02
そこは裏路地とでも言うような、大通りから一本離れた道にあった。こじんまりとした、古ぼけた喫茶店という言葉が似合う建物で、何処と無く落ち着く雰囲気を放っている。
「えと、入ってみよっか?」
事前情報でわかりづらい場所にあると聞いていたものの、ここまでとは思っていなかったのか、恵令奈がどこか自信なさげにそう訊ねた。
慧はそれに頷くと、そっと店のドアを引く。
内装は、店の外観と然程変わらない趣向のようで、ゆったりと時間が流れているような、そんな気がする。
「いらっしゃいませ」
カップを拭っていた手を止めると、カウンターの奥の青年が振り返った。
暗紅色の癖のある髪。口角を吊り上げる、ニタリと言うような擬音語が聞こえてきそうな笑い方。慧は目の前の人物に会ったことがあると確信した。というか、間違いなくベイルだった。
以前見たものと同じ笑みを、取り繕うかのように爽やかな好青年のそれに変える。あまりのわざとらしさに慧は愛想笑いを返すことしかできない。
「お二人様ですね。席にご案内致します」
入り口までベイルは歩いてくる。恵令奈が空いている左手で慧の服の裾をぎゅっと握りしめる。徐々に近づいてくる青年が、以前二人で戦ったベイルに酷似していることに恵令奈も気づいたのか、警戒を高める。もう少しで攻撃の間合いに入るというところで恵令奈が慧の前に進み出て、ベイルを睨みつけた。
「それ以上近づかないで」
「ええと、申し訳ございません。至らぬ点がありましたでしょうか?」
ベイルは苦笑いを浮かべ、その場から一歩身を引く。
恵令奈は多少怪しいと思ったくらいではここまでの行動はしないと慧は考える。つまりそれは目の前の人物がベイルであると判断したということだ。
狂針時計。
恵令奈がベイルを敵と見定めている以上、状況は悪いと言わざるを得ない。時が引き伸ばされている中、慧はこの場においては何が最善かを考える。
可及的速やかに店を出るべき。いや、そうなるとこの喫茶店に特殊作戦軍の調査が入る可能性がある。そうなった場合、アンノウンに多少の影響があるかもしれない。それに自らの存在がバレないとも限らない。
考えれば考えるほど、悪い方向に思考が寄っていく。慧は舌打ちしたいのを抑えながら能力を制御する。
『向こうは知らないフリをしているのですからとりあえずそれに乗るべきではないでしょうか』
『なぁ、これ本当にベイルだよな? 人違いとかではなく』
『そうですね。これで別人であれば驚きです』
「いや、こちらこそ申し訳ない。恵令奈、店員さんが困っているだろう?」
クロノに確認を取った後、慧は能力を解除し、ベイルに頭を軽く下げた。頭を上げた横では恵令奈があたふたとし始める。だがそんな状態も長くは続かずに、慧の手を引くとベイルに背中を向けると、慧を入り口の方へ押していく。
「くくっ、くっくっく」
ベイルは口元を左手で覆うと、何がおかしいのか慧の方をみて笑う。どうにかしてくれといった意思を込めてベイルに視線を向けると、ベイルは吊り上がった口角を隠すのをやめ、親指をグッと立てた。
そんなベイルと恵令奈に慧は大きくため息を吐いた。
「で、どうしたんだ恵令奈。何が気に入らないんだ?」
「だって、今の男間違いなくベイルとか言っていた男じゃない!? お兄ちゃんはどうして平然としてるのよ!」
あくまで小声でベイルに聞こえないように、けれどどこか責めるような口調から恵令奈が混乱していることが理解できる。慧はなだめるようにゆっくりと恵令奈の頭を撫でながら話す。
「確かに特徴は似てるけど、さすがに人違いだろ。証拠もないんだし、決めつけるのは良くない」
「だけど……」
尚も言い縋ろうとする恵令奈に慧は困ったように笑いかけると、ベイルに頭を下げさせる。
「すみません。妹が誰かと勘違いしてしまったようで。ほら、謝っとけ」
「……ごめんなさい」
不満そうにではあるが、どうにか納得はしてくれたようで慧はホッと一安心する。
「いえいえ、気にしておりませんので」
ベイルがにこやかに慧達にそう言った後、奥から一人の少年が顔を出した。顔色はお世辞にもいいとは言えず、どこか辛そうな少年はベイルの姿をキョロキョロと探す。
「兄さん、大きな声がしたけれど何かあったの?」
「何もないよ。それより急に出て来たら体に障るから戻りなさい」
優しくそうベイルは少年に告げる。慧は少年と視線が重なる。どこか泣きそうな目は、床へと伏せられると小さく頭を下げた。
「あの、兄さんが何かしたのであれば自分が謝ります。だから、その……兄さんを怒らないで」
その様子にどこか罪悪感を感じ恵令奈の方を見ると、恵令奈も同様だったのかどうしていいかわからないようで視線が泳いでいる。
「弟、ですか?」
「自慢の弟です。見ての通り病弱でして、あまり出歩けない身体なのですよ」
妙な雰囲気になったな、と慧が内心で首を捻っていると、自慢の弟と言われた少年が照れ臭そうに頭に手をやる。
「なるほど、二人でお店の手伝いというわけですか」
「手伝いも何も私が店主ですよ、お客様。っと申し遅れました。この喫茶店、ソールを経営しております、長瀬彰です。こちらは弟の賢です。以後お見知り置きを」
その瞳に一瞬、苛つきや侮蔑といった感情が混じる。だが、それはどうやら慧に向けられたものではないらしい。
慧は地雷を踏み抜いたような感覚に戦々恐々とするも、ベイルとしてはそのことに触れるつもりは無いようで穏やかな笑みを浮かべ、自分と弟の紹介を慧たちにすると優雅に一礼した。
「あぁ、高塒慧です。こっちが妹の恵令奈」
「よろしくお願いします」
「ご丁寧にどうも。それといつまでも立たせたままでは申し訳ない。こちらにどうぞ」
まだ恵令奈は警戒を解いてはいないが、それならそれで構わない。慧は彰に頷くと、案内された窓際の席に腰かけた。
外の景色はどこか昔の日本とでも言うようなものを思い起こさせる。
躊躇いがちに、けれども強い意志で何かを言おうとしていた恵令奈にベイルは笑いながらメニューを手渡す。
「私とお話し頂けるのは嬉しいことなのですが、先にメニューの方をお決めになられてはいかがでしょう?」
「そうだね。じゃあ私は店主のおすすめランチを一つ」
早く決定したかったのか、恵令奈はランチの所に目を通すと、内容を書いていないそれを、確認することもなく注文した。
慧はそんな恵令奈に苦笑すると、自分も注文を伝えるべく口を開く。
「それを二つにしてください」
「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?」
「俺はアイスコーヒーで。恵令奈は?」
「じゃあ私も同じで」
意外と普通の店のようで、ベイルのこれまでの行動さえなければ感じのいい店員にしか慧には見えない。
「それでは暫しお待ちください」
メニューを立て掛けると、ベイルは一礼しカウンターの奥に引っ込んだ。
それに続いて、賢と紹介された彰の弟がてとてとと後ろを付いていく。
どうしてこうなった。
一難去ってまた一難とでも言えば良いのか。慧は、談笑しながら注文を受けたものを作り始める兄弟に、目元を抑える。
どこか難しい顔をしながら慧へと視線を送る恵令奈に気づかないふりをしながら、慧はそっと時刻を確かめた。




