第二百三十二話 直線行路(7)
遺跡は想像以上に広かった。
「水があるということは住居だった可能性も捨てきれないな」
シュクロは書き物をしながらひとりごとを言っている。本当にこういうのが好きみたいだ。昼間のようにとはいかないが地下でも書き物ができるくらいの明るさは十分である。どういう仕組みなのか周りをよく見ても分からなかった。ほんのりと空間全体が明るいのは不思議だ。しかし少しずつ暗くなっているようにも感じる。術素で光を得ているということはその効果が徐々に消えていくということもあるのかもしれない。
「エリッツ、地下で火を焚いては危険ですよ」
エリッツは焚き付けに火をつけようとしてシェイルにとめられた。夕飯はエリッツが作ると張り切っていたものの、分からないことが多すぎる。
結局、地下の探索にかなりの時間を費やしてしまった。まだ先が長そうなので地下で一晩明かすことにしたのだ。いちいち地上に戻っていてはまたここまで来るのにまた時間がかかってしまう。二度目だったとしてもシュクロがあちこち足を止めて進まない可能性が十分にある。いくら制限時間のない旅だとしても無駄は減らしたい。
「危ないですか」
シェイルはエリッツの手から火打石をそっと取りあげた。すべらかな指先が手に触れて思わずうっとりしてしまう。
「水場の水もそのまま使ってはいけません。とりあえず沸かしましょうか」
シェイルは水場に少し左手を浸して何かを確認しているようだ。地下の水場は池のようになっているが、よく見るとゆっくりと流れがある。川なのかもしれない。地下に川が流れているのは不思議だが、きちんと石材で堤防のように仕切られているところを見ると、セシ族がどこかから水を引いていたのかもしれない。
シェイルはその辺の小石を集めて、地面を丸く囲っている。
「それは何ですか」
「目印です。今からここを熱くするので気をつけてください」
言うなり円の中央に左の指先を置く。
「代わります」
すかさずリギルがセキジョウにつかまった状態のまま手を出してきた。
「リギルさん、夕食はおれが作るので」
いっておかないとリギルが全部やってしまいそうだ。そういえばセキジョウとあの怪しげな人の食事はどうしたらいいのだろう。一緒に作ってあげるべきなのだろうか。
「食事を作れるんですか」
セキジョウは小馬鹿にしたようにエリッツを見る。あきらかにできないだろうと思っている顔だ。悔しい。
「エリッツが淹れてくれたお茶はおいしいですよ」
シェイルがあまりフォローになっていないことを言うので、セキジョウは「お茶……ねぇ」とにやにやする。悔しい。
「エリッツさん、鍋をここへ」
リギルのいう通りに石で囲われたところへ水を入れた鍋を置くと、底についていた水滴がジュッと音を立てた。本当に熱くなっている。不思議だ。
「黄色い粉と、赤い粉の袋を出してください」
リギルはちゃんとエリッツにやらせてくれるようだ。食材のことをまったくわかっていないので、粉の色で指示してくれるのはありがたい。そもそもセキジョウに手首を握られているので料理はできなさそうだ。
「この黄色い粉は何ですか?」
やけにたくさん入っている。これが主食なのだろうか。
「それはラグミルという栄養豊富な穀物を粉に挽いたものです。レジスの定番の携帯食ですよ」
「全然味がなくておいしくないですよ。水で溶くとねちょねちょします」
説明してくれるリギルにセキジョウがわざわざケチをつける。
「そうです。味がないので、その赤い粉と一緒に煮込みます。干し肉も少し入れてみましょう」
エリッツは赤い粉の袋を開けてみた。とてもいい匂いがする。
「この赤い粉、どこかでかいだようないい匂いがします」
「それはセーウイと牛の乳、ハーブ、塩、胡椒で味をととのえたスープに火を入れて粉末になるまで水分を飛ばしたものです。要するに即席のスープの素になる食材です」
セーウイは新鮮なものは生のまま食べたりもする赤い野菜だ。酸味が強くて好き嫌いがわかれるが、乳に入れてスープにすると味がまろやかになって多くのレジス人に好まれる。エリッツでもよく知っている定番の料理だ。
「セーウイ、嫌いです」
ここでもセキジョウがわがままを言う。――というか、やはりここで一緒に食べる気でいるらしい。エリッツはリギルの指示に従って、六人分のラグミルとセーウイのスープの素、干し肉を鍋に入れ、焦げないようによくかき混ぜた。スープというよりはぽってりとした粥状のものができあがる。
「夕食、これだけですか?」
セキジョウは文句しか言わない。
「ラグミルは見た目よりもずっとお腹にたまりますよ」
シェイルが鍋をのぞきこんでいる。軍にいたシェイルにとっても馴染みのある食べ物らしい。ルルクはちょっと距離を置いてこちらを見ていた。一応興味は持ってくれているらしい。
「上手にできていますね」
言われた通り粉を入れて混ぜただけなのだが、ほめられるとうれしい。食事を作ったのは初めてかもしれない。じわじわと達成感がこみあげる。
「あんたが晩めし作ってんのか。それ、ほんとに食えんの?」
書きものを終えたらしきシュクロがわざわざ嫌なことを言いに来る。実のところエリッツ自身も心配だったのだが、鍋の中からはおいしそうな香りが漂っている。セーウイのスープの香りにほっくりとした甘い穀物の香りが合わさってなんともおいしそうではないか。
しかし食事が始まっても周りからは特に何の感想も得られなかった。唯一シェイルが「ちゃんとできてますよ」と、エリッツをねぎらってくれたくらいだ。
「携帯食なんてこんなもんだろ」
味はどうかと聞いたエリッツにシュクロの言葉もそっけない。ルルクはいつも通りの無表情だ。ゼインがやたらと食事の感想を求めてきた理由がわかった。誰かに「おいしい」といわれたい。
セキジョウにいたっては「セーウイ、まずいですね」とわざわざエリッツに言ってくる。まずいのはエリッツのせいではなくセーウイ嫌いのセキジョウ自身の問題だ。嫌いなら食べなくてもいいのに。さらに「お茶はまだですか」と要求してくる。どういう育ち方をしたらそんなに我儘になってしまうのか。後ろからついて来ていた怪しい人は気づいたら食器が空になっていた。人慣れしない猫のようだ。もうどこにも姿が見えない。
とりあえずはじめて食事の用意ができたので今回はこれでいいだろう。少しずつ上達すればいいのだ。
「セキジョウさん、本とか読むんですね」
教えてもらいながら何とか後片付けまでを終えたエリッツは、リギルの腹に頭をのせて読書しているセキジョウに声をかけた。リギルは諦めの表情で地面に仰向けになっている。これは逃げないように重しをしているのだろうか。クッションか何かのように扱われている。シュクロとルルクは早くも寝入っているし、シェイルは書き物をしていた。旅に出る前にできる仕事は旅先でやると言っていたのでその関係かもしれない。
「本くらい読みますよ」
「あ、その本見たことあります」
見覚えのある表紙はエリッツも大好きなシリーズものの旅行記だ。作者が実際に世界中いろんな場所を旅して、人々の生活や文化を軽快な語り口調で紹介している。少しやんちゃなこともしているが、そこも魅力的だ。特にエリッツの気に入っている点は観察眼のすばらしさだ。見たこともない景色や人々の様子なんかが目の前に広がるように細かに表現されている。
「全巻読んだんですか?」
セキジョウはちらりとエリッツを見あげる。普通の会話が成立するのはめずらしい。
「たぶんですけど、出ているのは全部読んだ気がします」
「――で?」
セキジョウはエリッツの次の発言を待つかのようにじっと見ている。
「え? えーっと……おもしろかったですよ?」
何か気づくべきことがあるということか。セシ族の遺跡に関することが書かれていたとか、単純に詳細な感想を求められているだけか。
困っているエリッツの様子にいつも通り馬鹿にしたような笑いを浴びせる。
「この旅には大いに参考になる内容なのですが――あなたを追い詰めるとあのロイが怖いですからね。もういいです」
セキジョウはごろんと寝返りを打ち、腹の上で動かれたリギルはぐぅとうめいた。せめて何か敷物くらい敷いてあげたい。セキジョウは自分だけ敷物の上でごろごろしている。
「エリッツさん、あの……」
リギルが何かを伝えようと口を開いたが「黙ってください。口をふさぎますよ」と、セキジョウに腹を押されている。憐れだ。




