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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第八章 とある一日
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第百八十話 とある一日(1)

 今日は部下の方に午後から別の業務に当たってもらうとかで、ずいぶん早く出て行かれた。午後からであれば何もそんなに急がなくてもいいような気がしたが、いろいろと都合があるのだろう。

 主を見送ってからも仕事はたくさんある。

 戸口を閉めてもまだ朝の光を返す夏草の残像が目の奥で揺れている。今日も一日天気がよさそうだ。ここは木々がしげっているため真夏でも過ごしやすい。そうはいっても、レジスの夏は故郷よりはずっと暑かった。はじめはどこまで気温があがるのかと面食らったものだが、それにも少しずつ慣れ、体はゆっくりと故郷を忘れてゆく。

 今の生活に不満はない。しかし主の周りで起こる騒ぎには毎度心労がかさむ。

 まずは朝食の片付けだ。

 主は好き嫌いをせず何でもよく食べるため食事のことはまったく苦にならない。表情があまり動かないので初めは不安だったが、しだいにおいしいと感じている顔がわかるようになった。そうなると作り甲斐もあるというものだ。主がおいしいという顔をしているのをそばで見ているのは何とも幸せな時間である。

 自分がひとまわりも歳が上だから思うのかもしれないが、主は存外おおらかで素直な方だ。縁もゆかりもないレジスの坊様が大事に育てたという話も納得する。後から聞いたら坊様ではなく軍人だったらしいが、それはそれである。特に神職者でなくとも、かいがいしく世話をしたくなるということの証左だ。

 だが、一緒に調理を担当する老齢の医師はこだわりが強くて厄介である。医学的な見地から食材などを提案してくれるのは頼もしい。それに高齢にも関わらずレジスの医学書を毎日読みあさり知識を更新するのに貪欲である。腕は確かなのだろう。だが、足腰が弱いからと頻繁につかいに出されるのが難点だ。仕事柄フットワークは軽いつもりだがここを出るまでが一苦労である。細々とした手続きがあり、持ち物もしっかり確認されるうえ、運が悪いとあれこれと難癖をつけられることになる。

 もともと実際の年齢よりも若く見られてしまうため、そこかしこで適当にあしらわれる。これは若々しいという意味ではなく、常に頼りない顔をしているからだ。大それたことをしそうにない小者、そう見えるのだろう。そう見られることは都合がいいのは確かだが、当然いい気分ではない。

「ふぅ」

 無意識にため息をついてしまった。

 朝食は残さずきれいに平らげられている。今朝はレジス風の真っ白な小麦で焼いたやわらかいパンに牛の乳でできたチーズ、葉野菜をのせたもの、ロイの郷土料理である鹿の肉と根菜にスパイスをふんだんに入れてよく煮込んだもの、それに葡萄である。

 レジスは農作物がよくとれるうえに、その流通も発達している。さらにこの場所は高級な食材も手に入りやすい。ある種のスパイスや白いパンなどは庶民が毎日食べられるようなものではないが、ここなら望めば手に入る。おかげで新鮮な野菜や果物など、主によいものをたくさん食べてもらえて、そういう面で文句の入れようがなかった。

 だが、悩みもある。

 レジス人に育てられた主はレジス風の食事も好んでいる。だからもう少しレジス料理のレシピを増やしたいのだが、それがなかなか難しかった。

 主のおいしいものを食べている顔をもっと見たい――。

 ただ料理はまったく本職ではない。自分は元来凝り性だ。それに老齢の医師はロイの伝統料理ばかり作ろうとする。いわく、ロイの人間の体にはロイの食事が合っているのだそうだ。最近はレジスの医学書の影響か少し緩和されたが、はじめは白い小麦のパンですら「栄養がない」と却下された。主は文句を言わないだろうが、ロイの料理ばかりでは作っていても代り映えがせず面白くない。

 書物などは可能な限り入手してみたものの、求めているものはそこにはなかった。もっとレジスの一般的な家庭で気軽に作られているような、そんな料理のレシピを知りたい。だがレジス人の知り合いは極端に少なかった。高貴な方々やその料理人ではだめだ。高級な食材を使って職人が高い技術で作りあげる料理など真似できるわけがない。主が育てられた環境と同程度くらいの庶民的なレジス人が理想だ。

「リギルさん、廊下の掃除が終わりました」

 雑用を頼んでいるシクという少年である。テーブルの前で片付けもせず、ぼんやりしているリギルを不思議そうに見ていた。

 場所柄に大っぴらに雑用を募集することができなかったので身内だが、これがなかなかの粗忽者である。ランプの火を精霊で点けたり、浴室の掃除に水の精霊を放ったりと楽をしようとする。確かにロイにとって生活に精霊をつかうのは一般的だが、ここはロイの保護区ではなくレジスのど真ん中だ。レジスでは精霊を扱う人間は稀有な存在であり、秘匿されている。

 主の立場を悪くするような行いをしないようにきちんとしつけなければならない。それに問題を起こせば主の付き人であるダフィットという男にリギルが叱られる。軍人のような、なかなか迫力のある男なのでそれは避けたい。

 リギルは眉根を寄せてシクを見る。当人は少し癖のある髪を指先でもてあそびながらリギルの反応を待っていた。ここに来てからずいぶんと背が伸びたが、顔つきはまだまだ子供である。

 掃除が終わったといっているが、いつもやらないよりはまし程度の掃除ぶりなのだ。そのくせいつも飄々とやりきったような顔をしている。常に自分の仕事に漏れがないか不安を抱えているリギルとは正反対だ。

「次は食器洗いでもやった方がいい?」

 シクはまだ片付いていない朝食のテーブルを見渡す。

 やる気はあるようだが、この子に食器を洗わせると必ず割る。もともとこの建物にそなえてあった食器である。つまりレジス国王の身内の方がそろえた高価な食器だ。破損したことでどうこう言われたことはないが、あまり多く失えば体裁が悪い。

「食器は――やらなくてもいいです」

「では、寝室の掃除でも」

 思わず顔を伏せた。ここへはレジスの第二王子が三日と空けずに通ってくる。

 目的は主だ。

 暇だとかなんだとか、わざわざ聞いてもいないいいわけをしながら来るものだから、かわいいとすら思えるが、使用人の立場では歓迎ばかりはしていられない。レジスの第二王子という立場のある方の来訪に気を遣わないわけにはいかないからだ。

 しかもこのお方は当然のように主の寝室に入る。

 昨夜は来ていなかったと思うが、あの方は戸口が閉まる時間が過ぎていると、勝手に鍵を開けて入ってくる。主が許可しているようなので何もいえないが、使用人を呼びつけるということをしないため、こちらとしても気がつかなかったような顔をしている他ない。こういう状況で、呼ばれもしないのにわざわざ出て行くというのは、歓迎されないと経験上わかっている。あの方は主がいればそれでよいのだ。

 ここ最近はめずらしく来ていなかったので、昨日こっそりといらっしゃった可能性はある。リギルは昨夜ここをしばらく空けていた。そういう事情もあり、その間、王子が来ていたかどうかは知りようがない。

 要するに寝室がどうなっているかわからない。

 今まで目を覆うような状況だったことはないが、多感な時期のシクに立ち入らせるのは抵抗があった。

「寝室も結構です。仕事ができたら呼ぶので、とりあえず勉強でもしていてください」

 シクはわかりやすいくらいにむっとする。このところ反抗期らしく些細なことで気を悪くする。皿洗いや掃除が心底やりたかったわけではないだろうが、やらなくてよいといわれると癪に障るのだろう。最近は使用人の立場で主にまでつっかかる。どうも主の気を引きたくて仕方がないようだが、見ているこっちはたまらない。鷹揚な主は笑っているが、これも心労がかさむ一方である。

 シクはどうやら役人登用の試験を受けたいらしい。しかし元来が面倒くさがりなので勉強がうまくいっていないようなのだ。精霊が扱えるだけで軍の内定がもらえるというのに、事務官志望だという。もしかしたら主の側で働きたいのかもしれない。

「お芋のスープがいいと思うのよ、リギル。間もなく夏も盛りを過ぎるでしょう」

 周りを気にせず突然わりこんでくるのが、このマイペースな医師である。

「シュナン様、急になんですか?」

 シクが猫のようにするっと廊下の先に消えてゆく。シュナン医師に何かいわれたら面倒だと思ったらしい。よく勉強を教わっているようだが、シュナン医師の課題のレベルが高く、ついていけないのだ。シュナン医師自身も「できない」側の人間のことがわからないようで、戸惑っている、というのがはたで見ているとよくわかる。

「――市場でお芋を買ってきていただけないかしら」

「そ……」

 リギルは言葉が出てこない。芋にもいろいろ種類がある。どの芋のことを言っているのか。その前にここを片付けなければならないし、廊下の掃除の確認、浴室、寝室の掃除、それに今日は自分の仕事も。それから買い物か。洗濯と自分たちの食事の準備は、もう少ししたら庭の掃除をしている別の使用人の女性たちが戻ってくるはずなので任せよう。

 予定を考えながら呆然としているリギルを見て、シュンナン医師は「お掃除をやりましょうか」と申し出る。そう。マイペースだが、基本はやさしい人だ。

 シュナン医師の仕事は一に主の健康管理、ニにレジスの研究者たちとの共同の医学研究である。実は忙しい人なのだ。だが、この時間にここにいて芋のことを考えているということは、今日は外出しないのだろう。

「では……ここはお願いします。とりあえず先に市場に行ってくるので」

 リギルはゆっくりと息を吐いた。

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