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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第八章 とある一日
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第百八十四話 とある一日(5)

「まだお仕事をされるおつもりですか?」

 確かに忙しいには忙しいが、それは今に始まったことではない。いつも忙しい。適度に切り上げて休まなければ体がもたない。

「ダフィット、お前はもういい。キリのいいところまで片付けてから勝手に戻る」

 書類から顔も上げず、ラヴォートは手だけでダフィットを追い出すような仕草をする。

「はい」

 そう返事をしたものの、執務中の護衛と雑用も自分の業務である。もういいと言われても困るだけだ。ラヴォートを自室に送らなければ仕事は終われない。仕方なく今やる必要のない書類の整理をして、冷え切ったお茶を新しく淹れ直す。

「まだいたのか」

 ダフィットが立ち去っていないことは気づいていたはずだが、ラヴォートはつまらなそうにつぶやき、湯気の立つカップを手に取った。

「仰せの通りすでに仕事は終えていますが、書類を片付けておりました」

 秘書官でもあるダフィットも事務仕事を抱えている。だが、それには手をつけず本当に書類の整理と身の回りの片付けのみを行っていた。

「変に真面目なやつだな」

 ラヴォートはあきれたようにため息をついた。

 ダフィットはじっと自身の左手を見る。精霊を扱うことができないのだから、他で負けることがあってはならない。真面目さと忠実さ、肉体的な強さ、知識、思いつく限り、努力の及ぶ限りすべてにおいて、である。

 レジスの第二王子ラヴォートを護衛・補佐すること。その先には若き王の子シェイラリオの存在、そしてその先には敬愛するアルサフィア王の姿があった。まだ子供といってもさしつかえない頃、アルサフィア・フィル・ロイットより受けた恩は忘れようもない。

「ラヴォート様、あのお方は愛されることに慣れすぎています。その方法はあまりいい手ではありませんよ」

 お茶を飲んでいたラヴォートが顔をあげてダフィットをにらみつける。

「何の話だ」

 たっぷりと間をとってから低い声をあげた。やはりあまり触れてほしくないところに触れたようだ。

「ラヴォート様がお仕事をし過ぎているようなので」

 普段は余計な口を挟まない。だがこうも続けば本当に体を壊す。仕事上はいつも通りふるまってはいるが、あきらかにいつも通りではない。

 よくある仲違いだろうと思って静観していたが、空いた隙間を埋め尽くすかのように仕事ばかりされては護衛の方も身が持たない。そろそろ切り上げてもらった方がよいだろう。

「――慣れすぎているとはどういう意味だ」

 ラヴォートは書類を端に寄せ腕を組む。

 これは説明が難しい。言葉通りの意味であるが、本当の意味で理解してはもらえないだろう。

 ラヴォートとしては、あの方とロイの言葉で会話を交わすダフィットの意見を聞きたいのかもしれない。些細なことだが、言葉が違えばニュアンスも変わってくるものだ。

 シェイラリオ・フィル・ロイットが過酷な半生を送ってきたことは認める。家族を惨殺され、泥水をすするほどに飢え、敵地で辱めを受け、肉体的にも精神的にも大きな傷を負った。そしてそれは今もなおわずかながら続いている――と、ダフィットは見ている。

 だが、愛情に飢えた経験はないはずだ。

 生まれてすぐにレジス人であるオズバル・カウラニーに預けられたが、実の父、母、兄姉たちからの愛情も存分に受けて育った。毎夜、当たり前のようにアルサフィア王が農夫のような出立ちをして、末子のいるオズバルの教会に通っていたことは、多くの人々の知るところである。ラインデル帝国から隠された王子であるから人々は「王は信心深い」と、親しみを持って噂した。母である王妃も兄や姉たちも同じようなものだ。さらには精霊にも存分に愛されている。

 単純に妬ましかった。アルサフィア王存命のときは若かったこともあり、疎ましさすら感じていた。ある記憶がよみがえりそうになり、ダフィットは慌てて首をふる。

「おい、ダフィット」

 ラヴォートは指でこつこつと机を叩いている。

「――すみません。私にもよくわかりませんが、そんなことをしてもあの方が折れることはないかと」

 愛情を欲してひざまずく。あの方はそんなことをする必要がない。

「そうだろうな」

 そんなことは分かりきっていると言わんばかりだが、この方も多くの祝福とともに生まれ育っている。ダフィットと同じようにわかっているわけではない。

 家族にも精霊にも、ダフィットは愛されなかった。

『何も持たぬのであれば後は得るのみ』

 精霊の祝福を受けぬ子と知れ、親にはあっさり捨てられた。生きる手段を持たず飢えてさまよっていたダフィットを拾ったのはアルサフィア・フィル・ロイットその人である。

「差し出がましいかと思いますが、今から中の間にご一緒しませんか」

 ラヴォートがフィル・ロイットに執着しているのはあきらかだった。しかも異様と形容してもよいほどの執着である。だからこそというべきか。「距離を取る」というようなありきたりな方法であの方と駆け引きをしようというのはいささか分が悪い。

「お前がそういうなら行ってもいいが――、だが、あれをどう思う?」

 唐突の問いかけにしばし間が空く。

「どう……とは?」

「あいつだ。何を考えているのか、前からわからなかったが、さらにわからなくなった」

 めずらしい。これは本気で気落ちしている。こんなことはこれまでなかった。

「殿下、一体なにが……?」

「――お前も知っているだろう。先の騒動であいつがここに戻れるようにと散々に腐心したわけが、あれは余計なお世話だったようだ」

「ああ」と、声をもらしそうになり慌てて口をつぐんだ。

 実際にその場にはいなかったが、あの方は目的のためならレジスから立ち去ることになってもよいという趣旨の発言をしたらしい。

 ――いかにもいいそうなことだ。

 ダフィットはそう思いつつも「人の考えていることはわからないのが常です」と、差し障りのない言葉をかける。

 真実理解できないのは確かだが、長くそばにいるとわかってくるところもある。あの方は心を許した者には直情的に接する傾向にある――と、ダフィットは感じていた。だが、おそらく当人はそれを甘えだと捉え、あえて自分から突き放そうとしているのではないか。

 要するにこじらせている。

 あの方の理想は十かそこらの子供の目にうつったアルサフィア王の姿である。自分の命を顧みずに民を守り、他国へと逃した。生き残った民たちは当然、アルサフィア王をたたえ崇拝する。そんな存在には永遠に追いつけやしない。――とはいえ、こじらせているといえば、本当はダフィットの方がよっぽどひどい。また封印したはずの古い記憶がよみがえってくる。

『これはおとうさま、これがオズバルさま、こっちがおかあさま』

 ダフィットはかつてまだずっと幼いシェイラリオ・フィル・ロイットに会ったことがあった。なぜそこに行ったのか、今となってはもう思い出せない。

 いつもは多くの子供たちに囲まれている彼が一人、オズバル・カウラニーの教会の前で砂遊びをしていた。砂遊びとはいっても、ダフィットはそれを見てぎょっとしてしまう。まるで生きているかのように地面から人形のような土くれが次々に生まれ、歩き出す。三、四歳ほどの子供のはずなのに、あまりに繊細に精霊を遣っていた。しかもきちんと顔や手足、服まで作りこまれている。こんなこと、大人でもできるかどうかあやしい。

 ダフィットは精霊にこれっぽっちも愛されないのに。この差はなんだ。

 衝動的にその人の形をした砂を踏みつけた。

『おとうさま……』

 泣くかと思ったが、シェイラリオは不思議そうな顔をしてスッとダフィットを見あげた。

 なるほど。自分が不条理な扱いを受けるとは微塵も思っていない。恩情によりアルサフィア王のそば近くにおいてもらっていたダフィットは末子に対する溺愛ぶりを間近で感じている。王だけではない。王妃もわざわざ隙間風の入る教会に忍んでいき、寝かしつけたり、添い寝をするのだというから驚く。

 だから――誰からも愛されるのが当たり前だと思っている。

 何も持たないダフィットは王の口添えはあったものの、方々で労働という対価を払って武術や学問を学ばせてもらった。そこから血のにじむような努力を続け、アルサフィア王に認められるまでになり、ようやく今の居場所を築いたのだ。それなのに――。

 ダフィットは無意識にその王の末子を蹴りつけていた。

 ザッと嫌な音をさせてその子は砂の上に横倒しになる。まったくの無防備だ。今度こそ泣くだろうと思ったが、すりむいた頬をこすって起きあがるとまたダフィットを不思議そうに見ている。王妃そっくりのきれいな顔に大きなすり傷ができ、血がにじんでいた。

 とんでもないことをしてしまったと思う反面、やはりとも思う。ダフィットであれば、大人が動いた瞬間に即「殴られる」「蹴られる」と警戒して身構える。なぜならずっとそういう扱いを受けてきたからだ。それがこの子はどうだろうか。まさか暴力を受けた経験もないのか。頬の血もそのままに、その子はまだダフィットを見ている。意志の強そうな聡い子供の目だった。すべて見透かされている。ダフィットはぞっとした。

 そしてよりによってもう一度蹴りつけた。

 また無防備に地面にこすりつけられたシェイラリオは反対側の頰をすりむいてなお泣きもせずに起きあがる。

 ダフィットはあの得体のしれない視線を向けられる前にと、あわててその場を逃げ出した。

 もうすべてが終わったと思った。くだらない嫉妬でこれまでの努力をすべて台無しにしてしまった。あの子は誰にやられたのかを王にいうだろう。そうなったらもうここにはいられなくなる。

 数日間、ダフィットはいつ王に声をかけられるのかと怯えながら過ごしていた。――しかし、結局何も起こらなかったのだ。そうなるとあれは悪夢だったのだろうかとすら思えてくる。だが、あの子を蹴った感触は呪いのようにいつまでも足に染みついていた。やわらかな子供の体の感触だ。だが不思議と「かわいそうなことをした」という気持ちにはならなかった。ただ敬愛する王に糾弾されることが怖かっただけだ。

 それから十数年が経ち、戦火を逃れた先のレジスでシェイラリオ・フィル・ロイットと再会を果たす。しかしかの人は何もいわなかった。覚えていなかったのかもしれない。そうであればいい。そうであってほしい。

 ダフィットも今なら当時の大人たちがあの子供を愛した理由がわかる。あの子のまなざしは甘やかされたゆえのものではなかった。シェイラリオ・フィル・ロイットは無条件に愛してくれる人々の庇護を離れ、敵国で不条理な扱いを受け、敵意にさらされてなお生き延びた。それでもそのまなざしは変わっていなかったのだ。

 もう若くはなくなったダフィットは愛の重さにも気づいている。愛と暴力はときに近しい。愛情は無償にも見えるが、大きく視野を取るとそんなことはない。何かを成すことへの期待、愛して欲しいという要求、少なくとも無事に生きていることを言外に求められる。

 まったくの無償ではないのだ。

 無償の愛だといわれる親の愛ですら「元気に育ってほしい」「幸せになってほしい」と、要求される。

 無抵抗に蹴り飛ばされていた小さな王子の姿を思い出した。あの方は不条理に愛されることも、不条理に暴力をふるわれることもすべて飲みこんでしまうのだろう。

 ダフィットは自然とアルサフィア王に代わる自身の主として首をたれていた。

「あの方は何も考えてはいないと思いますよ。そろそろ中の間へ行きませんか。あの方は話し相手がいないと退屈するようですから」

 これは本当だ。多くの人々に囲まれて育ったからか、人がいないと落ち着かないらしい。ダフィットも何度か中の間に呼びつけられたことがあるが、そもそもお互いが基本は無口なので、ただそこにいるだけだった。楽しかったはずはないのに、それでも他に誰もいないとなるとダフィットを呼びつける。あれは何なんだろうなと、ダフィットは思わず口角をあげる。

「おい、何がおもしろいんだ?」

 ラヴォートは不満気な顔をしてダフィットをにらみつけた。

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