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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第九章 復讐の舞台から
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第百八十九話 復讐の舞台から(3)

 状況は変わった。命の危機を感じないぶんかなり好転したともいえるが、少女は別の意味での地獄を味わっていた。

「頼れる人がいないんだ。もっと必死になるだろう。台本に書いてなくてもわかるはずだ」

 下働きの子供を安く買って役者に仕立てあげ、それで稼ごうとしている男、名をサティエルというらしいが、とにかく厳しい。少女はこれまで演劇を見たこともなかったので、突然台本を見て演じろといわれても無茶な話だ。幸いというべきか、最近は役者を見ることが多かったので見様見真似でなんとか糸口くらいはつかめた。

 普段はいつも通りサティエルについていって劇場で雑用をして過ごし、それが終わってからの連日の遅くまでの稽古である。ただ、サティエルにとって幸運だと思えるのが少女がただの孤児ではないことだったに違いない。渡された台本を少女がすらすらと読むのを見て目を丸くしていた。そうなると欲が出てくるのが人間というものだ。指導にも熱が入る。

「いつチャンスがあるか分からない」と、あちこちで上演されている子供にもつとまる役がありそうな台本を手に入れると少女に徹底的に練習させた。しかも指先の動きから、わずかな声の調子まで細かく指示してくる。何かしら代役が必要な状況を狙っているのだろうが、そもそもまだ少女は演劇の何たるかすらよく理解してはいなかった。

 しかし少女の方も常に苦痛と恐怖を感じ続ける前の所有者のもとには戻りたくないという理由で必死に食らいついていた。これを利害が一致したとでもいってもいいのだろうか。

「想像するんだ。確かにワンシーンしか出てこない端役だが、ここが一番の見せ場なんだよ。通行人の男がきみのお母さんの織った織物を買ってくれなければ薬は買えない。きみのお母さんは死ぬしかなくなるんだ。『お願いです。買ってください』じゃないだろう。確かに台本にはそう書いてある。でもそうじゃないんだ。時間は夕刻。その子はどんな思いで朝準備をして街まで織物を売りにきたんだろう。お金はないから食事はとっていない。その子はどんな性格なのか、優しい子なのか、明るい子なのか。それだけじゃなく、背景も想像するんだ。街から少し距離があるところに住んでいるから言葉がなまっているかもしれないし、内職や畑仕事で手がボロボロだったり、日焼けをしているかもしれない。そんな境遇の子がどんな声を出して、どんな動きをするのか。細部まで想像して、その子が物語の中だけの存在なんてことは忘れてしまうところまで練りあげるんだよ」

 何をいっているのか、少女は半分も理解できない。言っている言葉はわかるが、ピンとこないというべきか。少女はもう一度台本を手にとった。サティエルが馴染みの劇場関係者や仲のいい役者から借りて必要なところだけ書き写したという手製の台本もどきである。その熱量がすごいことはわかるが、やはり少女にはサティエルの目論みがうまくいくとは思えない。

「そういえば、クトはどこへ行ったの?」

 少女はクトが同じ目的でサティエルの元にいるのかと思っていたが、一緒に稽古を受けていない。口がきけないから役者にはなれないということだろうか。それにしたってクトはいつも傷だらけで痩せている。まさかと、少女はサティエルを見た。

 サティエルはクトをいじめているのではないだろうか。自分がそういう目に遭ってきたので容易に想像ができる。役者には向かないからといって、クトに乱暴をして気を晴らしているのではあるまいか。話すことができないから誰にも助けを求められない。劇場で少女と顔を合わせてもずっと無表情だ。

「あの子は、えっと、別のことをしているよ」

 案の定、サティエルは言いよどむ。

「別のことって何?」

 少女はサティエルを睨みつけた。皮肉にも彼に食べさせてもらい体力が戻り、元来の勝ち気なところが出てくる。

「何といわれても……」

「まさかひどいことをしているんじゃないでしょうね」

「え? ひどいこと?」

「だって、あの子いつも傷だらけじゃないの」

 少女の言葉にサティエルはきょとんとしている。それからようやく内容を理解したというようにハッとすると、あわてて顔を横にふる。

「違うよ、違う。それは誤解だ。これは言うつもりがなかったんだけどな」

 サティエルは頭をかいて庭の柵に腰かける。

 いつも演劇の稽古は庭である。わざわざ庭で火を焚いて明かりとして暗い中やるのである。その庭もほぼ森といっても差し支えない深い雑木林と繋がっていて、隣家は遥か遠く木々にさえぎられて見ることもできない。なんだか両親がいたころを思い出す。少女も緑に囲まれた小さな家に住んでいた。

 街の中央からも少し離れているため大声を出したり走り回ったりしても誰にも迷惑をかけない。おそらくあえてそのような家を選んだのだろう。劇場に通うには少し不便だが、納得がいくまで練習ができる利点は大きい。

「まず、誤解を解きたいんだけど。あの子、きみがクトと呼んでいる子は買ってきた子でも何でもない。親戚中をたらい回しにされていた子を仕方なく引き取ったんだ。口がきけないから仕事ができず、あちこちで厄介者扱いだ。正直なところ、俺も冗談じゃないと思ったんだけど……」

「おおい、サティ!」

 サティエルが何かを言いかけたそのタイミングで何者かに大声で呼ばれる。こんな場所に人がいるとは思っていなかった少女は驚いてそちらに目を向け、そして小さく悲鳴をあげる。

 熊のような大柄な男が小さなクトの手を引いてこちらに向かってくる。火の明かりが届く範囲に入ってきたクトは体中が傷だらけで血まで流していた。それなのに平然とした顔で大男に手を引かれている。

「なんてタイミングだ」

 サティエルは頭を抱えてその場にしゃがみ込む。

「何がだ? 稽古中に怪我をした。手当してやってくれ」

 大男は別段、何でもないような顔をしてクトの背中を押しやる。

「誰? クトに何をしたの?」

 大男がぎろりと少女を睨む。それから小馬鹿にしたように鼻を鳴らすと「このガキは本当にモノになるのか。どう見たって女優という顔じゃない」とため息をついた。

「ゲラルド、わざわざ挑発しないでくれ。今日はもうここまでにしよう」

 サティエルは少女に向きなおる。

「待って。どうしてクトはそんな怪我をしているの?」

「手当が先だ」

 そう言われると、少女も反論できない。黙って家に戻ってゆくサティエルの背中を追うしかなかった。


 ゲラルドと呼ばれた大男とサティエルはその夜、声をひそめて話し合いをしていた。

 少女は何かきな臭いものを感じて、寝たふりをしてじっと耳をすませる。ベッドというような高級なものはこの家にない。穀物の入った袋が積まれたところに背中を預けて目をつぶる。隣には体中を白いさらし布で巻かれたクトが寝息を立てていた。

「今のところ作戦通りだ」

 サティエルの低い声が聞こえた。少女が眠っているものと思い込んでいるのだろう。

「だが問題は本当にあのガキが使えるかどうか、だよな」

 ゲラルドは先ほど同様に馬鹿にしたような口調である。

「それは……まぁ、今のところ何とも」

 サティエルの声は小さくなってゆく。

「ふん。せいぜい事を起こすまでにしごいてやるしかないだろう」

 そこで二人の間に沈黙が流れる。事を起こすというのはなんだろうか。何か悪い企みをしているとしか思えない。

「それはそうと、そっちの儲け話の方はどうなんだ」

 気を取り直したような口調のゲラルドにサティエルはやはり気乗りしないような曖昧な声をもらす。

「半分は口実みたいなもんだ。もちろん儲かったらそれに越したことはない。俺もあんたもあの子に食わせてもらえるかもしれないぜ」

「ふぅん、なるほど。『保護した』つもりかい? これ以上厄介な話はごめんだぜ」

「これは厄介なことにはならない。役者としてやってみたかっただけだ」

「なぁにが役者だ。偽物だろうが」

 サティエルは役者ではなかったのか? では何者なのだろう。

 ほとんど話の意味はわからない。しかしここにいてはいけないという気がしてきた。少女もクトもこの男たちの何らかの企みに利用されようとしている。

 少女はぎゅっとこぶしを固めた。クトを連れて逃げた方がいい。明日の朝、すぐにでも。

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