第二百二十五話 普通の旅(9)
店を変えてすぐに少年は口を開いた。
「取り急ぎ、人員交代のご挨拶で参りました。先ほどメラル・リグに着いてあなた方の護衛隊長に着任しましたセキジョウといいます。子供に見られがちなんですが十八歳です。それでですね、どういうわけか前任が見落としていた外出許可のないロイがそこにいたので取り押さえましたよ。これはペナルティですね」
少年はぐいぐいとリギルの袖を引っ張る。後ろの方々のリーダーが代わったらしいが、そもそも前任の顔すらわからない。
「申し訳ありません。まさかこんなに早い段階で交代があるとは思わず……油断しました」
やはりリギルがついて来ていたのか。この様子だと、後ろの方々に気付かれないように陰で見守ってくれていたようだ。思い返してみればこれまで後ろの方々に見つかる危険をおかしてまで助けが必要な窮地には陥っていなかった。それで姿を見ることがなかったのだろう。
「あなた方にご挨拶いただいたのは初めてですよ」
落ち着きを取り戻したシェイルはまたブランデーをたのんでいる。今度は大衆食堂という感じではなく路地の奥まったところにある比較的静かな店だった。
「そうですね。私個人は社交的な質なんですが、うちの人たちは仕事柄、恥ずかしがり屋さんが多いんですよ。みんな隠れてじっと見てるでしょう。あれはあれでかわいいんですけどね」
いや、全然かわいくない。陰湿さすら感じる。
「ちなみに私が隊長に抜擢されたのは母がルグイラの人間だからです。客人と仲良くなれたらなと思っています。そうはいってもレジス生まれのレジス育ちで陛下に忠誠を誓っておりますのでその辺はご心配なく」
どうでもよさそうなことをよくしゃべる。よどみないおしゃべりを遮るようにシェイルがすっとセキジョウの手をつかんだ。
「リギルを放してもらえますか」
セキジョウはリギルの袖をつかんだまま、シェイルの手を振り払う。そのせいでリギルがぐっと前のめりになった。まさにされるがままだ。この人に抵抗すればシェイルの立場が悪くなるので大人しくしているのだろう。どうやら外出の許可も取れなかったようだし。
「無理ですね。正直、今放したらもう一度油断させないと捕まえられそうにないです。ご存じとは思いますが、この手の人をもう一度油断させるのは至難の業ですからね。着任早々ラッキーでした。ポイントゲットです」
笑顔のままリギルの袖をぐいぐいやっている。その度にリギルのひょろりとした体がガクガクと揺れる。
「ずっとそのままお仕事をするつもりですか? わたしがここにいるのでリギルは逃げたりしませんよ」
セキジョウはあごに手をやり考えはじめる。
「……それもそうですね」
急にぱっと袖から手を放す――と、見せかけて再度ぐっと引っ張る。はずみでリギルはテーブルに頭を打ちそうになった。そのリギルの耳元にセキジョウはぐっと顔を近づける。
「いいですか、私の視界から消えたらあなたの大事な方に破廉恥なことをしますよ」
そう言って今度こそ放り出すように手を放す。
「なんでそうなるんですか!」
エリッツは思わず立ちあがる。
「エリッツ、落ち着いてください」
シェイルがなぜか慌ててエリッツを座らせる。
「人の心配をしている場合ではないですよ。私はあなた以上の変態だと自負しています。守備範囲はサフス平原より広いですから、あなたにも破廉恥なことはいくらでもできます」
なぜエリッツが煽られなくてはならないのか。
「いや、おれは別に変態ではないです。年上の男性が好きなだけでごく普通ですよ」
誤解は解いておいた方がいいだろう。しかしエリッツの言葉はなかったかのように聞き流されてしまう。
「先ほどもこのロイの調査をかねて部下たちと一緒に舐めさせていただきました」
舐めた?
エリッツもシェイルもリギルを見た。そしてすぐに目をそらした。
「動物も使いたかったのですが、市場が閉まっていてダメでしたね。まぁでも、なかなかよかったですよ。ロイというのはみな肌がすべらかでおいしいです。本当はもっと汗をかかせてから事に及びたかったのですが、捕まえた後は全然抵抗してくれなくて、そこはちょっと不満ですね。もっとこう、抵抗に抵抗を重ね、汗と涙でぐっしょり、さらに屈辱に満ちた表情で私を睨み罵りながら、舐められて欲しかったというのもあります」
セキジョウは恍惚とした表情で破廉恥な話をしている。公共の場でそういう話題はいかがなものだろうか。しかし着任早々ずいぶんと楽しそうなことを遂行済みとは、あなどれないことは確かだ。
「も、申し訳ありません」
なぜか被害者のリギルがシェイルに謝罪している。体を舐められた後だったのか。今まで何も思わなかったが、ついリギルをいやらしい目で見てしまう。まだ顔を隠したままなので表情はわからない。この話を聞いた後では顔を見たくなってしまう。
「リギルさん、気持ちよかったですか?」
「エリッツ」
たしなめるようなシェイルの声にとりあえず黙った。しかし気になる。
「ルグイラの客人を呼んできてください。挨拶します」
突然セキジョウはエリッツを指差し、指示を出す。なぜこの人に命令されなければならないのか。さらに「あなたも」と、リギルを指す。先ほど視界から消えるなと言ったばかりだが。これは絶対シェイルに何かするつもりではないか。
「エリッツ、ルルクも連れてきてください。宿で一人にはできません」
「いいですね。もちろん女の子も守備範囲内です。赤ん坊から老婆までいけます」
今後ずっとこの危険人物が後ろからついてくると思うとぞっとする。それこそ特に何もせず黙ってついてきた前任の方がだいぶマシだ。
「あ、ひとつ謝罪しなければならないことがありました」
シュクロを連れて即戻ろうと、慌てて席を立ったエリッツの背中をセキジョウの声が追って来た。
「今日、捕まえた二人、拷問してたら一人死んじゃいました。ごめんなさい。もう一人は前任がレジス城下に連れてったので大丈夫です」
さっき着任したと言いつつ、すでにいろいろとやらかしすぎではないか。
「すぐに戻ります」
エリッツはそれだけ言って宿へと走った。
「エリッツさん、あの、ちょっと落ち着いてください。逆上したら思うつぼです」
後ろからリギルがついてくる。
「でもシェイルが……」
「あの方は大丈夫ですよ」
「いや、おれが大丈夫じゃないです」
「まあ、それはわかりますが。隊長が代わってもあの人たちの基本方針は変わりません。後ろで何をやってたか、向こうの方からべらべらと喋り出しただけのことなので。それより、その……」
あの変質者とシェイルを二人きりにしたくないのだが、それより重要なことなどあるのだろうか。
「うちの主が、おそらくですが、ちょっと落ち込んでいらっしゃるようなので、それで、ですね」
「あっ!」
エリッツは思わずリギルを振り返る。
「おれも元気ないと思ってたんですけど、やっぱ様子がおかしいですよね」
いつも一緒にいるリギルが言うなら間違いない。
「ええ、ちょっと待ってくださいね」
リギルは黒衣と同じ装飾がほどこされている覆面を外す。しゃべりやすくするためだろうが、エリッツは思わず嘆息をもらす。
首筋に点々と折檻の跡らしきものがついている。
「ああ、こんなものは子供のお遊び程度のものです。こういう仕事をしているともっとひどい目に遭う前例を知っていますからね」
エリッツの視線に気づいたらしいリギルが手のひらでくるりとうなじをなでた。
「リギルさん、大人ですね」
「ええ、まあ、見た目よりずっと歳いってますので。こちらは外出の記録も残っていませんから、殺して跡形もなく処分するつもりだと思っていました。それが何やら恥ずかしいことを言いながら舐めまわす程度です。正直なところ拍子抜けしました。放っておいてもたいしたことはできないと舐められているんでしょうね。まあ、舐められたんですけど」
そういって疲れたようにため息をつく。どういう感じで舐められたのか初めから最後まで詳しく聞きたいが今はその時ではないだろう。
「それでシェイルは何で元気ないんでしょうか」
「あの、これは、予想というか、これまでのパターンというか、二つくらい原因は思い浮かぶのですが、どうにも……」
なんだ。結局わからないのか。
そうこうしているうちに宿に着いてしまう。
「その二つというのは何でしょうか」
「一番はじめに思い浮かんだのはあの少女に怪我を負わせてしまったことです」
そういえば今日の戦いでルルクはロイの保護区で見たような傷を負っていた。
「でもそれ、シェイルのせいじゃないですよね」
「あの方がそう考えると思いますか?」
そういわれると確かに。シェイルの指揮でルルクの訓練が実行されていたわけだから、自分のせいだと思い込むのはありそうなことだ。
「あの方は指揮官としては能力が高いのですが、実は指導経験はないんです」
「いや、でも自分のできることを教えてあげるだけですよね」
「ええ、まぁ、それはそうなんですが、あの方、おそらく自力で術を使いこなしてきたタイプではないかと。つまり誰かに教えてもらった経験もない……要するにですね、できない人がなぜできないのか、あまりよくわかってない可能性があります」
そういえばシェイルは初め「簡単」と言っていた。それに対してシュクロは「簡単なわけない」と言い返していたのだ。思い返せばすべてがその会話に集約されていた。
「このままではあの方はずっと思い悩んでしまいます」
ルルクがさらに怪我を負う心配よりもシェイルが落ち込む方が問題なのか。リギルもかなり偏っている。
ここでようやく部屋に着いた。はやくシュクロを連れて行かなくては。
「シュクロさん、起きて」
リギルとの会話を中断し、すごい寝相で寝ているシュクロを揺り起こす。空腹だったからか意外にもシュクロはすぐに起きてくれた。
「すごい変態が現れたので来てください」
「……絶対やだよ」




