第二百三十六話 直線行路(11)
結局、昨夜は物音の確認はあきらめた。
ここにいるであろう何者かの正体がわからない状態で別行動をするというのはあまりよい手ではないとシェイルが判断したからだ。指揮官経験のあるシェイルと単独行動をとるリギルの基準は違う。
仕方なくシェイルとエリッツとリギルとで交代して休んだ。ルルクは驚くほど眠り続けていたし、シュクロは寝ていたり起きていたり自由にしていたようだ。エリッツが見張っているとき、ちょっとうとうとした隙を狙って背中を叩いて驚かせるという遊びをしていたので、見張りをやろうと思えばできるのだ。一応、客人扱いをしてあげているのに、本当に性格が悪い。
そしてセキジョウの様子に変わりはなかった。
エリッツだったら好きな人に奥さんがいたら落ち込みすぎてまったく使い物にならなくなりそうだが、さすがというべきか。不遜な態度を崩さないどころか、リギルの腕もはなさない。
しかし誤解は解いた方がいいのではないか。
「セキジョウさん、リギルさんの奥さんのことなんですけど……」
「おい。余計なことをいうんじゃない」
シュクロがエリッツの腕をつかむ。
「なんでですか」
「おもしろいからに決まってるだろ」
下品なうえに性格がゆがみきっている。
「何がおもしろいんですか」
「全体的に」
「全ッ然わかりません」
むっとしているエリッツにシュクロはあきれたようなため息をつく。それからエリッツの腕を引っ張り、耳元でささやいた。
「じゃあなんだ? おっさんがセキジョウみたいなド変態のクソガキになびくとでも思ってんのか? 無駄な期待をさせたらかわいそうだろ。それによく考えろ。それはお前がいうべきことなのか?」
それは――確かに一理ある。セキジョウが勝手に誤解しているのだから、必要があればリギルが自分で言うだろうし、言わないということはその方が都合がいいということなのかもしれない。いや、どちらかというとシェイルのこと以外はどうでもいいと思ってそうだ。
「子犬みたいな人、何ですか? このロイの配偶者が何だっていうんです?」
セキジョウが振り返った。また子犬みたいな人とか言う。
「――なんでもないです」
エリッツは仕方なく黙る。
「これですね」
前方を歩いているシェイルがしゃがみこんだ。リギルが静かにうなずく。
見ると通路の隅に黒くなった小石が転がっていた。これは昨日、シェイルが食事の準備のときに並べた小石の様子にそっくりだ。熱で黒っぽく変色している。
「これをやるのはレジス軍ですよね」
「ルグイラでもやらんことはない」
シェイルの言葉にシュクロが付け加える。要するに追手――ボレイル兄弟か、例のレジス軍式の風式を放った連中の仲間なのか、もっと別の連中なのかは判断できない。
「他にも人が通った形跡がいたるところに残っていました。もしボレイル兄弟であれば、わざと物音を立てたりして、客人にプレッシャーをかけている可能性もありまっ――うっ」
セキジョウがリギルの腕をぐいっと引っ張った。ポイントがよくわからないが気に触ったらしい。
シュクロが嫌そうな顔をしている。よっぽどボレイル兄弟が嫌みたいだ。確かに心理戦を得意とするボレイル兄弟なら、わざと形跡を残してシュクロを嫌な気分にさせるみたいなこともやりそうだ。
「セシ族かもしれないですよねー」
セキジョウは小馬鹿にした様子でシュクロに向かって叫ぶ。そういえば、昨夜そんな話もしていた。とにかくここに人がいたことは確かだが、これだけでは何が起こっているのかよくわからない――ということだけがわかった。
前方を歩くシェイルが突然足をとめ、壁に手を当てる。
「罠です……」
遠くで地鳴りのような音がする。
シェイルがルルクを抱きあげ、エリッツの手を引いた。いつの間にかシェイルの前にはリギルが守るように立っている。リギルの腕をつかんだままのセキジョウの前には、ちゃんとあの変な人が立っていた。
「ちょっと! 守る順番が違くね? なんで俺だけ一人なんだよ」
シュクロが非難の声をあげる。直後、凄まじい地響きとともに通路の奥から天井が崩れ始めた。
「落ち着いてください。大丈夫です。できるだけわたしのそばに」
シェイルが壁に手をつけたまま低くつぶやく。すさまじい轟音が近づいてくる恐怖はあったが、シェイルが静かに集中している気配でエリッツはさして心を乱されることもなかった。
そしてまるでエリッツたちを避けるように、天井の崩れは直前でぴたりと止まる。
「シェイラリオ様、見事です」
「さすがに重たいので、どこかへ退避したいのですが」
「一旦、さっきのとこ戻ろうぜ」
シュクロが背後を指す。
結局また昨夜食事をした小部屋に戻ってくることになってしまった。全然前に進まない。
「あれ、何だったんですか?」
「おそらくですが、侵入者を阻むための罠ではないかと。かなり古いもののような印象です」
シェイルは先ほどの壁の感触でも確かめるように左手を見ている。
「ここは大丈夫なんでしょうか」
エリッツは天井を見あげる。昨夜は大丈夫だったが、先ほどのできごとを見ると不安になってしまう。
「ここは大丈夫だ」
なぜかシュクロが自信満々に答える。
「水路がありますからね。罠はおそらくセシ族のものです。水路を潰してしまっては侵入者を阻んでも生活に支障が出てしまいますからね」
シェイルが丁寧に付け加えてくれる。
「では水路の中を進めばいいのではないですか。結構奥まで続いているとあの人が言ってましたよ」
セキジョウが他人事のように水路を指した。そういえば、昨夜あの変な人が水路の中にいたが、あれはふざけていたわけではなくて一応調査をしていたということだろうか。意外と働いている。
「行ってみるか」
シュクロが水路の奥をのぞき込んで様子を見ている。ルルクもその横で水に手をつけてぱしゃぱしゃと音を立てていた。何か確認をしているみたいだが、いつも突拍子もない動きをするので気にしなくてもいいだろう。
「濡れるの嫌です」
自分で言い出したくせにセキジョウは文句を言っている。
「じゃあ、どうすんだよ――ってかここから出られるのか」
そういえば、シェイルが壁から手を離した後、外ですごい音がしたのだが、もしかして全部天井が落ちて、ここから出られなくなったのではないか。
「大丈夫だけど、大丈夫じゃない」
ルルクが不安気なエリッツをなだめるかのように、びしょ濡れの手で肩を叩く。
「そうですね。おそらく遺跡の外に出るのは問題ないでしょうけど、奥に向かおうとすると、また罠が発動するので大丈夫ではなさそうです」
意味不明なルルクの言葉をシェイルが翻訳してくれる。また罠が発動するというのはどういう状況なのだろう。すでに天井が落ちていて進めないような気がするのだが。
「でも昨日はあんな罠なかったんだろ?」
シュクロがリギルを指す。
「私はもっと奥まで見に行きましたが、罠は動きませんでしたね。どういう基準なんでしょうか。人数とかでしょうか」
リギルが不思議そうに首を傾げる。
「いや、お前らがいるからじゃねえの?」
シュクロが今度はエリッツとセキジョウを順に指し、強調するように声をあげる。
「レ、ジ、ス、人がな」
すかさずセキジョウが鼻で笑った。
「ルグイラの客人のせいという可能性もありますよね。私は両方の血が入っているので、どっちでもいいんですけど」
「ここはレジスだろ。警戒されているとしたらレジス人だ」
シュクロとセキジョウが騒いでいる中、エリッツはシェイルの見解をたずねてみる。
「遺跡に対する知識がほとんどないんですよね。レジス軍でやるような術素の罠ではないので、正直、予測がつきにくいです。この先は危険かもしれません」
「術素の罠というのは軍でもよく使うんですか?」
「使います。ただ敵も術素が見える場合は、事前に見つかってしまうので、いろいろと考えて仕掛けなければいけません」
大変そうだ。おそらく軍で術士が使う罠というのは、一定の型のようなものがあるのだろう。それと大幅に異なるセシ族の罠が見つけにくいのはわかる気がする。
そもそも先に進む必要はあるのだろうか。調査ごっこも十分堪能したし、追手がいるかもしれない。シェイルがサカシロを狩れないのは残念かもしれないが、こうなったら仕方ないだろう。
「あのー」
引き返すことを提案しようと、エリッツはまだ騒いでいるシュクロとセキジョウに声をかけるが、結論が出るはずもない言い合いを続けていて、まったくこちらを見てくれない。セキジョウに腕を取られているリギルは、相変わらずぐいぐい引っ張られてた。
「エリッツ、別に急ぐ旅でもないので、おさまるまでこっちで待っていましょう」
ふと見ると、いつの間にかシェイルがお茶を淹れて、ルルクと一緒にくつろいでいた。




