第百五十五話 盛夏の逃げ水(20)
いや、シェイルとぶつかりたくないのだけれど――。
煮え切らない様子のエリッツに総長は「どうした。何が気にかかる?」と、思いのほかやさしく聞いてくれる。
「いや、ええと、その人と戦うような状況はちょっと困る、というか……」
あれこれと図々しい注文をつけて申し訳ないとは思ったが、総長はさほど不快に思っている様子はない。変な人だがみんなに慕われるだけあって懐が大きい。
「いや、戦うなんてことにはならない。なぜなら正義はこちら側にあるからだ」
急に自信ありげに胸をはるが、半裸なのであまりかっこうがつかない。
「仮にそうだとしてもレジスから来た人間が正義のある側につくとは限らないよ」
アルヴィンが横から口を開く。そもそも正義とは何なのか。
「おお、いいね、いいね、ロイのクソガキっぽくなってきたよ。ほら、生意気だ。あと、理屈っぽい」
妙に楽しそうにアルヴィンを指差している。ライラは「普通のこと言ってるだけだと思うけど」と、至極真っ当な感想をもらした。エリッツもそう思う。周りからも「別に生意気とまでは……」「俺もそこまでじゃないと思う」とひそやかな声が聞こえてくる。総長は仲間外れにされたとでもいうような不本意な表情だ。
アルヴィンは微妙な顔をして口を閉ざしていた。この状況では何を言っても生意気だ、理屈っぽいといわれるのは目に見えている。
なんだってこの人はロイの若者に妙な偏見を持っているのだろうか。城勤めでもやたらと「最近の若い連中は――」と、若い人をひとくくりにして愚痴をいうタイプの事務官がいる。しかしそれともまたタイプが違うように思った。むしろおもしろがっているような気がする。アルヴィンに「生意気だ」と言った総長は妙にうれしそうだった。
そしてエリッツもアルヴィンと同意見だ。レジス国王陛下は何を考えているかわからないが、正義の有無にはこだわらないように思う。要は都合のいい方に味方をするのではないだろうか。
「ところで正義というのはなんでしょうか?」
この国をとることを正義としているのであれば、それはどういう根拠からなのか気になった。実際、国は乱れて多くの犠牲がでている。そのことはエリッツ以上によく見てきたはずだ。
「それはまだ秘密だ。その正義の正体こそ俺たちの旗印だからな」
――まったくわからないが、秘密と言われたらもう聞けない。なにしろこちらが先に言えないことがあると明言してしまっているのだ。ここで詳しく教えろと要求できるほどふてぶてしくはなれない。
「そもそもどうしてこの国が乱れたのかというと、アルメシエ王が早逝したからだ。あとはご想像通り。アルメシエ王は若干の問題を抱えていたものの、なかなかの名君だった。いや、残念なことだ」
要するに軍を巻き込んでの跡目争いということだろうか。
「城に立てこもっているのはぼんくら王子、外から虎視眈々と狙っているのは旧アルメシエ軍の半分以上を持ってっちまった先王の叔父にあたる爺さんだ。たいした才覚もない連中さ。双方が気に入らないという兵は賊に堕ちたり、他についたりしちまった。そこに俺たちみたいなゴロツキがうろうろしてるというわけだ、なぁ?」
そこで総長はライラを見た。ライラは何か言いたげに口を開きかけたが、そのまま黙っている。何ごともはっきりとしているライラにしてはめずらしい。そういえばライラはどうして帝国からわざわざアルメシエに来て戦っているのだろうか。そもそも帝国出身だと直接聞いたわけではない。居場所が必要だと言っていたが、まだ何かありそうだ。
「さて、後は何かあるか?」
エリッツははっと背筋を伸ばした。
「あ、後ですね、実はちょっと急いでいます。具体的にいうと、後……四日くらい?」
そこでちらりとアルヴィンを見る。移動中寝ていたので計算が合っている自信がない。アルヴィンが小さくうなずいてくれた。
「後四日くらいでその人を連れ戻さないと立場が危ういわけなんですけど。予定ではいつ頃ぶつかるんでしょう?」
こんなことを聞くのは何だか間抜けな感じだが仕方がない。期限内に無理そうであれば早々に作戦を変更する必要がある。
「実はきみたちが来る前にちょうどアルメシエ城にレジス人の出入りがあるという報告があった」
「レジス人、ですか」
シェイルではないのか。
「どうやら身分のある者らしくアルメシエの兵を多く連れてうろうろしていると聞いた。遠眼鏡でこの渓谷一帯を観察しているようだな。レジスの軍師か学者なのか。俺たち反乱分子を一掃する方法をたくらんでいるのかもしれない。態勢を整えさせる前に城をとりに行っちゃおうかなーっと、思ってたところだ。きみら、運がいいな」
軽い調子で言って、つぎたしたブランデーをあおった。要は城に攻めこむつもりなのか。しかし市場に買い物に行く程度に聞こえる。
「それから国をとろうとしてるのは俺たちだけじゃない。俺たちが動けば他も黙っちゃいない」
そういえばいくつかの覇権争いが勃発していると以前にも聞いた気がする。先ほどからの話をまとめると、アルメシエの王子、そして先王の叔父、それから総長たち――、さらにまだアルメシエをとろうとしている者たちがいるのだ。
「まず、ずっとこっちの様子を見ていた『荒野の獅子』たちが邪魔に入るはず」
総長の言葉を補足するようにライラが口を開いた。
「荒野の獅子?」
何か妙に兄のジェルガスを思い起こす団体名だ。獅子は兄が好んで使うモチーフだが、もしエリッツだったら名乗るのが恥ずかしくて仕方ないかもしれない。
「いきがって名付けてはいるが、ただの山賊に毛の生えたような連中だろう」
総長の眼中にはないらしい。
「その人たち、どこにいるんですか?」
「隣にいる。この渓谷のもっと奥。たまに調味料とか借りに来るみたいだな」
エリッツとアルヴィンは顔を見合わせる。完全にご近所さん状態ではないか。
「――それで、その人たち、攻撃してくるんですか?」
調味料を借りにくる仲なのに襲いかかってくるというのは妙な具合である。
「お互い旧アルメシエ軍を敵と定めているからな。なんとなく情報のやり取りもある。だか、抜けがけとなれば話は別だろう。そのことについては特に獅子のやつらと話をした記憶はない」
「獅子」と雑に略されている。敵が共通なら最初は手を組むなりなんなりした方が効率的な気もするが。
「たぶん『砂炎団』も便乗して襲いかかってきますよ」
めずらしく静かに話を聞いていたライラの隊のメンバーから声があがった。
「『蒼穹の大鷲』も突っかかってくるに違いない」
「『岩中砂塵』もいつもこっちを見張ってるって話を聞きました」
「人数は少ないですが『天壊神』の連中も侮れないです」
なんか変な名前のがぽこぽこ出てくる。全部ものすごく恥ずかしい。
「みんな詳しいな。そんなにいたんだ……」
周りを変な団体に囲まれていることを知らなかったのか。それともまったく眼中にないのか。
「他の隊もみんな知ってます。あたしは以前報告しましたけど。最近はここを離れていたんで知りませんが、新しい団体もいるみたいです」
ライラがさらりと言い放つ。新しい団体……それも恥ずかしい名前なのだろうか。少し気になる。
そこにどこからか「『秘め事』の連中のことか……」と、つぶやく声が聞こえて、エリッツは内心「何で急にそんな団体名なんだ」と落ち着かなくなった。恥ずかしさの方向性が違う。
「国が荒れはじめて久しいのに城に立てこもって何も手を打たない旧アルメシエに反感を持つ人が増えたということだよね」
アルヴィンがため息まじりにそうこぼす。これもひとつの流れなのだろう。
昼間にエリッツを術で攻撃した子も、もしラットル村が賊にやられて住めなくなってしまったら、その能力をいかしてそういう団体に身を寄せることになるのかもしれない。増えてゆくのは道理だ。
「その人たちと手を組んだらいいんじゃないですか? みんな目的は旧アルメシエ軍に勝つことでしょう」
エリッツは恐る恐る口を開いた。部外者が口を出すなと叱られるかもしれない。




