03
恵令奈の話に相槌を打ちながら外を眺める。思考はどう波風を立てずにこの場を去るか、という一点に注がれている。どこか上の空の慧に恵令奈は頰を膨らませる。
「お兄ちゃん聞いてる?」
「ああ、もちろん」
慧がそう答えたところで彰が奥から何やらたくさん持って出てくる。コース料理を頼んだ覚えはないのだが、サラダやらスープやらをテーブルへと運ぶ。弟の賢も手伝っているのだが、どこか危なっかしい足取りで慧は床に落とさないかヒヤヒヤしていた。
「お待たせしました。本日の店主のおすすめランチです」
慧はそこまで詳しくはないが、目の前に並んでいるものはフランス料理である。それも本格的と言って相違ない。慧はここを紹介した恵令奈の友達とやらが、どう言ったつもりで紹介したのか謎に思う。
「このお肉は?」
並んだ皿を眺めていた恵令奈の目がある一点で止まる。普段家で食べているものと違いを感じたのか、恵令奈が彰へ目の前の肉を見つめながら訊ねた。
「仔羊のロースト、ですね。ちょうど今の時季が旬と言われております。それではごゆっくり、何かございましたらお申し付けくださいませ」
とりあえず彰……ベイルと話したい。慧はどうやれば違和感がないか思考する。悩んだ末に慧は恵令奈には見えないように乃彩へとメッセージを送る。
たまたま携帯を見ていたのか、即座に乃彩から慧の携帯へ着信が入る。
「ごめん、ちょっと電話みたいだ。彰さん、落ち着いて話せる場所ってあります?」
恵令奈には見えないように慧は彰へと目配せした。彰は少し口角を吊り上げて頷いた。
「はい、こちらに個室がございますので、そこでよければ」
店の奥へと案内される。慧は鳴り続ける電話にでた。もしもし、とどこか機嫌の良さそうな声が聞こえる。
「ありがとう乃彩、助かった」
『気にすることはないわ、困った時はお互い様だもの』
「この借りはいつか返すよ」
『あら、借りっぱなしでも私は構わないのだけれど』
どうやら先ほど慧が感じたことは間違いではないらしく、乃彩はいつになく声を弾ませる。どこか不思議そうなものを見るかのように彰が慧を見つめる。
「そうはいかないさ、性に合わないんでね」
『いつになく殊勝なのね。嫌いじゃないわ、あなたのそういうところ』
笑いながら乃彩はそう言った。慧はどこか小馬鹿にされているようで、そんな乃彩に口を尖らせる。
不可解、とでも言いたげな顔で彰は口元を左手で抑える。
「それ褒めてるのか?」
『どこから聞いても褒めているでしょうに。まぁいいわ、話は今度聞かせてもらうわ。今から私も仕事だから、PBCのね』
「悪い、邪魔したな。じゃあまた明日」
『えぇ、またね、慧』
慧は電話を切ると、度々視線を送って来ていた彰の方を見る。
「なかなか見せつけてくれますね。今の電話、リスタでしょう?」
「そういうお前は、ベイルだな?」
頷いて慧は、彰へとそう訊ねる。彰はどこからか見覚えのある仮面を取り出した。
「はい、間違いなく。で、彼女といつの間にそんな間柄になったんですか?」
「何の話だ?」
彰……ベイルは首を傾げる慧に溜息を吐くと、首を横に振った。
「わかっていないのなら構いません。でしたら本題に移りましょうか」
「何かいい案はないか?」
慧は単刀直入にベイルへと切り出す。ベイルは口を噤むと鋭い視線を慧へと向ける。
その手に嵌めていた白い手袋を外す。
「その前に聞かせていただきたい、どういう了見です? 彼女をここに連れてくるなんて」
「俺としてもお前がこんなところで喫茶店を経営してるなんて想定外だよ」
想定外。そう、想定外だ。高塒慧にとっても、長瀬彰、ベイルとしても。先ほどとは一転して、浮かない顔でベイルは呟いた。
「想定外、つまりは偶然ですか。妙な偶然もあるものですね」
これが運命の悪戯だとすれば、どれだけ良いか。だがそんなことが起こりうるのか。事実は小説よりも奇なり、という言葉もあるが、ベイルは今日の邂逅が仕組まれた作為的な出来事であるかのようにしか思えなかった。
「俺を疑っているのか?」
ベイルの表情の変化に、慧は眉を顰める。
「あなたではありません、あなたがたをここに連れて来た誰か。私も、あなたにとっても今日という日は最悪だ。アンノウンにとってもね」
「ここは恵令奈の友達の紹介で来たんだが、つまりそいつが怪しいと?」
「ええ。そもそも私も学生という身分ですのでいつでも店を開けているというわけではありません。道楽で行なっているものですので不定期です。偶然にしては気味の悪さを感じませんか?」
虚空を見つめながら、呟くようにベイルは話す。慧にもベイルが言っていることは十分に理解できる。慧たちのことを全て知った上でこんなことをするというのであれば油断などできようもない。アンノウンのことが知られているのであれば慧としては楽観視など到底できる状況ではない。
「確かに。俺の方でもその人物にそれとなく探りを入れてみる」
「頼みましたよ、名前さえわかればあとは私が情報屋に当たってみます。私も今の生活を壊したくはない」
ベイルが慧を見据える。その表情は真剣そのもので、以前乃彩が言っていた基本的には真面目で誠実という言葉を思い出す。
そんなベイルに、慧はふと疑問が湧き上がる。
「そういえば、お前俺のこと知ってたよな? それもそこからか?」
「そうです、あなたの両親が能力者研究の権威だとかでかなりぼったくられましたがね」
「情報の精度は確かなのか?」
「あなたの初恋の人やら何やらまで調べてくれましたよ。数百万使いましたが。確認しておきますか? まだ報告書は残っていますよ」
「構わない。調べたことはもう良いからちゃんと捨てておいてくれ、で話を戻すぞ。お前はどうすれば良いと思う?」
慧は苦笑しつつ、ニタニタといやらしい笑みを浮かべるベイルの言葉を断る。
「どうするも何も、昼食を終えてすぐに店を出ることが一番ではないですか。量は少なめにしておきましたので然程時間がかかることもないでしょう」
「……わかった。ベイルはさっきまでと同様に知らないフリを続けてくれないか? 出来る限り早く店を出るよ、勿論恵令奈を連れてな」
「こちらでも細心の注意を払いますが、あなたも言動や仕草には気をつけてくださいね。それと」
ベイルの笑顔が消え去る。
「どうかしたのか?」
「最近この辺りでよく攻撃を受けます。反撃できないこともないのですが、私の能力ではこのあたりがめちゃくちゃになるので」
「要は俺も襲われたら捕まえてほしいってことか?」
ベイルは肯定すると、感情の伺えない底冷えのする笑顔を見せる。
「ついでに尋問して殺していたたければ最高ですが。まぁメルトに頼めば情報は引き出せますので捕縛してアンノウンのメンバーに引き渡していただければ文句のつけようはないですね」
「弟はお前がアンノウンのメンバーであることを知ってるのか?」
「知らない筈、ですけどね。知られるとどうなるんでしょうか、私も随分と手を汚してしまいましたし」
ベイルの瞳に寂寥の色が映り込む。後悔や罪悪感といったものは感じられないが、どこか物悲しさを感じさせる笑みを溢す。
慧はベイルに背を向けた。
「それは俺が知ることじゃなさそうだ」
「そうでしょうね。兎にも角にも頼みますよ。今の関係を壊したくないのはあなただけではないのです」
「わかってる」
慧はベイルの顔を見ることなくそう返事をすると、部屋を後にした。
席に戻ると恵令奈が慧を見つけるなり声をかける。
「あ、お兄ちゃん。結構長かったけど誰からだったの?」
「乃彩だ。夕食のお誘いだったけど断った」
嘘だ。だが恵令奈はどこかムッとした表情をするが、次の瞬間には元に戻る。
「ふぅん、まぁいいや。それよりお兄ちゃん、この料理とコーヒーすっごく美味しいよ!」
「そうなのか?」
言われて慧はまだ一口も食べていないと、見るからに手の込んだそれらを口に運ぶ。料理を食べ始めてからというもの、彰と恵令奈の視線が痛い。ポロ葱だろうか、優しい味のするスープを味わった後、慧はほうっと一息つく。
「美味い、な」
コーヒー特有の香りが鼻腔をくすぐる。慧は一口含むと、ゴクリと喉を鳴らす。自分で煎れたものとの違いに思わず感嘆の声が漏れる。
「コーヒーは弟が入れたものです。いつのまにか私よりも上手くなっていまして……」
「そんな。自分なんて兄さんと比べればまだまだです」
「そんなことはないですよ、私よりも美味しいコーヒーが煎れられるのは事実です。自信を持っていい」
謙遜をしあう兄弟を他所に、慧は着々と食事を進める。既に食べ終えている恵令奈は何も言わずにその様子を微笑ましそうに見つめる。
美味しさからか、急いだという感覚はないものの慧はかなりのハイペースで食事を終えた。
「ごちそうさまでした」
慧と恵令奈は手を合わせると、席を立つ。納得ではあるものの、ランチでは普段は払うことのないような金額を二人分支払うと、慧は入口へと歩いていく。
「ありがとうございました、機会があればまた来ます」
「はい、またのご来店を心からお待ちしております」
長瀬兄弟はわざわざ店の外まで出てくると、ゆっくりとお辞儀した。慧と恵令奈はそれに会釈すると歩き出す。
無言のまま数分が経ったところで、ふと恵令奈が口を開いた。
「んー、あの人絶対にそうだと思うんだけどなぁ」
「ベイルがこんな所で喫茶店なんかしてるか? まぁ、何というか雰囲気は確かに似てたかもしれないけどさ」
「なんか引っかかるけどね。でもお兄ちゃんが言うならそうなのかな」
首を傾げていた恵令奈だが、この件は考えないようにしたらしい。慧はどうにかこうにかひとまずは乗り切ったと安心感に包まれる。
「思ったより長居したな。夕食の材料だけ買って家に帰ろう」
そう言った慧は、纏わりつくような視線に深く溜息をついた。
『お疲れ様です、まだ帰れないようですねマスター』
「本当に今日は厄日だな」
ぼそりと呟かれたそれを聞いたものはいない。
「お兄ちゃん、来るよ!」
どこかからか投擲されたナイフが路地のアスファルトに弾かれる。
その甲高い音が開戦の合図となった。




