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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第九章 復讐の舞台から
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第百九十三話 復讐の舞台から(7)

「ありがとう。もし帰ったらパパにきちんと伝えておくわね。さ、行くわよ」

 ジルは視線だけで店のカウンターに置かれた借用書を差すと、すかさずルーサスがそれを取り上げ「はい、お嬢様」と、役柄通り洗練された歩調でドアへ向かった。

 店の男は接客用らしき気色の悪い笑顔で「ありがとうございました」と、揉み手をしている。これだけ貸せば利息がたんまりと入るし、ミリルディア家の令嬢に貸しをつくれば、何かしらの便宜をはかってもらえる可能性もあるとほくほくだろう。

 あの金色の飾りボタンを見せれば、みな驚くほど簡単に金を出した。はじめは疑い深い目でジルを見ていた高利貸したちは拡大鏡でボタンを何度も確認して顔をあげると、別人かと思うほど顔つきが変わっている。中には向こうから法外な金額を申し出る者もいた。だがどういうわけか、ルーサスは当初予定していた金額は変えない。もちろん予定外のことをすると、覚えたての演技のボロが出る可能性もある。でもせっかくなのだからもらってしまってもいいんじゃないかとジルはそこだけ不満に思っていた。お金なんていくらあっても困るものじゃないのに。

 何軒目か忘れたが、ルーサスがここが最後だと言った高利貸しの店での仕事は終了。ここまででジルも見たことのないくらいの大金を手にしていた。普段弱者から高い金利で金を貸している連中なので、罪悪感はほとんどない。取りすぎている分を困っている子供たちに還元するという善行が積めてよかったんじゃないかとすら思う。

 ジルは当たり前だという顔をして、ルーサスが開けたドアから靴を鳴らして店を出てゆく。まだ演技は続いていた。

 そのとき。

「おい! アレだ。やっぱり金貸しのとこにいやがった」

「みんな、こっちだ! 令嬢の偽物だ!」

 さっと血の気が引いた。見覚えのある連中がばたばたと細い路地に走り込んでくる。ここ数日で金を巻きあげた高利貸したちだ。想定していたよりもずっと早い。ミリルディア家に連絡をとった者がいるのだ。つまり完全に信じ込ませることができなかった。

「ぼんやりするな」

 パニックで固まっているジルの手をルーサスが引っ張る。

「靴を脱げ!」

 ルーサスに言われるままにヒールのある靴を脱ぎ捨てる。こんな薄暗い裏路地で靴を脱いだら怪我をしそうだが、つかまるよりは断然マシだ。ルーサスに手を引かれるままに路地をどんどんと奥へ走ってゆく。目的があるのか、逃げ慣れているのか、ルーサスの動きに迷いはない。それでも背後から「おい、こっちだ」「ばかやろう。早く向こうへ回り込め!」という怒号が続いている。高利貸し同士、情報のやり取りはあるようだが、うまく連携しているとはいいがたい。そのおかげか、いつの間にか追っ手の声は聞こえなくなっていた。

 路地裏の物陰に隠れ、静かに息を整える。緊張と走ったせいで体中がおかしなくらいに脈打っていた。視線を落とすと、気づかないうちに足には血が滲み、黒く汚れている。せっかく作ってもらったカーテンのドレスもあちこちひっかけてボロボロだ。

「あんたくらいの年になれば、道理ってものはわかるだろう」

 ルーサスの方はさほど息があがっておらず、今の逃走劇もさして大きな事件とは思っていない様子である。

「急に、何よ? ……どういう、意味?」

 ジルは少し悔しくなり、精一杯なんでもない様子を装ったが、息が乱れて格好がつかない。

「――ついてこい」

 ルーサスは固い声でいうと先に歩き出す。ジルはまだ追っ手が探しているのではないかと気が気でなかったが、臆病だと思われるのも悔しくて、何でもない顔で後に続いた。


「確かに。予定通りだ。中抜きしてないだろうな。まぁ、そんなことしたらどうなるかはわかってるよな? ――ほら、坊やたちのお小遣いだ」

 ルーサスが入って行ったのは同じ裏路地にある、いかにも怪しげな店だった。正直、店なのかどうかもわからないが、カウンターがあり、客席のような椅子とテーブルが四組ほど置いてある。建物の中全体が路地よりもさらに薄暗く、いかにも悪そうな連中があきらかによくない話をしているのが漏れ聞こえてきた。

「事前の話より少ない」

 ルーサスは差し出された札束を無視してカウンターの男を睨みつける。

 ここへ来たルーサスはせっかく稼いだお金をすべてこの男に渡してしまっていたのだ。ジルはというと、恐怖でただそれを見ていることしかできない。ルーサスがこんな危なそうな場所に出入りしているなんて信じられなかった。

「うるせぇな。騒ぎを起こしやがった手間賃引いてんだよ。さっきの、誰が今尻拭いしてるかわかってんのか? 文句あるなら旧市街から全員追い出すぞ!」

 男はカウンターを拳で殴りつける。そのために設置されているのかと思うほどカウンターはものすごい音をあげる。ジルはすくみ上がった。間をおいて積んであった書類やインク、ペンなど雑多なものが、これまた激しい音をあげて雪崩を起こす。

「ちくしょう!」

 自分でやったくせに癇癪を起こしている男の手からルーサスは札束をひったくると、何かいわれる前にとでもいうように足早にその店を出る。やり取りを見ていたらしき男たちがニヤニヤとジルを見ているのに気づいて、あわてて後を追って店を出た。

「さっきのは……何なの?」

 長いこと黙って歩いていたが、ジルはようやく口を開くことができた。ただただおそろしかった。

「まさかその年になって、子供だけであんなとこに住めるとは思ってはいないだろ?」

「……」

 ジルは何も言い返せない。確かに自分は平和なお嬢様だった。

 子供だけでも得意なことを教え合って協力すればどうにかなるものだと思っていた。よくよく考えれば旧市街のような危険な場所にいるわりに一度も襲われたりしたことがない。酔っ払いや柄の悪そうな連中が入りこんでくることもあるが、せいぜい睨まれるくらいのものだ。つまり子供たちが暮らしているあの旧市街の一角は先ほどの男たちの縄張りであり、そこへ入り込んでくる連中はもめ事を起こして制裁されるのが面倒で子供を見てもやり過ごしていたのだ。ルーサスが子供たちと稼いだお金の何割かを払うというような約束になっていたに違いない。

 それに今回のこの計画も裏であの男たちがある程度の準備やカモにする店の選定を行っていたように思う。そうでなければあんなにスムーズにことが運んだはずがない。ルーサスがかたくなに奪う金額や決まった店をターゲットにしていたのはそういう理由からだろう。

「ごめん。何も知らなくて……」

「言ってないからな。あいつらには言うなよ」

 羞恥と自己嫌悪で黙りこくってしまったジルを持て余すようにルーサスはしゃべり続けた。

「でもまぁ、俺もあいつらを利用してたんだ。ミリルディア家に早く見つかるのはわかっていたし、これで終わりじゃない。家名を出してあちこちで借金を作ったヤツを放っておくなんてことはないからな」

 それはまずいのではないかと思ったが、ルーサスはむしろ得々と話し続ける。

「わざとおびき寄せたんだ」

 言いながら、ジルの方にさっと手を出す。きょとんとするジルに「ボタン、返せよ」と、ぶっきらぼうに言う。

「何でこんな物、持っていたの?」

 ずっと握りしめていた金の飾りボタンをカーテンのドレスでちょっとぬぐってから返す。

「殺された父が握りしめていた。いや、その時はまだ息があった。『後は頼む』と、これを俺に寄越したんだ」

 足元が崩れ落ちそうな感覚におちいる。つまりルーサスの父は飾りボタンの持ち主に殺されたのだ。

 それなのにある種の妬ましさに襲われ、ジルは戸惑った。自分は誰に復讐をすればいいのかすらわからず漠然と父を殺したヤツを一生かかっても見つけ出してやると考えているだけだったが、ルーサスにはすでにどうすればいいのかがわかっている。しかもこれから復讐すべき相手の方からルーサスを探しにくるのだ。

「そのボタンの持ち主を殺すの?」

「当たり前だ」

 迷いのないルーサスの答えにジルは何かがひっかかった。さっきまで心の中で立ちあがっていた妬ましさは不思議と小さくしぼんでゆく。それどころか足元から冷えるような焦りがはい上がってきた。

「その後は……どうするの?」

「その後?」

 ルーサスはなぜそんなことを聞くのかとばかりに怪訝な顔をする。

「だってルーサスがいなくなったら、何も知らない子供たちはさっきの人たちに旧市街を追い出されちゃうよ」

 ルーサスは虚を突かれたような顔をする。それから「それはあんたが何とかできるだろ」とぼそぼそとつぶやく。冗談じゃない。あんな連中と渡り合えるわけない。

「私、まだ剣を習いたてだし」

「それは自分で何とかしろよ」

 これには即答だ。

「じゃ、じゃあ、じゃあさ――」

 自分でもよくわからないが、ジルは必死にルーサスをこちら側につなぎとめようとしていた。ルーサスが復讐をとげてしまったら今の生活も終わってしまう。旧市街の子供たちとの生活もおしまいだ。まだ全部教わっていないし、教えていない。そんな混乱の中さらにジルはあることに思いいたってハッとする。

「え? ちょっと待ってよ。それなら私のことも利用してたってこと? 最初からミリルディア家に復讐するために私に令嬢の役をさせておびき寄せるつもりだったの?」

 そんなのはずるい。ジルだって父を殺したヤツに復讐したいのに、ルーサスがジルを利用して自分だけ目的は果たすなんて。

「ちょっと待て、落ち着けよ」

 ルーサスは妙にあわてている。

「いやよ。私を利用したなら、私にも利用させなさいよ。それまで復讐なんて絶ッ対に許さない」

 気づかないうちに涙声になっていた。自分が泣いていることに自分の声で気づく。なぜこんなに気が高ぶっているのか。ジルは自分でもよくわからなかった。

 ――たぶんまだ旧市街で、ルーサスとクトと子供たちと暮らしていたいのだ。

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