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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第七章 盛夏の逃げ水
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第百三十六話 盛夏の逃げ水(1)

 本当にいろいろなことがありすぎてエリッツの頭の中は散らかったままだった。少し整理しなければならないだろう。その場で立ちどまりこの混乱がどこから始まったのかゆっくりと思い返した。

 まずロイ保護区の視察を経て数日後、シェイルの姿が消えたことからはじまる。

 頭を整理しようとしているのに、深く考えると涙がにじみそうになってエリッツはあわてて頭を振った。まずは自分がしっかりしなくては、解決できるものもできなくなる。

 シェイルの姿が見当たらないと気づいてエリッツはすぐに執務室を見に走った。すると閉じられた扉の向こうからわずかに人の気配がある。エリッツが立ち止まったのは本当にただの気まぐれのようなものだ。いつもなら気配も何も気にせず扉を開けていただろう。

 部屋の中にある気配はシェイルのものとは違うし、許可なく人が立ち入ることも考えにくかった(殿下を除き)。何か話をしているみたいだが声はひそめられていて内容は聞こえない。会話しているということは少なくとも二人はいると考えられた。

 エリッツはこれもまた気まぐれで扉の前を通過してその先の物陰に身を隠す。扉の前で立ち止まったのは本当に一瞬だったはずだ。

 直後、執務室の扉が音もなく小さく開き誰かが外の様子をうかがっているのが確認できた。ほとんど顔は見えない――エリッツよりもむしろ向こうの方が隠れているようだ。

 もしかして噂の間諜の人間だろうか。本当にシェイルを見張っているのか。――となると、いよいよシェイルが消えたという事態が真実味をおびてくる。しかしそれならエリッツが隠れる必要はない。出て行って情報をやり取りし(エリッツには情報といえるようなものはないが)一緒にシェイルを探してもらえばいいのだ。だが何となく出て行くのを躊躇してしまう。理由はわからないが、これが正解ではないような気がした。

 結局、執務室には戻らずそのまま廊下を歩きだす。王命執行主席補佐事務室に行ってもカーラが確認に来るくらいだからなんの情報も得られないだろう。そうなると頼るべきはその上だ。


「遅い」

 エリッツが何かをいう前にさっそく叱られる。書類から顔も上げない。何に対しての「遅い」なのか。エリッツが何をどう謝罪すればいいのか口をぱくぱくさせて焦っていると、ラヴォート殿下は畳みかけるように言う。

「午前中には来るかと思っていたが」

 ラヴォート殿下はシェイルが消えたことを知っていたのだろうか。ラヴォート殿下がちゃんと事態を把握しているならシェイルの行き先はすぐわかるかもしれない。エリッツは少しほっとした。

 それで――どうしたらいいのだろうか。早くシェイルに会いたい。

「鬱陶しい。そこに座っていろ、エロガキ」

 立ったままもそもそとしているエリッツにラヴォート殿下はいつになくひどい罵声を浴びせ、顎先で来客用のソファを指す。とにかく機嫌が悪そうだ。そしてさっきから何かの書類に一生懸命目を通している。

「あの、何か手伝えますか?」

 シェイルがいないので仕事がたまっているのかと思い、エリッツは思い切って声をかけるが、ラヴォート殿下はそのまま頭を抱えこんで机に伏してしまった。何だかわからないがだいぶ参ってしまっているようだ。その様子にエリッツも再度不安に襲われる。

「あの……」

「休暇だ」

 ここで初めてラヴォート殿下は顔を上げてエリッツを見る。

「え?」

「あいつは風のわたる日に休暇をとっていない。代わりに今日から休暇で外に出ている」

「そうだったんですか!」

「うるさい、クソガキ、そういうことにしろ! 休暇は前回分も合わせて十日だ。十日以内に連れ戻せ」

 言われていることを理解するのにしばしかかった。休暇というのは建前でやはりシェイルは消えてしまったということか。

「連れ戻せ――というと、ええと……シェイルはどこに?」

「黙れ。今それを調べている」

 大荒れだ。

 だがエリッツ自身も足元から這い上がってくるような焦りをおぼえる。やはりシェイルは消えてしまったのだ。

 しかし居場所は調べてわかることなのだろうか。エリッツが首を伸ばして机をのぞきこむと、殿下は深淵を思わせる藍色の目でさっとエリッツをにらみつける。相変わらず眼力がすごい。

 あわてて首をひっこめるが、いつものように怒鳴られることはなかった。しばしの沈黙ののち殿下は深々とため息をつき、ゆっくりと口を開く。

「これは間諜どもが残しているあいつの身辺に関わる記録だ。ある程度の権限があれば見られる公式記録で、テンプレートの連続だから意味はない。内容なんてないもの同然。こんなものはいくらでもとりつくろえる」

 そう言いながらも何かをあきらめたようにまた書類を当たる作業を再開する。ダメ元でやっていたということか。

「とりつくろえる」というのは、間諜の方で表面上は何事もなかったように書類に記載し、その裏でシェイルを陥れるような罠を仕掛けていた可能性があるということだろうか。

 しばらく無言で書類を当たっていた殿下がまた不意に口を開いた。

「おい、お前、アレと連絡が取れるか」

「……アレといいますと?」

「もうひとつの間諜の指揮官だ」

「もうひとつ?」

 エリッツがふわふわと言葉を繰り返すからか、ラヴォート殿下はイラだった様子で机を何度も叩く。重々しく立派な机が軋んだような気がした。

「間諜の組織は二つある。そんなことも知らないのか」

「あ、聞いたことあります」

 確か国王陛下直属の間諜部隊はふたつあり、あらゆる調査に関して癒着や改ざんを防ぐため、互いに監視し合うように組織されているらしい。

「この書類を作っているのは、シェイルと懇意にしている指揮官の方ではない。話が複雑になるから端的にいう。これを作っている連中は俺やシェイルにあまりいい感情を持っていない」

 ――ということは、シェイルが消えてロイの人々がレジスに不信感をつのらせ、ラヴォート殿下の政策が失敗すれば都合がよいと思っている人たちがいるのだろう。

「つまりシェイルは敵対している間諜組織にはめられてさらわれたということでしょうか」

「ばかやろう。あいつがそう簡単にさらわれるわけないだろう。――いや、だが、そうだな。あいつはちょっと妙なところで抜けているから、はめられたところまでは可能性がある」

 そう言いながらめずらしくぼんやりと空中を見つめている。

 エリッツもしばらくぼんやりと考えた。それから心得たように手を打つ。

「あ、もうひとつの間諜というのは、つまりマリルたちに助けてもらおうってことですね」

 しかしラヴォート殿下は黙ったまま、やはりぼんやりとしている。しばらくしてようやくエリッツの方を見た殿下の表情に早くも疲れがにじんでいた。早くシェイルを連れ戻さないとラヴォート殿下まで倒れてしまいそうだ。そしてエリッツも心が死にそうだ。早く頭をなでてもらって指をなめさせてもらわないと気が狂いそうである。

「いいか、アレは陛下直属の間諜だ。俺が指示をすることはできない。それを理解したうえで上手くやれ。本来は俺が探しに行くべきだが、そうなるとこの場を誤魔化せる者がいなくなる。状況がわかるな?」

 それはわかるが、十日以内にどこをどう探せばいいのか。マリルに協力をあおごうにも居場所すらわからない。

 困惑しているエリッツを見かねたわけではないだろうが、ラヴォート殿下はひとりごとのように口をひらいた。

「この城内の警備をかいくぐって、強引に連れ出されるとは考えにくい。もちろん警備がなくともそう簡単に思い通りにできるやつでもない。俺のいうことも聞かない。可能性が高いのははめられたにしろ何にしろあいつが自分の意思でここを抜け出したということだ」

 さらりと殿下のぼやきが入った。

 しかしシェイルがそんなことをするだろうか。百歩譲ってエリッツに黙っていても殿下には何かいってから出かけるだろう。それすらできないほど急ぐ理由も思いつかない。まさか戻ってこないなんてことはないだろうなと、そう考えた瞬間涙で視界がぼやけた。

「おい! 泣くんじゃない。いいか、今日までの間に絶対何かあったはずだ。あいつと接触できて、かつ信じさせることができる人間は限られている。総当たりしろ」

 エリッツがあわてて部屋の外に飛び出そうとしたところで、突然そのドアがノックされた。前のめりに転びそうになるのをなんとかこらえる。

「入れ」

 こんなときでも来客には落ち着いた威厳のある声をかけるのでさすがである。入ってきたのはエリッツもよく知る人物であった。

「どうした、何か分かったのか」

 入ってきた人物は一瞬だけエリッツに虫か何かに向けるような煩わしそうな視線を送り、ラヴォート殿下の方へと足早に歩いていく。ダフィットだ。

 そしてもう一人、戸口に困ったような顔で立ち尽くしているのは、北の王の身の回りのことを任されているリギルであった。常に困ったような顔をしているが今日はいつになく眉間のシワが深く、気の毒なくらいに憔悴しきった顔をしている。

 いつもシェイルの身近にいる二人がこの様子では、二人から情報は得られないのだろう。

「なんだと!」

 ラヴォート殿下の声にエリッツもリギルも大きく肩をびくつかせた。振り返るとさすがのダフィットもあたふたと殿下の横で無意味な動きをしている。

「おい、クソカギ」

 しばらく頭を抱え込んでいた殿下が唐突にエリッツをにらみつけるので、エリッツは「ひゃい」と虐待を受ける小動物のような声が出てしまう。

「事情が変わった。総当たりは撤回だ。あの頭のおかしい女のところに直行しろ。それからこれまでのことを全部話せ。――あの女、気がふれているのは間違いないが、どういうわけか頭は切れる。話を聞いただけで察するだろう」

 最後の方はひとりごとのようだが、ずいぶんな言いようである。だが残念なことにエリッツの頭は切れないので何も察するところがない。いつものことだ。

「ただし目立つな。何事もなかったかのように振る舞え。他の人間、特に敵対する間諜の連中には事情をさとられるな。あいつは休暇中だ。何も起こっていない。いいか、わかったら今度こそ行け」

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