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目の前を行き交う人、人、人。日曜日ともあり、まさしく大盛況という言葉を体現しているそこは、慧が苦手としている場所の一つでもあった。両の手には既に幾つも紙袋がぶら下がっており、その中に慧のものは何一つと言っていいほどなかった。
だがそれもその筈で、まずこの建物に入ってから真っ先に訪れたのが女性服や下着を取り扱う場所であり、女装癖なんてものは持ち合わせていない慧にとっては縁のないものしか置いていないからである。
「これどうかなぁ?」
そう言いながら手に持っているものを慧へと見せる。本気で言っているのかどうか問いたくなるのを堪え、その際どい下着を元の場所に返してくるように言う慧。
ここまで紐のようなものを持って来たのは今のが初めてだが、先ほどからこのようなことが何度も行われているがために、更に自宅が恋しくなる。
次々と持ってこられる下着。どこか茶化すような周囲の視線に晒されながら、先週、恵令奈に付き合うと言ったことを早くも後悔している慧であった。
恵令奈はそんな思考が行われているとは露も知らない。ニコニコと笑みを崩さずご機嫌そのもので、今も慧の方に、先ほどと比較すると随分大人しめなピンクの下着を差し出した。
「ねぇねぇ、こんなのはダメかな?」
「あぁ、もういいんじゃないかそれで」
慧としては下着の良し悪しなどわかるはずがなく、あくまで自分の常識と照らし合わせて、さすがにこれはダメだろうと思ったものを除外しているだけである。
疲労からかどこか投げやりに答えられたその言葉に、恵令奈は一瞬思案するように下着を見ながら眉を寄せる。
「なるほど。こういうのが好みか」
「何か言ったか?」
「なんでもないよっ、じゃあ次いってみよー!」
ボソボソと何か恵令奈が口にしたのがなんとなく気になった慧だが、本人がそういうのであればさして重要なことでもないだろうと、考えることをやめると、恵令奈が指差した方向においてある商品を確認して溜息をつく。
「はいはい、仰せの通りに」
とりあえず買い物かごに乱雑に投げ込まれた色とりどりの下着をレジで精算すると、またもや増えた紙袋を右手に加え、恵令奈の横を歩く。
『むむ、なかなか可愛らしいものが多いですね。マスター、私はあれが欲しいです』
時折ほわぁ、やら、これは良いものです、などという呟きが聞こえていたのをあえて黙殺していた慧だが、ここまではっきり要求してくると何かしらの返答をするしかない。
『クロノ、買ってもお前には必要ないだろ?』
『ひどいです、たまにはいいじゃないですか。私だって頑張ってるんです、日頃のご褒美くらいは……』
言外に履けないことを指摘した慧だが返ってきたのは慧を非難するような言葉だった。
確かにクロノがこう言うことを言うことは珍しい。これまであったのも精々美味しいケーキが食べたいから代わりに食べてくれといった程度のものだった。
となればこの程度のものであれば購入してもいいかと思わなくもない。金銭的には全くといっていいほど困っておらず、そのクロノが指した白い下着は価格的には少し高めではあるが、財布を痛める可能性は皆無である。
慧が渋る原因は周囲の目と、恵令奈である。
『ネットで購入するのは?』
『嫌です』
腹を括ろうとした慧は、行動を起こす直前であることを思いついた。
時針停止。
周囲の時が動きを止める。今この瞬間は慧の姿を誰も認識することは出来ない。
慧はそそくさと白い目標物を手に取ると、買い物かごの下の方に押し込み元の位置へと戻る。
その盛大な能力の無駄遣いにクロノから何やってんだこいつ、といった感情が伝わるも慧はその全てを無視する。
何はともあれ慧の尊厳とでも呼ぶべき何かが守られた瞬間だった。
ほっと一息ついている慧を他所に、恵令奈は難しい顔をしながらマネキンの胸部を眺めていた。
そんな恵令奈に見つからないよう、慧はゆっくりと休憩用の椅子に向かう。が、その行動が読まれていたのか後もう少しというところで呼び止められる。
「お兄ちゃんはどう思う?」
「えっと……何のことだ?」
何やら考え込んでいるのは慧にも理解できるが、その内容までは到底わからない。だが恵令奈が少し顔を赤くし、胸に手を持っていくことでなんとなくわかった気がして、慧は恵令奈からそっと顔をそらした。
「その、最近ちょっと大きくなってきてるから新しいのを買いたいんだけど、どうしよっかなって」
「俺に聞かれてもな。買いたいんなら買えばいいんじゃないのか?」
サイズが合わなくなってきているのであれば新しいものを買うのは必要なことである。そう考える慧は、なぜ恵令奈が悩むのかがよくわからない。そのためそう言ったのだが、恵令奈は首を振ると慧の持つ紙袋に視線を向ける。
「あんまりお金使うのもね、お父さんとお母さんに悪いし」
そこには下着類の他にも大量の衣類が詰め込まれている。要するに後先考えずに買いすぎた、ということだろう。今日購入したものの大部分は恵令奈が国防軍で働いて得たお金と、お小遣いから捻出されている。
両親から月にいくらまで使っていいというような制限を受けているわけでもないが、自分で稼いでいるわけではないので後ろ暗い部分もあるのだろう。
「気にしないと思うけどな。まぁ恵令奈がそう言うなら俺の方で出しておくよ。それなら父さんにも母さんにも悪くないだろ?」
「それはお兄ちゃんに悪いよ」
「たまにはいいんじゃないか。恵令奈も頑張ってるんだし」
そもそも多少使ったところでなくなるような金額でもない。
「お兄ちゃん……ありがとう!」
「それにしても結構買ったな、時間もいい具合だしお昼にするか?」
慧は時計で時間を確認する。十二時前と若干早いような気もしないでもないが、朝から連れ回された結果かかなり空腹だった。
「うん! 実は友達に美味しいランチを食べられる喫茶店がこの辺りにあるって聞いたんだ。行ってみない?」
恵令奈の提案に慧は頷くと、一旦その場を後にする。
百貨店を出るときに、どこか羨ましそうな声が慧だけに聞こえる。
『私も頑張ってますよ、慧?』
『わかってるよ、顕現できるようになったら一緒に来る。それでいいか?』
『今の言葉、私は決して忘れませんからね』
何か大変な約束をしてしまったのではないか。そんなことが慧の脳裏に浮かんでくるが、時すでに遅し。先程までとは一転して上機嫌なクロノの感情が慧に伝わるのだった。




