第二百三十五話 直線行路(10)
最初は意味が全然わからなかったが、シュクロの話を聞いているうちに不覚にもわくわくしてきてしまった。
「セシ族がまだここにいるかもしれないんですねっ」
「ちょっと落ち着け、これはかなり荒唐無稽な説だ」
シュクロは身を乗り出すエリッツを制するように手のひらを見せながら、また帳面をぱらぱらとめくっている。
シュクロの見立てによると、特に調査もされていない遺跡がこのようにちゃんとした状態で残っていること自体がおかしいらしい。誰かがまだここを利用している。そしてその誰かというのはセシ族の生き残りではないかというのだ。彼らは生活の場を守るためここを迷路のようにして侵されないようにしているのではないか。そしてこの遺跡の主であるセシ族が本当に生活をしているのはさらに遺跡の奥深くである――というのが、シュクロのいう「荒唐無稽な説」の概要だ。
「サカシロがここで何を食っているのかもわからん。これも妄想に近い話だが、セシ族が餌付けしている可能性がある」
「餌付け……すると、どうなりますか」
「レジス人もルグイラ人もサカシロを気味悪がって近づかない。よろこんでこっちに来たのはあんたの上官のロイだろう」
確かに。シェイルがサカシロを狩りたがったことがすべてのはじまりといえなくもない。シェイルがいなかったらはたしてここまで来ただろうか。しかしエリッツはそこで首を傾げた。
「でもセシ族がここにいるとして、なぜ執拗に隠れるんでしょうか」
シュクロは大きなため息をついた。
「だから歴史くらい勉強しろって。レジス人に見つかりたくないからだろう。レジス人ってのはもとは西のアルメシエの方から来た連中が祖なんだ。こんな肥沃で広大な土地に誰もいなかったわけない。これはルグイラも同じなんだが、今の国がある土地はセシ族から奪った土地なんだ」
そういえばセシ族は戦に敗れていなくなったようなことをさっき聞いた気がする。
「セシ族は地下で暮らすようになったと言っていませんでしたか。その後でレジス人に追い出されたとかですかね」
「そうだな。それに近い状態だったと推察されるが資料は残っていない。地下にはいつまでもいられるようなものじゃないだろ。セシ族の中のある一派はレジス人やルグイラ人と混血を繰り返しセシ族としてのアイデンティティを失った。また別の一派は迫害され歴史から姿を消した」
「――でも実は地下に残った人々もいるんじゃないかっていうのがシュクロさんの説ですね」
シュクロは少し驚いたようにエリッツを見る。
「めずらしく察しがいいな」
とても失礼だ。
「しかしですね。レジス人が太陽神の加護によりこの土地をたまわったのはいつだと思っているんですか。そんなに長いこと気づかれることなく地下で生活することなどはたして可能なのでしょうかあ」
いつの間にかセキジョウが目を覚ましている。めちゃくちゃ怒っていそうだと思ったが、いつもどおりの不遜な態度だ。首の調子を確認するかのように左右に曲げたり腕を伸ばしたりしている。シュクロも何も言えない様子で体を伸ばすセキジョウをじっと見ていた。
しばらくの沈黙のあと、シュクロはセキジョウを無視することにしたらしく、エリッツに向かって口を開く。
「あんたさっき太陽の光を浴びないと時間がわからなくなると言っていたな。俺もそれを聞いて、セシ族はそうなっちまったんじゃないかって思ったんだ」
「――時間がわからないくらいで何か重大なことが起こりますか」
シュクロは興奮気味だが、エリッツはいまいちピンとこない。別に時間など関係なく眠くなったら寝て、起きたら生きるための仕事をするだけのことではないのか。
「聞いたことがありますよ。太陽の光が当たらない深い森にすむ人々は朝や夜の変化がほとんどない環境にあるため、時間感覚を失って過去とか現在とか未来とかそういう概念そのものがないのだそうです」
セキジョウは敷物の上でごろごろしながらしゃべっている。この人はもしかして今まで頭が悪いふりをしていたのだろうか。変なことをよく知っている。エリッツも何かの本で読んだような気はするのだが、いつもどおりまったく思い出せない。
「あんたよくそんな話知ってるな」
シュクロも驚いた様子で、不審そうにセキジョウを見ている。
「時間という概念を失うとどうなるのか。正確にはその概念を持ってしまっている俺達にはわからない。だが、少なくとも『過去』何があって、なぜ自分たちがここにいるのか。これからどうするかという『未来』の予定を立てることもない。つまり『現在』と認識すらできていない『現在』をただ継続するだけになる」
シュクロのいう内容をエリッツは頭の中で何度も反芻したが、意味はわかっても感覚的に理解ができない。シュクロのいう通り時間の概念を持ってしまっていると本当の意味で理解することはできないのだろう。
「なんか、その、よくわかりませんが、時間の感覚がないのは大変そうじゃないですか」
昨日あったことが楽しかったとか、明日何をしようというわくわくした感じもないのだろうか。しかし記憶を失うわけではないはずなので過去の出来事はどのように心に残っているのか。興味深い話だが難しい。
「それはあなたの価値観でしょう。時間という概念がなければ今その瞬間、瞬間に集中できます。過去の出来事を何度も悔いたり、いつ来るかわからない死を無駄に恐れたりすることもありません。案外幸せかもしれませんよ。もちろん本当のところは知りませんけどね」
セキジョウはつまらなそうに大あくびをしている。シュクロは何だか変な顔をして黙っている。その沈黙を堪能するようにセキジョウはにやにやしはじめる。
「これを読みました」
セキジョウは先ほど食後に読んでいた旅行記の表紙をこちらに向けた。シュクロはもっと変な顔をする。
「今のはこの本の受け売りです」
そうか。エリッツもこの旅行記で一度読んだ話だったから聞いたことがある気がしたのだ。
「この子犬みたいな人が地下には太陽の光が入らないから朝と夜がわからないと言ったのを聞いて、すぐに深い森に住む人々のことを思い出したんですね」
子犬みたいな人……。なぜこの人はここまで無礼なのだろうか。
「そうだ。それが何だ?」
シュクロの言葉にセキジョウはただにやにやしている。
「シュクロさんもその本読んだことあるんですか?」
「読んだことあるんですかあ」
セキジョウが嫌な感じでエリッツの言葉を復唱する。何なのだろうか。イライラする。
そのときリギルが静かに戻ってきた。相変わらず空気のように存在感がない。
「あ、あの、やはり人がいる形跡がありました。もっと広範囲で探させてください。客人の追手かもしれません」
リギルの報告にシェイルは小さくため息をついた。
「リギル、わたしはやはり納得がいきません。この旅が終わったら一度あなたの奥様とお話しさせていただけませんか」
場がしんと静まり返った。ずっと黙っていると思ったらそんなことを考えていたのか。
「いや、あの、シェイラリオ様、今はその……それどころでは」
「――奥様?」
先ほどまで調子にのってにやにやしていたセキジョウがぽかんとした表情でリギルを見ている。
またいろんなことが同時に起こりはじめた。エリッツの頭はまた状況の処理ができず動きをとめようとする。隣でシュクロがぶはっと吹き出した。また笑いだすのか。
眠っているルルクが小さくくしゃみをして、むにゃむにゃいいながら寝返りをうっている。うらやましい。エリッツも遠慮せずに早く寝てしまえばよかった。




