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時の掌握者  作者: 夢我霧中
三章
36/39

09

 日差しが穏やかに射し込む。


「朝か」


 昨日は何事もなく終わった。今日もまた乃彩と共にネズミーワールドに行かなくてはならないと考えると、慧は少しばかり憂鬱な気分になる。

 時計を見るとまだ六時。開園までにはまだまだ時間があるが、二度寝するような時間ではない。隣をみると乃彩はいないが、特に気にする事なく慧は立ち上がる。


 そして顔を洗おうと思った慧は寝室横の扉を開けて乃彩と目があった。


「「……え?」」


 バスタオルを肩にかけただけの乃彩と視線が交差し、お互いの言葉が重なる。硬直した動きは数秒も保たず、顔を真っ赤にした乃彩が、ツカツカと慧の方に歩み寄り、ドアを勢いよく閉めた。

 慧はこの後どうすれば生き残れるのかを必死で考える。


 答えの出ないまま数分が経過し、ガチャリと扉を開けて出てきた乃彩に慧は勢いよく頭を下げた。


「すまないッ!」

「……頭をあげなさい」


 おずおずと頭を上げると慧は額に軽い衝撃を受ける。デコピンされたことに気づいたのはその直後で、少なくとも平手打ちくらいは来るだろうと考えていた慧は思わず僅かに眉を顰めた。

 それに気づいた乃彩は小さくため息を吐く。


「今回はそれで手打ちよ。ノックをしない貴方もどうかと思うけど、鍵をかけなかった私も悪い。今日はミスを犯せない日よ、このことは気にしないようにしなさい。もちろん私も気にしないわ」


 そう言う乃彩だが頬には紅が差しており、慧は先ほどの光景を思い出す。


「……善処する」

「慧、ふわふわした感覚で任務に臨まれると私が困るのよ。前回は異形種が相手だったけど今回は人間よ。私の言いたいことがわかるかしら?」

「人を、殺す可能性がある?」


 乃彩の言葉に慧の頭の中にある場面が浮かび上がる。自分が大鎌で敵を殺す瞬間が。考えていなかったことを想像し、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「正解。私の裸を見たくらいで動揺されると困るの。切り替えは大切よ」

「あぁ、わかった。すまない」


 急速に慧の頭から血が引いていく。乃彩も平静を取り戻しており、仕事の時の冷たい表情へと変わっている。慧はそう告げると、洗面所へ向かい顔を洗う。

 鏡に映る自分の顔はゾッとするほど冷酷で、自分がどこか既視感のある表情(それ)が作れることに少し驚いた。そして、大鎌を手にしたときの自分は気づいてなかっただけで同じような表情をしているのかと想像すると、どこか自分が自分でないような気がして背筋が寒くなる。


 ────自分は人を殺せるのだろうか。


 ふと湧き上がった疑問。自分が死ぬことは嫌だ。当然だ。相手を殺すこともできればしたくはない。だが、俺が殺せなかったばかりに乃彩が傷つくのなら。もし、殺さなかったばかりに俺の正体が露見するのなら。殺さなかったばかりに今の生活が壊れるのならば。


「殺せる。天秤に掛けるまでもない」


 自問自答する中で導き出した慧の答え。いつの日か、殺すときは躊躇うなと鈴が言っていたことを慧は思い出した。鏡を見る。

 その瞬間、既視感の正体が以前の乃彩の表情だと気づくと、慧の心臓がドクンと大きく脈動する。


 鏡の中の自分が自嘲げに笑ったことを確認すると、冷水で顔を洗いタオルで水気を拭った。

 部屋に戻ると、乃彩が微笑む。


「良い表情ね。朝食はどうするのかしら?」

「食べる。ベストを尽くさないといけないんだろ?」

「わかったわ。じゃあ一緒に行きましょう」


 乃彩は慧の手を握ると、部屋の外へと歩き出す。時刻はちょうど六時半が過ぎたところ。連れられるがまま、慧はエレベーターに乗ると二階へ降りる。

 人はまだそれほど多くはなく、慧は食べたいものを器に盛ると椅子に座って乃彩を待つ。

 そして、朝食だというのにスイーツがいくつも盛られている皿を見てつい苦笑する。


「どうかした?」

「いや、よく食べるなと思って」


 和食がメインに並べられた皿の隣にいかにも甘そうなそれらが自己主張する姿は慧にはひどく場違いに思えた。


「そうかしら。まぁその分動いてるし問題ないわ」

「真っ先に気にするのは体重なんだな」

「女の子はそれが普通だと思うけどね」


 視線を落とす乃彩に、そういえば恵令奈も同じようなことを言っていたような気がしてくる。クラスの女子も何かと体重は気にしているようであり、それを揶揄った宏人が鉄拳制裁されていたことは記憶に新しい。

 触れないことが吉だと判断した慧は、乃彩の言葉に頷くと、無言で食事を進めていく。



 ────────────────────


 午前八時。

 昨日と同じく開園と同時に園内に入場する。どこかから見られているような感覚は入場してから感じたまま。それも複数。昨日はおそらく一人だったのだが、今日は二人は最低でもいるらしい。


「なぁ、増えたよな」

「よく気づいたわね。敵の数は変わってないわ。今回の件、敷根がいるでしょう。だから協力を要請したのよ。貴方も知っている人物よ」

「フェイか」


 慧が知っているアンノウンのメンバーはそれほどいない。そして今回の件に適任と思われるのは一人しかいない。


「ご明察。と言ってもサポートとしての要請よ。有事の際は本物と偽物が入れ替わる。フェイなら貴方の真似をしてそれらしく戦闘をこなすことも可能、彼以上の適任はいないわ」

「本当に器用だな」

「全くね。心強い限りよ」

「で、もう一つの視線は誰かわかってたりするのか?」


 乃彩はゆっくりと首を振る。


「私は学校の軍関係者だと踏んでいるけれど、まだ確信はない。フェイには事が起きるまでそれを調べてもらってるわ。もちろんこちらでも不審にならない程度に探るつもりではあるけれどね」

「それで、今回は新しい武器が支給されてるのか」


 慧は指に嵌った銀の指輪を見る。まだ使っていないため全容は確認出来ていないが、この前の異形種の素材を用いて研究班が作ったものであるらしい。武器種は同じ大鎌。もちろん以前使っていたものも持ち歩いてはいるが、今後使うのはこちらが主となるだろう。


「それもあるわ。貴方が能力者である事が知られた以上、アンノウン(こちら)で活動するときに前の武器は使えない。滅多に武器の支給なんてことはないから研究班に今度お礼を言いに行くといいと思うわ」

「そうだな、そうするよ」

「さて、話もまとまったことだしどれに乗るか決めましょう」


 楽しくて仕方ないといった様子で、乃彩は園内マップを開く。始まってしまったか、と慧はこの後の自分を想像する。

 疲れることは間違いないだろうが、何だかんだ楽しんでいることは明白で。笑顔でマップを指差す乃彩に、思わず慧も笑うのだった。


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