をあがろうとする素振りで兵士を誘いその右わきを素早くすり抜けた。そのまま窓へ体当たりする。その瞬間、何か熱いものが首元をかすった。

「本当に吹き矢を使うやつがあるか。あとで殺されるぞ」

「中の間に逃げられる。上に報告を――」

 そんな背後の会話を玻璃が砕ける甲高い音がさえぎり、エリッツの体は夜へと投げだされていた。すっかり暗くなっている。冷たい空気に包まれているのに何かがかすった首元だけが火のように熱い。体が強く地面にたたきつけられた衝撃はどこか遠くの出来事のように感じられた。本当に夕食に間に合わなかったなと思ったところでちぎり取られるように意識を失った。

 たくさんの夢をみたような気がしたが、気を失っていたのはほんの短い時間だったようだ。周りがさわがしいが、まぶたがおどろくほど重くて開かない。兵たちにとりかこまれているのかもしれない。耳をすますが何をいっているのかもわからなかった。しばらくその話し声を聞いていたがどうやらそれは異国の言葉であるようだ。

 ときおり「レジス」や「ロイ」という単語を聞きとることができたがあとはまったくわからない。はじめはさわがしいと感じた声だったが、耳が慣れてくるとそれは老婆と男のひそやかなささやき声だとわかる。

 困っているような老婆の声に落ち着いた男の声がさとすように重なる。男の方の声にエリッツは聞きおぼえがあった。会話が終わり、体が抱えあげられる。どこかへ運ばれるらしい。抵抗しようにもまったく体は動かない。感覚がほとんどないのにひどく寒さを感じる。相変わらず首元の傷だけが熱い。

「き、―王、に、あ……」

 声まで出ない。北の王に会わせてほしい。

「黙っていろ。この件は殿下が預かることになった。だがすぐにここへはこられない。しばらく中で待っていてもらう」

 中というのは北の王がいるところだろうか。この声はやはりラヴォート殿下の護衛のダフィットだ。

「まったく。見かけによらず大胆なまねをしてくれる」

 ダフィットはあきれたようにため息をついた。

 体は動かない、声は出ない、目もあけられない状況だが、一度でも会ったことがあるダフィットの声を聞いて少しだけ安心した。やがて室内に運ばれたようで少し温かくなる。薪が燃える音がしていた。なにか甘いにおいがする。だが傷のせいなのか震えるような悪寒は消えない。ものすごく気分が悪かった。

 やがてどこかやわらかいところにおろされる。ベッドのようだ。目をあけようとしたがやはりまぶたが重く、明かりが少し見えただけだった。

 あまり体の感覚がないのでよくわからなかったが、誰かが体を触っているようだ。膝が曲げられたり腹を押されたりする。ダフィットが「医者だ。心配するな」といいそえた。

 医者は時おり異国の言葉で何かをつぶやく。声の感じからどうやら先ほどの老婆のようだ。やさしげなその声は傷をひとつずつ確認し「大丈夫」「大丈夫」といっているようだ。また老婆とダフィットが異国の言葉で会話を交わす声がしばらく続いた。

「ちゃんと受け身をとっていたみたいだな。怪我はたいしたことない。少し玻璃の破片で切っているくらいだ。だが聞いたところ吹き矢を使われたらしいな。放っておいても毒はぬけるが薬湯を飲めば少しは気分がましになるだろう」

 薬湯を準備してくれているのだろうか。水音や食器のふれる音、老婆のひとりごとなどが聞こえていた。しばらくしてダフィットの「飲め」という声とともに唇に椀のようなものが押しあてられる。しかし唇がしびれているのかすべて横から流れ出てしまう。

「こら。遊ぶんじゃない。まじめにやれ」

 当然まじめにやっている。

「うう」

 反論しようにもうめき声しかでない。見かねたのか老婆がなにか異国語で声をあげるが、ダフィットはなにかをぴしゃりといいはなつ。よくわからないが少しもめているようだった。

 そのとき遠くで扉の開いた音がした。やがてひそやかな衣ずれの音が近づいてくる。ダフィットと老婆は自然と黙った。

 ダフィットがやや緊張したような声をだす。異国の言葉だ。やってきた人物になにかを小声で伝えているようだが何をいっているのかは聞こえない。そのひそやかな声はしばらく続いた。

 北の王ではないか。

 ダフィットの緊張感のある声からそう感じた。声の方を見ようと精一杯首を曲げるがまぶしくて光の中にいくつかの人影が動いていることしかわからなかった。まぶたをあけていることが重労働だ。おとなしく目をとじる。おそらく老婆だろう。誰かがやさしく口もとを拭ってくれた。

 毒のせいか気分が悪い。悪寒も続いている。エリッツはうめきながら両手足を丸めて耐えていた。大きな怪我がないとはいえだんだん体のあちこちが痛みだす。しびれから回復しつつあるのかもしれないが苦痛が増したとしか感じられない。

 またダフィットと老婆が押し殺した声でもめはじめる。さっきから何をいい争っているだろうか。北の王の前ではないのか。

 老婆のものと思われる手がエリッツの体をさすってくれる。ときおりつぶやく異国の言葉は同情しているようにやさしく響いた。

「まったく無茶をするからだ。泣くんじゃない。耐えろ。殿下がいらっしゃったら折檻もある」

 ダフィットがエリッツの耳元でささやく。

 折檻もあるのか。いや、こんなところまで侵入して折檻だけですむわけがない。シェイルや兄たちに迷惑がかかる。体の苦痛もあいまって本当に泣けてきた。

 ふと、ダフィットが息をのむ気配があった。衣ずれの音が近づいてくる。

 ダフィットがあわてたように異国語で何かをいいつのった。何があったのだろう。

 やがて誰かの手が体にふれそっと抱きおこされる。しばらくして唇になにかが押しあてられた。ほんの少しずつあたたかな液体がのどの奥に流しこまれる。唇をふさがれているのでかろうじて飲みこめた。

 口移しで薬湯を飲ませてもらっている。

 そのことは理解できた。ダフィットの深いため息が聞こえる。ダフィットではない。まさか北の王が飲ませてくれているのだろうか。

 すべての薬湯を飲み終えるまでかなりの時間がかかった。もちろんすぐに効くわけではないだろうが、気持ちだけでも楽になった。体の中心がほんのりと温かくなり眠たくなってくる。

 もしかして先ほどから続いたいい争いは医師である老婆がこのように薬を飲ませろとダフィットに要求しダフィットがかたくなに拒否し続けていたというのが真相ではないか。そういえばエリッツが苦しそうにするたびにもめていたように思う。そんな愚にもつかないことを考えながらも体中の力が心地よく抜けてゆくのを感じる。薬湯には眠りをうながすものも入っていたようだ。

 しかしまだ眠ってしまうわけにはいかない。

「あなたに……会い、にきたん、です」

 アルヴィンに詳細を聞くことはできなかったけれどローズガーデンでアイザック氏が何かよくない計画をたてているらしいことだけでも伝えなければ。

「無礼者、話しかけるな」

 ダフィットが押し殺した声でささやく。やはりここにいるのは北の王だ。

「ア、アイザック氏、気を、つけて」

 やはりそれだけではなんの情報にもならない。アルヴィンはどこで何をしているんだ。もったいぶらずに全部教えてくれればよかったのに。まだ話もしていないし姿も見ていないがこの人に死んでほしくない。

 あらがいがたい眠気にのまれそうになる直前誰かの指がエリッツの髪をそっとなでた。

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