第百五十三話 盛夏の逃げ水(18)
肩で息をしているエリッツを子供たちは少し離れたところから心配そうに見ている。
「痛い?」
五歳くらいの女の子が声をかけてくれた。栗色の髪の毛に浅黒い肌をしている。大きな目がとても愛らしいが、エリッツの傷を見てひどくショックを受けてたようにゆらいでいる。何だか申し訳ない。
「だい、じょうぶ……」
怪我はすぐに手当てをしてもらったのでおそらく大丈夫なのだろう。だが胸を強く打ったせいか、怪我のせいかわからないが体調がよくない。しばらく我慢していたもののすぐにライラに気づかれて後続の馬車に放りこまれてしまった。
そして一度寝転がってしまうともうだめだ。起き上がれる気がしない。嫌な予感がすると思っていたら、案の定熱が出てきた。
エリッツの手当てをしてくれた男性は「これ、結構ひどいよ。熱が出るかもね」と、忠告してくれたがそのときエリッツはそこまでではないだろうと聞き流していた。
「血、出てる」
今度はとび色の髪に肌の色素の薄い男の子がエリッツの左肩を指差した。少し泣きそうな顔をしている。見ると手当てのときに巻いてもらったさらし布に血が染みていた。血は止まったはずだが、なかなかしつこい。しかもいつまでも痛い。寝転がっていて文句はいえないが、馬車がガタつく度に傷に響くのがつらかった。本当にとんでもない水鉄砲をくらったものだ。
あの術を放った子供のことを思い出すと居たたまれない気持になる。きっと何度も賊に襲われて、ひどい目に遭ってきたのだろう。今エリッツの傷の心配をしてくれるこの子供たちもつらい思いをしてきたはずだ。難しいことはよくわからないエリッツでも国が乱れるということの悲惨さをひしひしと感じる。
エリッツが子供たちの乗る馬車に引きこもってから、おそらく三度ほど賊の襲撃を受けた。眠っていた時間もあるので本当はもっと多いのかもしれない。
人手が足りなければ呼び出される可能性もある。何しろ買われた身だ。そう身構えてはいたものの、術脈が解放されたアルヴィンが活躍しているのか、ライラと仲間たちが強いのか、声がかかることは一度もなかった。ありがたいようなさみしいような複雑な心境である。
そのまま眠ったり起きたり、子供たちと話したり、どれくらい時間が経ったのかはわからないが、ハッと気づいたらアルヴィンに起こされていた。
「いい加減に起きなよ。ここは冷えて来るよ」
知らないうちに毛布がかけられていた。あえて寝かせておいてくれたのだろう。体を起こして周りを見渡したが薄暗い馬車の中に子供たちの姿はない。気づかないうちにみんな外に出てしまったようだ。アルヴィンが灯りを持っているということは、今は夜だろうか。
「たくさん寝れてよかったね」
あいかわらずの嫌味である。だが確かに休ませてもらって体調は多少よくなっているようだ。ただ傷はまだ痛む。
「さらし布を変えてもらった方がいいかもしれない」
アルヴィンはエリッツの左肩を見ている。変色した血液で茶色く汚れていた。このままでは治りが悪くなるかもしれない。さっき手当てをしてくれた人に頼んでみよう。
「ほら、いつまでぼんやりしてるつもり? 行くよ」
言いながらも、アルヴィンは手を貸してくれた。
外はすっかり日が暮れている。場所はやはり渓谷だ。景色はライラたちのいた場所とさほど変わらない岩場の連なりである。だが奥の方はまるで町のようにたくさんのテントが張られ、大勢の人たちがいるのが見えた。規模はライラたちのいた場所の十倍くらいはありそうだ。いたるところで火がたかれて遠目では全体が浩々と輝いているように見える。
「あれがライラたちの本隊の隠れ家?」
「そうみたいだよ」
まったく隠れていないが、思っていたよりも多くの人たちがこの国を取ろうと力を蓄えているようだ。「アルメシエ軍の一部」に対抗できるのかはよくわからないが、圧巻の光景だ。
こういっては怒られるかもしれないが、エリッツの怪我の要因となった賊たちとさほど変わらない服装の人たちが酒を飲みながらわいわいと騒いでいる。武装を解くとみなこういう感じなのだろう。それにこういう場所に隠れながら「きちんとした服装」をされても違和感がある。
エリッツは自身の体を見る。人のことはいえないくらいひどい姿だ。ゼインに借りた上着は左袖に大穴があき、いつ袖がちぎれ落ちてもおかしくない状態だ。裾もぼろぼろにほつれて、血と泥と正体不明の汚れでぐちゃぐちゃになっている。何だか気が滅入ってきた。
「――悪かったね」
突然アルヴィンが口を開いたのでエリッツは首をかしげる。何の話だろうか。
「気づかなかったわけじゃないんだけど、間に合わなかったんだ」
エリッツがまだ何の話をしているのか気づいていない気配を察したのか「その傷のことだよ」と、付け足す。
「アルヴィンのせいだなんて思ってないよ。おれ、あのときもう片付いたなって思って、ちょっとぼんやりしてたんだ」
「ぼんやりはいつもじゃないか。でも……だとしてもだよ、術士の対応を任されたのは僕らだからね。責任は感じちゃうよ」
本当に気に病んでいるのか、いつもより少し元気がないように感じる。
「でもその後ちゃんと助けてくれたじゃないか。懐かしいな、あの風式の術。すぐにもしかしてアルヴィンかなって思ったよ」
「ああ、咄嗟に出るのはやっぱり使いなれた術だからさ。よくあれできみを突き飛ばしたんだったね。本当は穿孔風式か何かでそのまま仕留めたかったんだけど、アレが一番早かったんだ」
「うん、助かったよ、アルヴィン。ありがとう」
本隊の人々は何か祝いごとでもあるのか、妙に楽しそうに飲み食いをしている。全員が顔なじみなのか、テントの前で煮炊きをして、酒を持ち歩き、あちらこちらに行き交っていた。まるでお祭りのような状態だ。みんな楽しそうでエリッツたちにも「おい、これ食ってけ」や、「よー、兄弟! 調子はどうだ?」と、いかにも酔っ払っている様子で声をかけてくる。中にはエリッツの怪我を見て「こっちに座って温かいものを食べなさい」と、言ってくれた女性もいた。
ライラたちの隊が特別陽気で気のいい人たちの集まりなのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。この集団全体の特徴のようだ。有力な情報を得たらすぐにでもシェイルを探しに行きたかったが、エリッツはここの人々を好きになりそうだった。きっと「総長」と呼ばれている人がかなりの人格者なのだろう。ますます気になる。
「これはどういう状態なの?」
「今日、ライラたちの隊ともうあと二つ別の隊が無事に戻ってきたから騒いでるみたいだね。うちの隊はあっちだよ」
アルヴィンがさらに岩場の奥の方を指さす。「うちの隊」というところを強調して言ったのはアルヴィンにありがちな皮肉の一種だろうか。
指している方を見ると確かに見覚えのあるメンバーが集って、やはり楽しそうに飲み食いしていた。ミリーが歌を歌っていて、周りは手拍子で盛り上がっている。
「そういえば、ライラはエリッツのことを絶賛してたよ。本当にいい買い物をしたって」
それは賊と戦っているときにも言っていた。ほめられるのは嫌いじゃない。
「こんな傷だらけで、これからもしばらく使いものにならないのに?」
「さあ? きみは強いし、いいやつだからじゃない?」
少し誇らしげにしてくれるのがくすぐったい。
「おーい、エリッツくん、大丈夫かい」
こちらに向かって大きく手を振ってくれているのはローガンだ。その隣にいた男性がエリッツに駆け寄ってくる。
「また出血したんだね。布を変えよう」
エリッツの手当てをしてくれた男性だ。どうやらその分野の知識が深いようで、指は問題なく動くか、しびれるところはないかなどいろいろと聞いてくる。
「それが終わったらみんなで総長のテントに挨拶に行こう」
ライラが大きなカップで酒を飲みながら、友達に会いに行こうとでもいうように楽しそうに言った。相変わらず周りも「元気かな」「元気をなくしたところなんて見たことないだろ」「おい、あのお土産、どこやった?」などと騒ぎだす。エリッツもこの「騒ぎ」にいつの間にか慣れていた。
ようやく正真正銘のロイだといわれる総長に会えるのだ。シェイルを探すための有力な情報があるかもしれない。
「エリッツくん、もうちょっと我慢して」
消毒がひどくしみて体がこわばる。こんな状態で本当にシェイルを連れ戻せるのだろうか。少し不安になった。
 




