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亡国の草笛  作者: うらたきよひこ
第三章 黒い狼
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第百七話 黒い狼(6)

 それからは確かに面倒なことになっていった。

 オズバルはシェイルを自身の邸宅に連れ帰りたがったが、何がしかの圧力により許可が出なかったようだ。

 ゴルドローグ指揮官が噛んでいるに違いない。確認したところ案の定というべきか、エイミア王女の親族であった。すでにラヴォートはエイミアに目の敵にされている恐れがある。大袈裟に鼻で笑われたこを思い出すと何度でも腹が煮えた。今後ことあるごとに引き合いに出され揶揄されることになるだろう。

 しかしオズバルとてエイミアやゴルドローグ指揮官に負けず軍部での影響力ははかりしれない。それに二人にはない人望もある。運がなかったのは今が戦時であることだ。

 シェイルを捕虜としてすぐオズバルが軍のお偉方を集めて陛下に話を通したがっていたのもそのためだった。先手を取ってしまわなければ、そんないわくつき捕虜の待遇などを相談する時間は取れないと方々に切り捨てられる。「帝国軍の子供の捕虜」と話題になっており、関係者が再度戦地に赴く前、このタイミングでしか事態は動かせないとオズバルはしっかりと見極めていたのだ。

 何ごともなければ陛下はロイで起こった事態を耳にして生き残ったロイの王族に対し何らかの判断をしたはずである。オズバルが直接陛下と話すことができていれば、おそらくシェイルにとって悪くない待遇――オズバルに一時的に引き取られる――という可能性もあっただろう。

 あのくだらない喧嘩によりすべてを台無しにしてしまった。

 だが、オズバスの目論見こそ白紙に帰したものの、ラヴォートにとって今の状況が悪いとは言い切れなかった。

 例のルーヴィックお手製の兵士の制服を着こむとラヴォートは自室の窓からそっと抜け出す。城の敷地内にある牢よりもずっと近い。もともとは国王陛下の祖母にあたる人物が隠居するために作らせたこぢんまりとした離れである。そこはわざわざ訪れようとしなければ立ち寄れないような場所にあり、警備しやすく他国の王族を住まわせておいて後々問題になるようなひどいところでもない。

 ただし、いわゆる軟禁である。帝国軍に所属していたという事実は否定できず、レジス軍の目の前で多くの帝国軍を殺害したことはかなりの衝撃を与えていた。軍部では危険視する声も多い。しかし戦時でありすぐにどうするかは決められず、議論は棚上げということに落ち着いたのだ。

 その建物は王族の居住する王城の最も奥まった場所と執務室の並ぶその手前の棟の間に広がる広大な庭、中の間の一角にあった。

 当然、警備兵はいるが早くもラヴォートは寝室の小窓のひとつから侵入できることを確認していた。小窓は身長よりもはるかに高い位置にあるが、ラヴォートの身体能力をもってすれば容易に侵入できる。

「何を読んでいる?」

 シェイルは彼の体に対して大きすぎる寝台に身を横たえ、本のページを繰っていた。灯りの揺れに合わせその白い頰の陰影も揺れ動く。勝手に侵入することに対して文句も言わないが、気が乗らなければこのように無視をする。

 ラヴォートは小窓に腰かけたまましばらくシェイルの様子をながめていた。

「怪我の具合はどうだ?」

 みつろうの灯心がたてるわずかな音さえ聞こえそうな静寂である。後はときおり本のページがめくられる音がするだけだ。

「今夜は満月だぞ」

 窓の外は浩々と月明りが降りそそいでいる。もしかしたら室内よりも明るいのではないだろうか。

「満月?」

 シェイルはようやく顔をあげてラヴォートの方を見た。それから寝台をおりてラヴォートが座っている小窓の下まで来る。ラヴォートが邪魔になって月は見えないだろう。しばらく無為に見つめ合っていたが、おもむろにシェイルが口を開く。

「そこをどいてください。月が見えません」

「外の方がよく見える」

 ラヴォートは小窓から外へと飛び降りた。しばらく待ってみたが中から小窓にのぼろうとしている気配がしない。そういえば怪我をしているのだったと思い出し、声をかけようとしたところで、シェイルが窓から顔をのぞかせた。そのまま危なげなく外に出るとラヴォートの隣に立って空を見上げる。静かに降る月明かりに目を細め何かに聞き入るように月を見ていた。

「怪我はいいのか?」

 シェイルは無言で空を見上げたまま、寝巻きのような長衣の肩口をぐっとひっぱって見せた。ラヴォートが強くつかんで悪化させてしまった右肩だが、驚いたことにあんなに深く傷ついていたはずがすでに新しい桃色の皮膚が張り治ったといっても差し支えない状態になっている。あれから五日――いや、最後にあのひどい状態の傷を見てからは四日しか経っていない。

 言葉を失っているラヴォートに、シェイルはこともなげに「体は丈夫なんです」と言うが、丈夫だとかそういう問題ではないだろう。

「これがフィル・ロイットという一族の体です」

 ラヴォートがあんまりにも会得がいかない顔をしていたためか、シェイルは仕方ないとでもいうように補足する。

「昼にルーヴィック様が来ました」

「ルゥが? 何でだ?」

「わたしが牢に入った夜から毎晩こっそり来ていたんですよ。それが今日はきちんと許可をとって明るいうちに入口から来ました」

「毎晩? 何のために?」

 肝心の内容を言わないのでラヴォート徐々にいら立ってくる。

「毎晩、詩を一編読んでくれるんです」

「――詩?」

 ルーヴィックはあらゆる方向に博識だが、詩というのは意外だった。

「今日、五編目の詩を読んでくれました」

 そういって先ほどまで読んでいた本をラヴォートに見せる。

「詩はあまり詳しくないのだが」

 ブライスが文学などの教養も王族には必須であるといって有名な詩歌はひとしきり暗唱させられたのだ。だがそれ以上自ら探して読むようなことはなかった。

「狼の遠吠えで月が砂漠に落ちるんです。それをいろんな動物や人間が切り取って持ってゆくと最後には真っ暗になります」

 シェイルが本の最後のページを開いて見せる。真っ黒にインクで塗りつぶされたページだ。面白い趣向だが、そんな詩のどこがいいのか、いまいち分からない。

「それが詩の内容か?」

 シェイルはこくりとうなずく。

「何の暗喩だ、それは」

「何の暗喩でもありません。そのままです。

 ――ろう、ろう、ろうと 狼の遠吠えをきく

 月そう、そう、そうと 光ちらし落ちゆけば――と、冒頭はこうです。声に出して読みあげたときの音がおもしろいのです」

 異国の人間の顔つきでそんなことを言う。レジスの詩歌まで読みこなすのか。

「それで――? まったく話が見えない」

「この詩は全部で五編、今日でおしまいです。実はわたしも詩はそこまで詳しくはなかったのですが、ルーヴィック様は読むのが上手なので毎晩楽しみにしていたのです。しかし今日で最後だと言われて少しがっかりしました」

 やはり話が見えない。ルーヴィックは黒い狼を自分のものにするといいながら何を仕掛けていたのだろう。詩を読んで手懐けるつもりだったのか。話を聞いているとそこそこ成功していたようにも思うが。

「今日、五編目の詩を読んだ後に、『ボクのものにならないか』と言われました。命以外のものなら何でもくれてやるから、と」

 ラヴォートはそのまま気が遠くなりそうになった。方法が婉曲的なのか直接的なのかわからない。連日詩を読んでやって心を開こうとしたところまでは納得いかなくもないが、その後の展開が直球すぎておかしい。やはりルーヴィックは生粋の奇人だ。それに自分のものにすると豪語したわりに何でもくれてやると申し出るとは、完全に入れ込み過ぎの領域ではないか。

「なのでわたしも欲しいものを申し上げましたが、ないものはやれないと逆に断られてしまいました」

 ラヴォートはこちらも何を言い出したのかすぐに理解できなかった。ルーヴィックは王族である。「命以外何でも」と本気で腹をくくれば本当に何でも準備できる立場だ。

「お前、何をふっかけた?」

 シェイルはしばらく黙る。また無視かとラヴォートは小さくため息をついた。

「――ラヴォート様がそれをわたしにくださいませんか」

 何かを考えている風だったシェイルは唐突に口を開いた。

「ルゥが持っていないものはたぶん俺も持っていない」

「いいえ。ルーヴィック様はラヴォート様なら持っているとおっしゃっていました」

 今度はラヴォートの方が黙った。何のことか皆目見当がつかない。

「それを俺が持っていたとして、お前にやったら、お前は俺のものになるのか」

 シェイルはゆっくりと口角をあげた。笑ったのだろうか。月明かりに濡れたような黒い目がまた獣のような気配を帯び光りはじめる。

「いいですよ」

 何だか高くつきそうな取引だ。あの強引で目的のためには手段を選ばないルーヴィックが無理だといったほどのものだ。

「それで、ルゥは俺が何を持っているって?」

 シェイルは何かを見極めるようにラヴォートの目をのぞきこむ。それから少し間をおいてからようやく口を開いた。

「王の器」

 しばし沈黙が降りる。

 そう、そう、そうと月の光の音を表現した先ほどの詩をなぜか思い出した。月明かりだけが二人の間に降りそそいでいる。

「ラヴォート様がこの国の王になり、わたしに少しばかりレジスをください。ロイの民はもはや大昔のように旅をしながら暮らすことが難しくなりました。一つの土地に長くとどまり過ぎましたし、今や多くの国が国境を設け部外者を差別し排除します。余所者として頭をさげて土地から土地を流れるような暮らしは不可能でなくとも不自由なんです」

「な、何を言っているんだ?」

 喉がからからに乾いていた。「レジスをくれ」だと?

「やはりだめですか」

 シェイルはさして残念ではなさそうにそういうと、寝室への小窓のふちに手をかける。

 ラヴォートはその背後からシェイルの長衣の裾をつかんだ。

「待て」

 ラヴォートの中で様々な感情がうずまいていた。兄弟姉妹の顔を順に思い起こしてゆくと、王の器というべきものを持つのは確かに自分だけではないのか。ルーヴィックは端からその気がない。エイミアは議会でギャンギャン喚き散らすばかりで人望がない。さらに他の王子、王女もみな何か欠けている。惜しいと思わせる者もいるが、ラヴォートを超えているかというと正直疑問だ。だが、そもそも自分自身も客観的に自分が見えているのか。

 ロイという国のことはよくはわからないがオズバルによると多くの民が生き残っているという。やがて難民の問題に発展するだろう。もちろんそれを解決すべきは現レジス王であるのだが、ここにロイの王の血筋の者が残っている。ラヴォートがこの黒い狼を自身のものにすれば、ロイの民をうまくまとめ上げることも可能ではないか。子供のラヴォート自身にそれができなくとも国王陛下に提言することはできる。

 レジスとロイの双方の利害が一致すれば、悪くない結果になる。いや、それこそ今後の反乱や謀反につながる要素になりはしないか。

「眠いので放してください」

 小窓に手をかけたまま、シェイルはうんざりしたようにラヴォートを見ている。

「ちょっと待て。黙っていろ」

 ラヴォートは目を閉じて、再度頭を整理する。目を閉じていても月の明かりが降りそそぐ気配が濃厚に漂っていた。この黒い狼を手に入れたとしておとなしく足元に座らせておくことなど自分にできるのか。

 シェイルはいつの間にかラヴォートの手を逃れ、小窓に腰かけてこちらを見下ろしている。強い月の光で表情は見えない。黒髪が金色の生糸のように輝いていた。

 欲しい。これが欲しい。

 はるか遠く、狼の遠吠えを聞く。それは幻聴かもしれない。

「わかった。俺がレジスの王になろう」

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