第百四十話 盛夏の逃げ水(5)
「あの、その前にちょっと話を戻していいですか。そもそもどうしてシェイルに何かあったってわかったんです?」
今回エリッツはラヴォート殿下から周りにシェイルのことをさとられることがないよう動けと厳重にいわれている。その結果のこれだ。とても見過ごすことができない過失である。
予想通りゼインはひどくあきれた様子でエリッツを見ている。
「なんだ、まさか隠密行動のつもりだったのか? あれが?」
話にならないとでもいうようにため息をつく。
「違いますよ。ゼインさんには全部伝えて協力してもらおうとしたのに全然聞いてくれなかったじゃないですか。話もしてないのにどうしてわかったのかって聞いてるんです」
話しているうちに街を必死に歩き回ったり、夜の森を一人で走ってきた心細さを思い出して声が大きくなってしまう。
「それは悪かった。だが静かにしろ。――そうだな……まずお前が一人でしかもなりふりかまわず動いていたことが不審だった。仕事上の重要事項なら、あの仕事ができるシェイルさんがお前を放し飼いにするなんてありえない」
「放し飼い……」
「書状も何も持ってなかっただろうが。首輪がないのと一緒だ。飼い主もわからない座敷犬に情報を出すなんて素人でもやるかよ」
また座敷犬と言っている。
ともかくラヴォート殿下だってそれくらいは気づいていただろう。おそらくマリルに頼みづらいうえに命令できる立場でもない。それよりもシェイルとマリルが友達だというつながりの方が利用できると考えたのだろう。
なるほど。
どちらにしてもシェイルに何かがあってエリッツが一人で動かざるを得ない状況だと推測できる。
「ははぁ」
エリッツが納得のため息をつくと、たたみかけるようにゼインが口を開く。
「それにあのしつこさと必死さはただことじゃないな、と。お前がそこまでやるとなると対象は限られる」
確かにその通りかもしれないが、わざわざ言われると気まずい。
「別に、おれはゼインさんがいなくなっても必死で探しますよ」
どうせまた嫌味をいってくるだろうと思って身構えていたが、ゼインは意外そうな顔でエリッツを見つめると「そうか?」と言ってから間をあけて少し照れくさそうに笑った。
その反応に拍子抜けしてつい目をそらしてしまう。嘘ではないが、なんだか格好をつけすぎたような気がしてくる。
「そ、それはともかくとして、もう一点。ゼインさんは何か、シェイルの、その、ご存じだったりするんでしょうか、ええと、つまり何がいいたいかというと、ですね……」
北の王とシェイルの件を聞きたかったのだが、これでは何のことか伝わらないだろうし、このまま言い続ければ完全な墓穴だ。聞くんじゃなかった。これは大失態かもしれない。
冷や汗をかきながらしどろもどろになっているエリッツに対して、ゼインは即座に「俺は何も知らない」と言い放った。
エリッツは一瞬きょとんとしてゼインの顔を見つめる。
以前の会話から知っている素振りはまったくなく、むしろ知らないことをアピールするかのように北の王の噂話をシェイルの前で披露するなどをしていた。これまでのゼインの推察力や仕事のことを鑑みるに核心をつく何かに気づいていても不思議ではないはずだ。
しかしエリッツもこの頃にはゼインの――というか、間諜の流儀のようなものの一端をつかみつつあった。つまりこれは「知らないことになっているから変なことはいうんじゃない」という牽制ととらえるべきか。
「わかりました」
エリッツはそれだけいってうなずく。これで正解のはずだ。ゼインはまたあきれているだろうが、墓穴を掘ることにならなくてよかった。
「――では、そろそろゼインさんの話を聞いてもいいですよ」
「だから、その言い方ムカつくんだって。まぁ、いいや。とにかくまず考えるべきはシェイルさんがお前も殿下もほっぽって急に出ていってしまうくらいの動機、それから西の情勢とシェイルさんのつながりだ」
ここまでは何とかついてこれる。
「西が今どうなってるか知ってるか?」
「西……アルメシエという国ですよね」
「厳密にいうと国という態ではなくなって、各地で内乱が頻発している状態だ。様々な組織が国の覇権を争っている。レジスとしてはアルメシエ内のどこの組織にも加担したくはない。関わりたくはないが、人道的な観点から民たちの食糧であれば少しばかり支援しなくもないという微妙な立ち位置を保っている。どこの誰がアルメシエを支配することになっても後々面倒にならないようにという日和見状態だな。あとは内乱のどさくさで国境を侵されないように警備をあつくしているというくらいか」
それくらいのことならエリッツも知っているが、それとシェイルがどう関係するのだろうか。
「それからどうも中にはロイもいるらしい」
「え! どうして!」
「どうしてって、それはお前こそよく知ってるだろ。国がなくなって住むとこねぇんだぞ。正直いうと、今やロイはどこにでもいる」
当たり前のように言うゼインにエリッツは首をかしげる。
「いや、おれの地元にはいませんでしたけど……」
「そんな田舎行ってどうすんだよ」
「田舎……」
確かに田舎は田舎だが。あえて人から言われるとひっかかる。
「とにかく、だ。そこからつながりが見えないか。シェイルさんは誰かからアルメシエ内部のかなり詳細な、しかも自分が直接何とかしなくてはならないレベルの情報を得たんじゃないかと、俺は考える」
「でもでも! それならラヴォート殿下にまず相談しませんかね」
前のめりになるエリッツにゼインは落ち着けとばかりに手のひらを見せた。
「そこだ。お前や殿下には相談できなかった。考えられるのは実行しようとしていることが、レジス国内に重大な影響をおよぼす可能性があって巻き込みたくなかった、もしくは――」
そこでゼインはいったん間を開けた。言葉を選んでいるような、そもそもいうべきなのか思案しているような様子である。
「――一人で行けという指示に逆らうことができなかった」
エリッツはまた口をあけた。一体誰がシェイルに指示などできるだろうか。ラヴォート殿下すら「いうことを聞かない」とぼやいていたのに。
「自分で考えろ。俺はいわない」
先手を打つようにゼインが口を閉ざす。だがエリッツにしてはめずらしく思いいたることがあった。ラヴォート殿下がダフィットから得た情報とはそれではないか。もしそうであればラヴォート殿下からの指示内容が変わった理由にも納得できる。
レジス国王陛下だ。
エリッツの表情を見て、ゼインは満足そうにうなずいた。
「この話はここだけにしろよ。今ある情報だけをつなぎあわせただけだ。新しい情報が入れば一八〇度変わるかもしれない」
言われなくともそんなおそろしいことよそで軽々しく言えない。
「ここまでを踏まえて、結論。シェイルさんが向かったのは、アルメシエのどこかだと考えられる」
あれ?
確かに推察自体は納得のいくものであったが、その結論は――。
「すみません。『西』よりはマシですけど、まだ何というか、範囲広いですよね」
地図上でみたアルメシエというところは、レジスほどではないにしろ、もともとかなり大きな国であった。範囲はほとんどしぼられていないといっても過言ではない。ここまでの話は何だったのか。
「あわてるな。最後まで聞け。なぜ今シェイルさんはそんな指示を受けるはめになったのか。それは『誰か』がアルメシエに関する調査指示を受けその結果を『その御方』に報告をしたからだろう。さっき即座に『西』と言ったのは誰だ?」
「あっ!」
「まぁ、そういうことだ。しばらくここで足止めだな」




