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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第八章 とある一日
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第百八十五話 とある一日(6)

 なんだか懐かしい香りがする。

 エリッツは首をかしげた。ふわふわとあたたかい気持ちになるが、この香りはなんだっただろうか。

「まだ食事中のようですね。エリッツさんはもうお食事はお済みでしたか?」

「はい。お腹いっぱいです」

 今日は昼から城で働く事務官たちの交流会が催されていた。交流会とはいっても今後の仕事が円滑に進むように横のつながりを強めようという意図を持った立派な「業務」である。昼間の会は各部署の代表が業務の改善案などを出し合い、それについて議論するという非常にまじめな内容だ。そして夕方の早い時間に会食をはじめ、ほぼ定時に解散となった。

 王命執行主席補佐事務室の方ではトラブルがあったようだが、エリッツは久しぶりに町役人のパーシーと話ができて楽しい会食だった。バルグがたまたま居合わせたパーシーをギルの代わりにしようと言い出したときはどうなることかとひやひやしたが、終わってみれば何ということもなかった。エリッツ自身もそうだが、ほとんどが新人なのでどこの誰なのかほとんど面識がない。それに周りに座っていた人たちはパーシーのことを気に入った様子で、どこの部署なのか、今度一緒にランチに行かないか等、きわどい質問攻めをしていたが、さすがというべきか、座を白けさせることなく上手にかわしていた。エリッツにはない能力である。まさに適任の代理であった。ギルは運がいい。

「お疲れでしょう。すぐにお茶をお持ちしますので、部屋にお入りください」

「え、あ、はい。いや、あの、まだ食事中なんですよね」

「大丈夫です」

 確かに疲れてはいたが、リギルに「シェイラリオ様がお茶をご一緒したいそうです」と、呼びに来られては、何があっても行きたくなる。業務以外で中の間に呼んでもらえるなんてめずらしいことなので、いろいろな期待もしてしまう。

 それにしても食事中に邪魔するのはさすがに失礼ではないだろうか。リギルに大丈夫だといわれても、不安が残った。ここへは数度訪れているので部屋の場所はわかっている。「失礼します」と声をかけてそっとのぞくと、シェイルはやはり食事中だった。そばには以前も会ったことがある高齢の女性医師がいる。

「あ」

 エリッツは思わず声をあげた。

「あら、何度もおかわりなさるから、お客人がいらっしゃってしまいましたよ」

 やさしく笑っているが、エリッツはひとりで混乱している。

「あの……」

 なんといったらいいのかわからない。どういっても失礼な気がした。あのなつかしい香りの正体はこれだったのか。

「そ、それは……猫の……?」

 シェイルが夕食として食べているのは、猫が好きなやつだ。グーデンバルド家の屋敷にもどこかの名家からもらったとかいう変わった種類の猫がいて、エリッツはその餌をあたえる仕事を積極的にやらせてもらっていた。エリッツ以外の家族は誰も猫に興味がないらしく、猫の方もそれを知っているかのように餌の時間以外はあまり姿を見かけない。しかしお腹がすいたと足元にまとわりついてくる姿はかわいくて、思い出すとほわっとあたたかな気持ちになる。どこの家でもそうするのかはわからないが、やわらかくした米なんかを餌にしていた。シェイルが食べているのはその餌の香りに間違いない。

 エリッツが固まっているのを見て、医師が口元を押さえて吹き出す。

「ほら、お客人が驚かれていますよ。体に悪くはありませんけれど、それを召し上がるのはおすすめできませんと申しあげましたでしょう」

「ごちそうさまでした」

 医師の言葉を素知らぬふりでかわして食事を終えると、シェイルは「エリッツ、立ってないで、こちらへかけてください」と手招きをする。どういう状況でもそう言われると飛びついてしまうのがエリッツである。

「これを食べてみたかったんです」

 シェイルは少し不貞腐れたような声でいう。

「子供の頃にオズバル様が野良猫に与えているのを見ていました。魚のいい香りがするので食べてみたかったんですが、さすがに猫の餌が欲しいとは言えなくて……。レジスの猫はよいものを食べているんですね」

 唖然とした。猫の餌を食べてみたいとは一度も思ったことがない。やはりシェイルは少し変わっている。

「お屋敷に住むお猫様だけですよ。一般的な家では穀物のクズや残飯などを餌にしているようですからね。オズバル様も猫といったらそれしかご存じなかったんでしょう。しかしリギルはどうしてそんなこと知っていたんでしょうね」

 医師がにこにこと笑っている。意外だがシェイルやエリッツよりもレジスの市井について詳しいようだ。そういえば森の家にいる猫もその辺にある食材を適当にあげていた。そして、どうやら猫の餌はあの始終困り顔をしているリギルが作ったものらしい。いくら主人が食べたがっていたとして、猫の餌を出すというのはよほどの信頼関係である。

「おいしいんですか?」

「おいしかったですよ」

 どうやら本気でそう思っているようだ。とても機嫌がいいように見える。

「食べてみますか?」

「少しだけ」

 お腹はいっぱいだし、猫の餌というのにも若干の抵抗があったが、シェイルがおいしそうに食べていたとなるとやはり共有しておきたい。

「あら、変わったお客様だこと。では、少しだけお持ちしますね」

 医師が部屋を出て行きしばらくすると、使用人らしき少年が湯気の立つ深皿を持って部屋に入ってきた。ふわっと魚のいい香りがする。シェイルがおいしいと言ったからかもしれないが、先ほどより抵抗感がない。

 どんっと音を立ててその深皿がエリッツの前に置かれる。音に驚いて少年に目をやると、気のせいかもしれないが、エリッツのことをにらんでいるように見える。

「シク、こっちへおいで」

 シェイルが少年を呼び寄せると少しむっとした顔をしながらもおとなしく従う。

「手が熱かったんでしょう。きちんとトレーにのせてこないと火傷をしますよ」

 そう言いながら、シクと呼ばれた少年の手をとってさすってあげている。

 え。ずるい。

 そうなるとエリッツの方がむっとしてしまう。エリッツもあの指で体中のあらゆるところをさすって欲しいし、ついでに指もなめさせてほしい。

「食べさせてください」

 シェイルはエリッツを振り返ると少しだけ首をかしげてから「いいですよ」と匙を手にとる。米を匙にのせて、少し冷ましてからエリッツの口元に持ってきてくれる。

「まだ少し熱いですから気をつけて」

 口の中に広がる魚の香りは思ったよりもしつこくなかった。確かに猫の餌だと思わなければ、料理の一品として出てきても不思議ではない……かもしれない。米を皿一杯食べる機会はあまりないが、香りのわりに口に入れてしまうとあっさりとしているので食べられそうである。

 ひとしきり咀嚼した後、エリッツはハッと思いついた。完全に飲みこんでしまってからおもむろに口を開く。

「熱いです。舌を火傷したかもしれないです」

 シェイルはまばたきをしてエリッツを見つめる。やはり少し不自然だったか。

「火傷したかもしれないのでさすってください」

「舌を、さするんですか? ――ずいぶん難しいことを言いますね」

 シェイルがどうすればいいのかと思案顔をするので、エリッツは代替案として「では冷やしてください」と、シェイルの唇に顔を寄せた。

「にゃあ」

 いいところなのに、シクが鳴いた。

 そちらを見ると、いたって真面目な顔をして「にゃあ」ともう一声鳴く。シェイルがぷっと吹き出し「シクも食べたいんですか?」と、匙を手にする。

「ほら、火傷をしないように」

 やさしく米を口に運んでやっている。それはエリッツの餌なのに。

「にゃあ」

 エリッツも負けじと鳴いてみた。ついでに餌をねだる猫のように体を寄せる。シェイルは「猫を飼っているみたいですね」と笑い出した。それからそっとエリッツの頭をなでてくれる。心地よさに溶けそうだ。

 だがまたしてもそれを邪魔するかのようにシクが鳴く。

「もう一口食べますか」

 シェイルはよりによってシクの頭までなでてやっている。

 エリッツとシクの攻防は「にゃあ」「にゃあ」と鳴きかわしながらしばらく続いた。

「随分と楽しそうだな。それは何のプレイだ」

 ふと気づくとラヴォート殿下が部屋の戸口に立っている。隣にあきれきった顔をしたダフィット、その斜め後ろに真っ青な顔をしたリギルが呆然と立ち尽くしていた。

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