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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第五章 風のわたる日
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第百二十話 風のわたる日(5)

「違いますよ。話すと長くなるんですけど――」

「あー、長い話はいい」

 ゼインがそれを言うのかと、エリッツは目を丸くした。やめてくれといったっていつまでも長い話をし続けるのはそっちではないか。

「なんだその顔は。今、仕事中なんだよ」

「お酒飲んでるじゃないですか」

 ゼインは「まるで話にならない」とでもいうように、ゆっくりと首を振る。またバカにされている。

「これ、お店からの風見舞いだそうです」

 エリッツはぶっきらぼうにそういうと、雑にグラスを置いた。勢いで少しこぼれる。

「風見舞い」という言葉には上官からの部下の家族への贈り物という意味以外に、休暇の時期に人に物を贈る場合にも用いられるようだ。ずっと田舎にいたエリッツには馴染みがないが、汎用性の高い言葉らしい。

 テーブルの上には帳面やペン、書類を入れるための袋などが無造作に寄せてあった。本当に仕事なのか。そういえば以前、シェイルもベリエッタに会って情報を仕入れていたようだった。

 ベリエッタは何者なんだろうか。

 エリッツがまじまじと顔を見ていると、自然な動きでエリッツのこぼした酒を拭きとりながら「なあに?」とほほ笑む。エリッツのことは覚えていないかもしれないが、以前一度会ったことがある。だがここの女性は前の来店の情報など余計なことは一切言わないので覚えていたとしてもわからない。

「はいはい、用が済んだらさっさと行く。指名でもとってこい」

 ゼインが犬でも追い払うように手を振っている。いつもにも増して扱いがぞんざいだ。

「ゼインさんは実家に帰らないんですか?」

 なんとなくそのまま立ち去るのが癪で、エリッツは居座りを決めこむように口をはさんだ。

「休暇中は『留守番』だ。せいぜいのんびりするわ」

「留守番」というと、森の中にあるあの家で過ごすのだろう。ちょっとうらやましい。

「あ、お前さ、気をつけろよ」

 急に思い出したように声をひそめるのでエリッツは「え? 何ですか」と身がまえる。

「この間の役人、パーシーってやつ。お前のこと探してるから」

「ああ、あの人。なんか問題があるんですか?」

「お前と友達になりたいって言ってた」

「それのどこが問題なんですか?」

「ボードゲームを教えてほしいそうだ」

 要領を得ない。気をつけなければならない要素が皆無だ。パーシーとエリッツが友達になってボードゲームを教えると運気でも下がるのだろうか。

「パーシー本人と役所の友達六人、下宿先のおかみさん、右隣の家の男とその娘、左隣の家の幼い兄弟、向かいの家の老人とそこの下宿人の男、行きつけの飲み屋の店員三人、市場で揚げパンを売っている女、あと酒屋の……」

「ちょ、ちょっと待ってください。それ、何を列挙してるんですか?」

「パーシーがボードゲームを一緒に教わりたい友達」

 しばし間がある。ベリエッタが絶妙なタイミングで「あら、そんなに大勢」と小さく笑った。

「……気をつけます」

 そんな人数を相手に教えることはできない。そういうことを仕事にしている人ならともかくエリッツはただの愛好家止まりだ。ゼインひとり教えるのもかなり苦労をした。そもそもゼインのやる気がなかったからというのもあるが。

 だがパーシーという人にはもう一度会ってみたい。気負いのない人で話しやすかった。協力してダウレで戦ったので妙な連帯感をもっているのもある。エリッツのことを「座敷犬」呼ばわりするのには閉口したが、そもそも名乗っていなかったし、最初に座敷犬と言ったのはゼインだ。

 機会があったらまず名乗り、次いで一人で大勢を相手にボードゲームを教えるのはむずかしいことを説明しなくてはならない。

「忠告したからな。よし、帰れ」

 ゼインは力強く衝立の外を指さす。やはり犬のように扱われている気がする。

「あ、ゼインさん! エチェットって人を知ってますか」

 エリッツはそんなゼインを無視してもっとも気になっていたことを聞いてみる。ゴシップ好きで手持ちの情報量が多いゼインであれば知っていても不思議ではない。

「あー」

 だがゼインの反応は悪かった。

「お前、それ、俺から聞いて満足するわけ?」

 エリッツはぐっと胸をおさえた。

 その言葉は突きささる。

 ゼインの反応からやはりシェイルの婚約者という線で間違いはなさそうだ。それに確かにシェイルに直接聞いた方がいいのに違いない。だが怖い。怖すぎる。

「すみません……」

 エリッツはしょんぼりとうなだれて、踵を返した。

「ちょっと待って」

 ベリエッタに呼び止められて振りかえる。小さく手招きをされて近づくと、エリッツの手をとって何かを握らせてくれた。見ると薄紙に包まれたお菓子のようなものだ。

「さっきお客さんにいただいたのよ。食べきれないから持っていって」

 ベリエッタが持っている布張りのボックスには同じような薄紙の包みが数個入っていた。エリッツがその薄紙をそっと開くと、まるでカッティグされた宝石のようなものが三つ入っている。それぞれ蒼玉、紅玉、水晶いや、金剛石に見立ててあるのか。店内に置かれた玻璃のランタンからの光をうけてきらきらと輝いていた。

「うわー、きれい」

「キャンディよ」

 沈みこんでいた気持ちが少し持ちなおす。

「もったいなくて食べられないですね」

 こんなに透明度の高いキャンディは見たことがない。見る角度を変えるたびに律義に光を返してくる。うっとりするほどきれいだ。高級娼館でプレゼントとして女性に渡すものならさぞかし値の張るものなのだろう。

「キャンディなら長持ちするから飽きるまで眺めてから食べてもいいわね。カウラニー様にも見せてさしあげて」

 エリッツははじかれたように顔をあげた。ベリエッタはエリッツのことを覚えていて、しかもある程度事情を知っているらしい。シェイルに関してエリッツは「エチェット」という女性の名前を出しただけだ。

 ベリエッタはゆったりとほほ笑んで「カウラニー様の分もいるわね」と、包みをもうひとつ持たせてくれる。

「あー、どいつもこいつもこのガキを甘やかすよなぁ」

 どこか投げやりにいいながら、エリッツが置いたグラスをあおる。高いお酒なのに一気飲みだ。もったいない。

「ん。ごちそーさん」

 グラスをこちらに押しやり、コインを一枚その足元に置いた。

「ゼインさん、これ?」

「チップだよ。知らないのか」

 さっきの余裕のある男性たちに比べると非常に庶民的なチップだ。だが現実感のある金額が素直にうれしい。外でお昼ごはんが食べられる額だ。

「うーん、でもリファさんに全部とられちゃうんで」

 そっとコインを押し戻すと、ゼインは大仰にため息をついた。

「ポケット入れとけよ。お前、よそでもカモられ放題だろ。バカじゃねえの」


 すべての席をまわり終え、着替えをすませたエリッツは激しい眠気と戦っていた。

 早寝遅起きが基本のエリッツにとっては、もう夜が明けるのではないかと思うほど長く起きている。それなのにまだ宵の口だといってお客さんが入ってくる。起きていると夜はとても長いようだ。

「はい、これ、あんたの取り分ね。かなり指名が来たけど、お断りすることになったから少なかったわ。今日だけの助っ人だって説明したんだけど、まぁ、そう考えたら結構頂いた方かしらね」

 カウンターの奥の事務室のようになっている部屋でリファが紙幣を一枚さし出した。エリッツが直接受け取った金額だけでもこの数十倍はあったはずだ。だがリファからお金がもらえるというのは想定外だったので、眠い目をこすりながらもありがたく受けとる。

「調子に乗らないでよ。新顔っていうのはお客様もご祝儀代わりに声をかけてくれるものなんだから」

 いちいち釘をさしてくる。夜の店でデビューするつもりはないのでそんな注意を受けるのは心外だ。

「不満そうな顔ね。もっと稼ぎたいなら裏の店に紹介するわよ」

 リファの目がきらきらと輝きだす。

 裏の店というのは男娼がいる店だ。紹介料をもらうつもりなのだろう。確かにそういう店なら稼げるだろうが、いくらお金をもらっても、それではシェイルのそばにいるための勉強ができなくなる。

 そもそも何でリファの店でアルバイトみたいなことをしていたのだろうか。眠気で思考がふわふわと拡散してゆく。

「眠たいの? 寝ていく?」

 室内の長椅子を指さしてすすめてくれるので寝てしまおうかと思ったが、そこでエリッツはハッと思いいたった。

 今もらったお金で風迎えをやったお店に四人分の食事代を支払えるのではないか。ゼインにもらったお金を合わせればギリギリ足りるかもしれない。

「お金を返してこないと」

「あら何? 借財でもあるの? それなら、はい。風見舞いだと思って」

 リファが案外あっさりともう一枚紙幣を出す。まさか二倍になるとは。いや、やはりもともとお客さんからもらった額が大きかったのではないか。

 しかしこれなら絶対に足りるし、なんならおつりがくる。善は急げだ。

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