第二百三十話 直線行路(5)
人の気配に顔をあげる。
シェイルだ。エリッツの顔を見て首を傾げていた。
「何を泣いているんですか?」
困らせたくはないので何もいえない。黙っているとシェイルが髪をなでてくれる。混乱がすっと引いてゆく。
「御子様、サカシロのうんち……」
「あ」
サカシロのフンを触った手で……。
「大丈夫です。ちゃんと手を拭いてますよ。そのままにはしません」
本当だろうか。
「シュクロに何か言われたのですか?」
シェイルがエリッツの背後を見渡している。
「あのさぁ――」
背後でシュクロの声がする。
「ちょっと黙っててください」
エリッツは遮る。シェイルが嫌々リングを使うハメに陥るのは避けたい。一番うるさそうなセキジョウをちらりと見ると、なんとリギルが自由な方の手で口をふさいでいる。セキジョウは怒りからか顔を赤くしてもがいていた。あとが怖い。
「エリッツ、困っていますね」
シェイルは顔を曇らせる。それからまたエリッツの背後を見渡した。意外にもシュクロは黙っていてくれる。セキジョウはもごもご言っている。
「なるほど」
背後の様子から何かを察したようで、ひとつ頷くと「あれを出してください」と、エリッツに手のひらを差し出す。
「でも……」
「殿下には内緒です。サカシロの毛皮でエリッツの新しいコートを仕立てましょう」
あれ?
遺跡を見に行くのではなくサカシロを狩りに行くのか。
なんだかよくわからないが、とりあえずヒルトリングをシェイルに渡す。
「シュクロ、今度エリッツを追い詰めたら承知しませんよ」
「はっ? 俺じゃねぇよ。あいつのせいだ」
これもまた意外なことにシュクロはあわててセキジョウを指した。シェイルにどう思われようと関係ないと思っていそうだが、誤解はされたくないらしい。シュクロのことは下品で嫌いだが、さっきは確かにセキジョウが余計な情報を出したせいで、頭の処理が追いつかず追い詰められてしまった。
静かだと思ったらみんなセキジョウの方から目をそらして暗い顔で黙りこんでいる。おそるおそるそちらを見ると、今度は逆にリギルの方が口をふさがれていた。セキジョウの唇で。
「正しい口のふさぎ方を教えて差し上げました」
深い口づけを終え、セキジョウは得意満面である。
「あの、それでは自分の口もふさがるので、あまりいい手とは思えませんが」
リギルは困った顔でそんなことを言っている。まったく精神的なダメージを受けていない様子だ。そういうところがセキジョウをムキにさせるのだろう。なんかわかってきた。
なんとなく既視感があると思ったら、これは殿下に折檻を受けるシェイルの反応にも近い。ロイの人って基本的にこういう感じなんだろうか。
「――で、どうなんだ。下、行けそうか?」
セキジョウの方は完全に無視してシュクロは遠慮がちにシェイルを見た。
「わたしがしたことをラヴォート殿下に言わないと約束してもらえるなら手伝ってもいいです」
相変わらずの変なこだわりだ。ラヴォート殿下もこのシェイルの性格を熟知してエリッツにリングを渡すのである。
「言わねぇよ。なんでわざわざそんなことを言いに行く必要があるんだよ。あんた、やっぱり術を使えるのか?」
シュクロは不貞腐れている。これまで随分と偉そうにしていたが、遺跡を探索できるならほんの少しばかりは下手に出ることもできるらしい。
「御覧の通り、術脈は断たれていますが、ヒルトリングがあればやれなくもないです」
手のひらを見せるシェイルにシュクロは妙な顔をする。なんでそんなことになっているのかわけがわからないのだろう。エリッツもまだ詳しくは事情を知らない。
シェイルはリングをはめると石柱に手を触れた。それから少し首を傾げる。
「ずいぶん安定していますね。さほど手を入れる必要はなさそうですが、念のため――」
左手を石柱の根元にそっと置く。
「……すげぇ」
シュクロが息を飲む。エリッツには何が起こっているのかわからないが、術素が見える人にはわかるのだろうか。地下のことなのでどのように見えるのかよくわからない。
「相変わらずの馬鹿力ですね。怖い、怖い」
いつの間にかセキジョウがリギルの手首を握ったまま立っている。どうやらリギルは口ごたえをしたことにより散々腕を引っ張られたようでまたぐったりしている。不憫だ。
「あんた、何者だよ」
地下に集中していたらしいシェイルがぱっと顔をあげる。
「シュクロ、灯口に灯りを。行きますよ」
シュクロはぴたりとかたまった。
「いや、俺、それはちょっと……あんた、それくらいできるだろ?」
「もしかして光を扱えないのですか。随分と偉そうにしていたのに、おかしいですねぇ」
なぜかセキジョウがぐいぐい前に出てくる。誰かを見くだすチャンスは決して見逃さない。
「いちいちうるっせぇな」
シュクロはうんざりしたような舌打ちをもらした。
「得手不得手がありますからね。光も扱う人は少ない術素です。土とは逆につかみどころがなさすぎて難しいのですよね」
いいながらシェイルは先ほどシュクロが灯口と教えてくれた四角の穴の周りの文字をなぞるような仕草をした。
「中で何があるかわからないので、力は温存したかったのですが、仕方ないです」
そういえばアルメシエでも術脈に怪我を負いながら水竜を持ち運ぶ等の無茶をして倒れていた。今回はあまり無理をしないでいてほしいが。
「ま、待ってください。それくらいなら私が」
リギルがよれよれになりながらも前に進み出た。
「できるのですか」
セキジョウがなぜかむっとしている。リギルのこともこき下ろしたかったのかもしれない。そもそも先ほどから一番偉そうにしているセキジョウはそれができるのかどうか気になるところだ。
リギルはシェイルがやったのと同じように四角の穴の縁をなぞる。
「あの、これは……?」
リギルが少しとまどったようにシュクロを見上げた。
「消えかけているが、おそらくセシ族の文字だ。中が壊れてなければ術素をそこへ放つだけで機能すると思う」
シュクロは帳面を見ながらこたえた。
「それ、なんて書いてあるんですか?」
「消えているからきちんと読めないが『灯り』みたいな意味じゃねぇかな」
いや、もっと長い文章に見えるのだが。なんか雑だな。
「ついでに開けます」
リギルが左手を石柱に触れさせた。 石柱にも文字のような模様がいくつか入っているので、この石柱自体も何か意味があって置かれているものなのかもしれない。
「開けれんのかよ」
シュクロが不貞腐れたようにつぶやく。どうやら遺跡の入口を開けるのにも何かしらの能力が必要らしい。
「開けるだけならなんとか。それ以上は主でないと無理です」
「ロイってのは本当に規格外だな」
シュクロは感嘆の声をもらし、セキジョウはリギルの横でつまらなそうにしている。
「ロイがというより、リギルの能力が高いのですよ」
シェイルが少し誇らしげにそんなことを言っている。エリッツもそうやってシェイルに得意げにほめられたい。
「リギル、気を付けてください。この遺跡、ちょっと不思議な感じがします」
「わかりました少しずつやります」
いったいどこが開くのだろうかと見守っていると地鳴りのような音とともに石柱が後ろに動いている。それと同時に地面が文字通り左右にゆっくりと開いていった。上から砂のようなものが被っていたので全然気づかなかったが岩の扉のような構造だったのだ。
エリッツは思わず穴をのぞきこむ。下へは階段のようなものが続いており、どういうわけかわずかに明るい。これが照明というやつなのか。だが、その光がどこから来ているのかよくわからない。これは確かに崩落しないという保証なくして降りる勇気が持てない。
「すごく状態がいいな」
シュクロが岩の扉に触れ、またメモをとっている。
「終わりましたね?」
リギルはまたセキジョウに手首をぎゅっと握られていた。こんな大仕事を終えた直後にまた拘束されて休まる暇がない。あまりに気の毒だ。
シェイルは階段が続く遺跡の奥とハカシロの巣の辺りを交互に見て考え込んだり、首を傾げたりしている。ハカシロの巣が本当に遺跡につながっているのか気になるのだろう。
エリッツは思いのほかわくわくしていた。こんな冒険は初めてのことだ。




