09
静寂が訪れる。その異形種は明らかに異質な存在だった。元となった生物の原型は一切わからない。いくつか似通った特徴はあるが、そのどれもが強大で禍々しい形状をしている。体長ははっきりとはわからないが少なくとも六メートルは超えている。
巨大な異形種はまだ慧達に気づいてはいない。誰が言うでも無く息を押し殺し、気配を断つ。距離があるにも関わらず伝わってくるプレッシャーは、立ち向かうことは無謀とでも言っているようで、今はただ気取られないように不動を貫くことしかできない。
ゆっくりと顔を上げた異形種は、転がる残りの死体に駆け寄り、貪るように勢いよく噛り付いた。それもめぼしい部分は食べきったのか、まだ大部分を残したまま次の死体へと向かう。
早くどこかへ行ってくれ。 慧のそんな願いが通じたのか、四体目の死体を食べ終えるとノロノロと歩き出す。その姿に慧が小さく息を吐くと、突然異形種が何かを探すかのように辺りをキョロキョロとしだした。心音が大きくなる。その時、慧達の方向に異形種が首を向けた。
「ッ!」
視線が交わる。慧はサーっと血の気が引いていくのがわかった。だが異形種は一瞥しただけでどこかへと立ち去る。
助かったことに対する安堵で、慧は地に膝を着けると荒い呼吸を落ち着かせるようにゆっくり息を吐き出す。
「あれが報告にあった巨大な異形種ね」
リスタは異形種が過ぎ去って行った方向をじっと見つめる。依然として毅然とした態度は崩れることはない。
「あ、あのぅ。その報告にあった異形種はどうなったんですか?」
「もちろん死んでるわ。アメリカでは148人、ブラジルでは465人だったかしら」
おずおずと問いかけるメイリアに、リスタは淡々と返答する。その人数を聞いて慧は呆然とした。違っていてほしいと思いながら、慧もリスタに訊ねるために口を開いた。
「討伐に関わった人数か?」
「死者の数よ。能力者のね」
予想通りとはいえ、現実を突きつけられることで異形種の異常さが浮き彫りになる。先の邂逅が脳裏に浮かび、再度肝が冷える。
温い風が頰を撫でた。どこか血なまぐさい匂いに慧は気分が悪くなる。
「……あいつとやりあうのか?」
能力者はそれほど数が多くない。能力を発現する人口が大体三割程だ。その中にも他愛のないものや、戦闘向きでないものもいる。戦える能力者というものは貴重で全体の一割にも満たない。
異形種の存在が国に与えた損害が決して無視できるようなものではないことが理解できる。
「この隔離空間から出るにはおそらく倒さなければならないわね」
「どういうことだ」
慧は今の自分は然程弱くはないと自負している。だが、理不尽を覆すほどの力が無いことも知っている。 あの巨大な異形種は間違いなく規格外な存在だ。それこそラナでさえほんの少しは手こずるのではないかと思うほどである。
だからこそ、出来るならば戦いたくない。それが慧の本音であった。
「以前出現した時もそうだったらしいのよ。空間の歪み、電子機器が一切使用できない状況。そして異形種同士の共食い。考えて見ると今の状況はその時と似ている。いえ、酷似しているというべきね。それでも空間ごと隔離されているなんて報告はなかったけれど」
「そんな……」
メイリアは力なく呟く。リスタは天を仰ぐかのように視線を空へ向ける。分厚い雲がゆっくりと流れていき、濁った灰色の空は慧たちの不安を掻き立てる。
「それでもやるしかないわ」
「勝算は?」
此処にいるフェイ以外の実力を慧は知らない。だからこそリスタとメイリアを見たのだが、リスタは慧から目を逸らすと背中を向ける。
「限りなく低いわね」
「ボスが助けに来てくれたりは……」
「その可能性もあるわ。だから今日はここで野営よ」
リスタはそういうと、大きな木に体を預けた。慧は横目でフェイを見る。あれだけ能力を酷使したのだ。規則正しく寝息を立てているフェイが目覚めることは暫くはない。
「食事はどうするつもりだ?」
「そうね、ペアを組みましょうか。メイリアはここでフェイを守るのと、ユールと食べられそうなものを探しに行くのではどちらが良い?」
「あの、リスタさんと二人っていうのは……?」
びくびくと慧の顔色を伺いながらメイリアはごにょごにょと口を動かす。
「ユール一人を此処に置いて行くのはダメね。今はほとんど能力を使えないはずだから」
「悪いが、その通りだ。少しだけならどうにかなりそうなんだけどな」
少し休憩して、多少は良くなったが、先ほどと比較してマシ、といったレベルなのだ。現在、慧が単独で対処できる異形種は高が知れている。
「というわけよ。多分ここでじっとしていた方が安全なのだけれど、メイリアはそうする?」
「……はい、そうさせていただきます」
暫く考えて出したメイリアの結論はフェイとともに待機する、だった。メイリアはフェイの側でしゃがみこむと、辺りの警戒を始める。
「頼んだわよ。私たちも行きましょう」
リスタが慧の手を引いた。向かうのは巨大な異形種が向かった方向と逆である。
周囲を警戒しながら慧はふと疑問に思った。
「なぁ、食料っていっても何を探すんだ?」
「食べられる植物は大体知ってるわ。後は動物とかかしら」
「異形種は?」
「貴方に自殺願望があったなんて私は知らなかったわ。貴方一人が食べるのは構わないけど、他の人の食事に混ぜないでね」
軽く一蹴されたが、慧は異形種が劇物だとは知らなかったのだ。言われなければ食べていたかもしれないと、冷や汗が滲む。
『いえ、私が止めていたのでマスターが食べることはありませんよ。マスターが私の言葉を無視しなければ、ですが』
『どんな味がするんだろうな』
怖いもの見たさ、というものがある。少しだけ食べてみたいと思わなくもない慧だが、クロノから激しい抗議の念が慧へ伝わる。
『味は元の生物と変わらないでしょう。それより絶対に口にしないでくださいね。混じり物などにはなりたくありません』
『混じり物?』
『異形種が異形種を食べないのは能力同士で拒絶反応を起こすからです。うまく適合すれば先ほどの異形種のように能力が混ざっていくのです。その場合でも尋常ではない苦しみを味わうことでしょうが』
そういえば、と巨大な異形種は幾つもの動物の特徴を持っていたことを慧は思い出す。
『じゃああいつは幾つもの能力を保有しているのか?』
『そのように推察できますね』
冷静に答えるクロノ。 次々と判明する絶望的な事実に、慧は一体どうすべきなのかと頭を悩ませるのだった。




