第百四十三話 盛夏の逃げ水(8)
端的にシェイルが消えたこと、おそらくアルメシエに行ったのではないかという推測だけをアルヴィンに伝えた。
マリルやゼインのことはあまり触れない方がいいような気がするし、ラヴォート殿下からは秘密裏に動くように指示されているので、あまり詳細を話すとアルヴィンにつっこまれると考えた結果そうなった。
だがアルヴィンは即座に「なるほどね」と、うなずく。
「これだけで『なるほど』なの?」
「まあ、最近そのことを考えていたんだよ」
「そのこと?」
「アルメシエのごちゃごちゃのこと。その内乱にロイが関わっていることは聞いていたからさ。もちろん詳しい内容まではわからない。しかし周りに相談もなく突然消えたとなると、おそらく国王陛下の仕業なんだろう?」
エリッツは息を飲む。なぜ、ゼインもアルヴィンも少ない情報からいろんなことがわかるんだろうか。いや、こうなるといよいよエリッツだけが極端に頭が悪い可能性が高まってきた。
ショックでぼんやりしているエリッツを放ってアルヴィンは勝手にぶつぶつとしゃべっている。
「こうなったら僕もアルメシエに入ってわずかばかりでも彼の方の助けになるべきかもしれない。レジスのことを悪く思っているわけじゃないんだけど、レジス国王陛下は彼の方をちょうどいい駒だと思ってる節があるよね。少し気に入らないな」
「彼の方……」
「きみの消えた上官のことさ。よし。僕も行くよ」
いきなり立ち上がるのでエリッツはぼんやりとアルヴィンを見上げた。
アルヴィンはどうやらシェイルの正体に気づいているようだ。そう考えれば以前からのシェイルに対する態度も腑に落ちる。だが問いただしてもおそらくゼイン同様「知らない」というだろう。
「何をぼさっとしてるんだい。パンなんてポケットに入れておきなよ。スープは……早く飲んで。残すのはだめだからね」
ゼインといいアルヴィンといいエリッツの食事にえらくうるさい。
エリッツはあわててスープをかき込んだ。兵たちの食事だけあって肉類を中心に具がたっぷりと入っているので苦戦する。
せっかくベッドで休めると思っていたのに、もうエリッツは屋外にいた。夜気に冷えた乾いた空気は砂っぽく、すでにレジスから遠く離れたような気がしてくる。そして眠い。
本当にアルヴィンは行くつもりなのだ。簡単にまとめた荷物を背負ってどんどん先に歩いてゆく。
「僕がここを離れる許可なんかおりないから、黙って行くよ」
兵舎の外は静かだが、あちらこちらに見張りと思われる兵たちが持つ灯りがちらちらと瞬いて見える。外部からの異変には気を配っているだろうが、内部のことは特に気にとめていないのだろう。兵舎の外に出ても誰かに声をかけられる気配はない。
「それ、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなくても行くんだよ」
アルヴィンの優先順位はいつもはっきりしていた。軍の内定が決まっていながら指名手配されるのも厭わずロイの保護区を抜け出してしまった実績がある。そのときも理由は北の王を守るためだった。
「お、おれはどうしたらいいのかな。黙って出て行ってもいいの?」
「きみはいいよ。間諜がみんなに見送られて『行ってきまーす!』なんてカッコ悪いだろ。気づいたらいなかったくらいでちょうどいいんだ」
言われてみればそうかもしれない。どうせあまり歓迎されている感じではなかったし、むしろ一度寝たらなかなか起きられないエリッツが朝までここにいる方が何かと不都合が生じる可能性が高い。リデロや術士たちに顔を見られたら正体がバレてしまう。ただ休ませてもらって食事まで出してもらったお礼を伝えられないのが心苦しい。
暗闇で右も左もわからないエリッツはただアルヴィンの背中を追いかけるだけだ。
国境というのはどういう状態なのか、見てみたかったが暗くてわからない。駐屯地の左側は特に暗く木々が繁っているように見える。
「そっちはスサリオ山のふもとの森だよ」
エリッツの視線に気づいたのか、アルヴィンが小声で教えてくれる。
「この駐屯地は山のふもとの森の切れ目にあるんだ。アルメシエから何者かが侵入しようとしたらこの辺りが一番都合がいいからね」
つまりエリッツはここから南にある森の中から一日以上かけて回りこんで北側の森の端までやってきたということか。本来であればオエディシスの町に入りそこからアルメシエに入るのだろうが、迷子になったことによってアルヴィンという同行者を得たので、返って幸運だったと言えるかもしれない。一人ではやはり心細い。
「さて、ここからが勝負どころだよ」
アルヴィンが木に隠れて立ち止まり、左右を見渡している。エリッツもそっとのぞきこむと、灯りを持った兵たちが柵の手前で等間隔に並んでいる。柵はおそらく国境に沿ってたてられているのだろう。
「これ、ダメじゃないの」
その光景にエリッツは抜け道を見いだせない。
兵たちの持つ灯りに照らされた柵の向こうは、荒野であった。ここを突破したところでどちらに進めばいいのかもわからない。そういえばアルメシエのどこにシェイルがいるのかも見当がつかないのだった。
「いいかい。合図したら柵を越えて一気に走り抜けるんだ。心配しなくてもきみは見つかったところで例の身分証でなんとかなるよ。ちょっとカッコ悪いだけの話さ。問題は僕の方だね」
軽い調子でいうが、アルヴィンが一緒に来てくれないとあの真っ暗な荒野でどうすればいいのかわからない。一見して道もない。
「いくよ、準備して」
「待って。何をするつもりなの」
「隙をつくるだけさ、心配性だな。ほらいくよ」
エリッツが次に何かをいう前に、どうと突風が吹き、斜め前にいた兵が灯りを取り落とし消してしまった。
「どうした?」
「何事だ?」
周りの兵たちも風に驚いて声をあげている。灯りが消えてしまったので辺りはまっくらだ。エリッツたちは兵たちが走り回る音にまぎれて柵まで駆けていきなんとかそこを越える。後は灯りの届かないところまで走るだけだ。エリッツもアルヴィンも走ることにかけてはそれなりに慣れている。ふとレジスの城下を一緒に走り回ったことを思い出し懐かしくなってしまった。
「伏せて」
アルヴィンのひそやかな声にエリッツ立ち止まり身を低くした。やがて駐屯地の方から灯りがひとつ灯ったのが見えた。
「いや、急に風が……」
「他に異変はないか?」
「いや、どうだろう。ちょっと見回りを頼むか」
「ああ、そうだな」
何人かの兵がバタバタと動き回る気配がある。どうやらただの風だと思ってくれたようだ。明らかにアルヴィンが風式の術を放ったのだが、誰も気づいていない。
「あの中に術士はいないんだよ。バレっこないさ」
エリッツの疑問に答えるようにアルヴィンがささやいた。
「この後、どこへ行くの?」
「オエディシスの町の方だよ。あっちには道がある」
国境の柵からつかず離れずのところを歩き続け、ようやく町あかりのようなものが見えたのは明け方近くだった。
当然エリッツは半分眠っているような状態だ。
「もうちょっとがんばってよ。こっち側からオエディシスの町には入れない。あの道をアルメシエの方へ行って休めそうな町を探すか、安全そうな場所で野宿するしかない」
明るくなるにつれて確かに道があるのが見えてきた。だがその先には特に町らしきものは見えていない。足場が悪いので道があるだけでもましだが、先のことを考えると長すぎて倒れそうだ。
「アルヴィンは平気なの?」
「眠いし、お腹減ったよ」
「じゃあ、休憩しようよ」
しばらく考え込むような沈黙があり「仕方ないな。僕も疲れたよ」と、さすがのアルヴィンも折れる。
ちょうどいい木陰を見つけて、二人はようやく一息つくことができた。




