第百六十三話 盛夏の逃げ水(28)
「あの人、本当に信用できるの?」
けだるそうな声をあげているアルヴィンはレジスの濃紺の軍服姿だ。
一団は作戦を修正して二手に分かれた。総長たちはグリディラン軍を制圧に向かい、その後方でエリッツたちが背後からくる旧アルメシエ軍の術士たちに対応する。
その際総長は、旧アルメシエ軍の連中はレジス人を攻撃できないからと、アルヴィンにレジス軍の軍服を着て先頭に立つように言った。ライラの話によるとアルメシエは歴史的にもレジスの介入を許してきたということだった。そのためここでレジスの軍人を殺しては面倒ごとになると判断するはずだという。
「でも一応筋は通っているよね」
そう言ったエリッツのことをアルヴィンは胡散臭そうにじっと見る。
「きみはすっかりあの人が気に入ったみたいだね。もしかして、あれなの? 年上のロイの男の人なら誰でもいいの?」
「な、え? なに言ってるの?」
動揺してしまい、まるでやましいことでもあるかのような言動になってしまう。そんなエリッツをアルヴィンは冷めた目で見ながら口を開いた。
「――でも、ちょっと似てるよね」
「何が?」
「あの人、きみの上官にちょっと似てる」
そうだろうか。まったくタイプが違うように思う。シェイルはあんな野生の獣みたいな人ではない。首をかしげるエリッツにアルヴィンは「まあ、いいや」と頭をかいて前を見すえる。アルヴィンは生意気だなんだと絡まれてあまりいい印象を持っていないのかもしれないが、エリッツの方は総長に不思議な魅力を感じてしまっていた。
背後には総長たちとグリディラン軍がいる。エリッツたちの役目はグリディラン軍を追いこみに来る旧アルメシエ軍の術士たちに今のところグリディラン軍が渓谷の一団にとっても共通の敵であることを説明することだ。うまくいけば一緒にグリディラン軍を背後から討つ方向に持っていく。残った複雑な問題は後から考える、らしい。
「あんた、目はいいのかい?」
アルヴィンに声をかけたのは秘め事のリューダだ。ここに来てはじめて知ったのだが、秘め事という集団はメンバー、総勢約三十人全員が術士の才を持った女性たちであった。子供にも見える年齢から戦場に立たせるのが不安になるような年齢に見える人もいるが、全員がリューダ同様しゃきしゃきと動くタイプの女性たちだ。
術士には術士をぶつけるのが定石である(らしい)。
総長はレジス人だという理由でそこにエリッツをつけ加え、後方に送り出したのだ。怪我を負っているので同情も誘えるというような姑息なことまで言っていた。だがおかげで自分が助けられない場所でアルヴィンの術脈がロックされるのではないかという不安は解消された。
「目は悪くはないと思うよ。もう見える」
「もう? ヤツらが何か術を使ったということか?」
「ほんのわずかだけど。風式みたいだ。おそらく隠れながら進むためにあっちの枯れた草地を切りひらいてる」
アルヴィンは岩場の前に広がる黄色い草地を指差した。腰を低くすれば人が隠れられる高さに見える。しかし確かにそのままでは進みにくそうだ。
「よく見えているようだな」
リューダは目を細めて遠い草地を見ている。周りの秘め事のメンバーもリューダ同様に目をこらしている人と、なんなく見えているのか普通に草地を目で追っている人がいた。本当に術士の目というのは能力差が大きいようだ。
そのときわずかに地面が揺れているように感じた。エリッツとアルヴィンは敵意がないことを示すために馬から降りているので足元の振動はよく感じられる。
「ねぇ、今……」
アルヴィンの方を見ると、驚愕したように目を見開いている。
「あの……」
エリッツ以外の全員が遠い草地の一点を見つめて微動だにしない。息が詰まるような沈黙だ。
「え?」
途方に暮れてきょろきょろと辺りを見渡す。どうやらエリッツ以外の全員に何かが見えているようだ。
「――話を聞いてもらえなかった場合……死ぬかもしれんな」
リューダがぽつりとつぶやいた。
「何をするつもりだろう」
ようやく少し落ち着きを取り戻したらしいアルヴィンも口を開くが、緊張しているようで声がかたい。さっきの地面の揺れは何らかの術によるものなのだろうか。おそらくみんなが黙り込んでしまうほどの使い手によるものか。いつものように質問を入れたら叱られそうなくらいにみんなぴりぴりとしている。
「まったくわからないな」
リューダは目を離したら襲われるとでもいうかのようにじっと草地を見つめたままだ。
「でもあれはこっちには来ませんよ」
小さな女の子がリューダを見上げる。おそらくこの場では今のエリッツよりもずっと戦える子なのだろう。見た目よりもかなりしっかりした口調だ。
「この子、モリンは私の『目』だよ」
エリッツが不思議そうに女の子を見ていたからかリューダが説明してくれる。思い出すのはラットル村でのアルヴィンとミリーの戦い方だ。よく見える術士を目として戦うのは術士界隈では一般的な戦術なのかもしれない。
「僕より見えてるんじゃないかな」
アルヴィンがいいそえると、モリンは気恥ずかしそうに体をくねらせて「えへへ」と笑った。かわいらしい。
「出てきた」
アルヴィンの声にエリッツはまた草地に目をこらす。数人の人影が草地から躍り出て、こちらへ走ってくるところだった。思っていた以上に少人数だ。エリッツたちとさして変わらない。
「あの中にはいない……のか?」
アルヴィンがひとりごとのような声をもらす。まだ残りの軍人が草地にひそんでいるのだろうか。
相手方はどうやら草地の中にいるときからエリッツたちの存在に気づいていたようで、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。このままではいきなり術で攻撃されてしまうかもしれない。
「敵意がないことを示そう」
リューダが大きく手を振る仕草のあと両腕を広げた。みながリューダにならうので、エリッツも右腕だけを伸ばす。武器を抜いていないと示したいのだろうけど、術士同士でもそれは通じるものなのか、何だか不思議だ。
それに反応したかのように相手方は立ち止まった。先頭にいるのは確かにロイらしい。黒髪で長身の男性だ。総長が「非常に個人的なこと」と言った人物だろうか。めずらしく動揺していたのでそちらの方も少し気になる。
あちら側の数人がほんの少しの間言葉を交わし、中から二人だけがこちらに走り寄ってきた。
「行くよ」
リューダが、アルヴィンとエリッツをふり返る。やはりエリッツも行かなければならないようだ。
「何かあっても安易に動かないように。モリン、ここに残って」
リューダについて行こうとしたモリンはそっと押しとどめられ、不満げな顔をした。年齢相応の反応がかわいらしい。
向こうが二人で、こちらが四人では明らかに公平性を欠くが、一人多いのは見逃してもらえるだろうか。
三人でしばらく荒地を歩く。近づいてくる二人の術士たちの動きを注視しているからかみんな無言だ。緊張で眉間が痛くなってくる。
二人の術士はある程度近づいたところで立ち止まり、手のひらを向けてこちらにも止まるように促した。先ほどの黒髪の男性ともう一人は栗色の髪に黄みがかった肌をした女性だ。近くで見ると二人とも若い。エリッツとそんなに変わらないように見える。当たり前だがかなり警戒されているようだ。
「レジスの軍人がここで何をしている」
アルヴィンに言っているのだろうが、リューダが一歩前に出た。
「害意はない。話を聞いてほしい」
二人は顔を見合わせた。それからお互いの意見を確認するようにうなずき会ってから「言ってみろ」と、高圧的に言い放った。リューダは別段腹を立てた様子もなく「ありがとう」と少し口角をあげる。
「私たちは民間の傭兵のような組織だ。国を乱そうとしているグリディランに反発して蜂起した。あなたたちと手を組みたい。この二人はレジスの軍人で私たちの意見に賛同してくれている」
リューダがアルヴィンとエリッツを手のひらで指した。何とも絶妙な言い回しだ。グリディランに反発をしているのは事実だが、かといって旧アルメシエを支援しているわけでもない。嘘はついていない。いや、エリッツとアルヴィンは利害が一致しただけで賛同しているわけではないのだが。ついでにエリッツは軍人ではないが、もはや否定するのも面倒くさい。とにかくそんな細かいことはあの二人の術士にとってはどうでもいいことだろう。
この展開は予想外だったのかもしれない。術士の二人ともが「あ」と声をもらして、誰かに意見を求めるかのように、少しだけ背後を振り返るような素振りを見せる。
「この人たちいきがってるけど、指揮官とかではなさそうだね」
アルヴィンがエリッツだけに聞こえるくらいの小声でいった。




