08
頭を失ったオオカミが倒れると同時に、フェイが地面に膝をついた。分身が次々と希薄になっていき、空気に紛れるようにして消えていく。
「肩を、貸してくれないか?」
顔色は青白く、だらだらと汗が流れている。だが瞳は妙にぎらついており、死人のそれとは比較にならない。慧は一度頷くと、屈み込み、無言で肩を差し出した。
この場所は血の匂いが濃すぎる。放っておくと、血に誘われて別の異形種が現れるやもしれない。慧は疲労の色濃い体に鞭打ちながら、立ち上がる。歩く気力すらないフェイは半ば引きずられるように歩いていく。
「そこを右だ」
「わかった。それとフェイ、最後の助かったよ。正直死ぬかと思った」
「気にするな、たまたま手の届くところにお前がいただけだ」
フェイは全身を這い回る痛みを耐えながら、笑う。疲労困憊で誰が見ても満身創痍のフェイは、焼けきれそうな脳を酷使することをやめない。
幸い戦闘中にリスタとメイリアの姿を発見しており、紙飛行機により自分たちのところへ誘導している。そう遠くはない。二人と合流することさえできればひとまずの危機を脱することができる。
「これはどこに向かってるんだ?」
「リスタ、メイリアと合流する……もう、すぐだ」
いつ手放してもおかしくないフェイを支えているのは精神力に他ならない。周囲に異形種の気配がないことを天に感謝しながら、フェイは紙飛行機を操作する。
『この人、凄いですね。少し驚きました』
そのことを知ってか知らでか、クロノから感嘆の声が漏れる。それが耳に入った慧は表情にこそ出さないが、意外どころの話ではない。一体何が起こったのかと戦々恐々としながらクロノに何があったのかを訊ねる。
『どうしたんだクロノ。大丈夫か』
『失敬な。もういいです、マスターなんて異形種に襲われて死んでしまえばいいのです』
ああ、いつものクロノだと慧が安心したのは束の間で、その数秒後に、瞳に絶望が映り込んだ。クロノも、目の前の光景に息を呑む音が聞こえる。そこには四体の異形種の姿があった。
「シャレにならないぞ」
たとえその四体が先ほどのオオカミのほどの強さがなかったとしても、動物本来の能力を保有していることに違いはなく今の慧とフェイの手には余る。
そんな状況下でフェイは焦りを見せることもなく、小さく息を吐いた。
「大丈夫だ。奴らは、逃げてきただけだ」
一体何から? と訊ねようとした慧を黙らせたのは、ダダダダッという連続した四度の銃声と、寸分違わず急所を撃ち抜かれて倒れる異形種の姿だった。
フェイの目が閉じられており表情が読めないが、少なくとも敵ではないだろうと推察した慧は念のため大鎌を手にした状態で攻撃を加えた人物が現れるのを待った。
肩に大きな銃を吊り下げて歩いてきたのは慧もよく知るリスタで、後ろにはメイリアの姿があった。横を飛んでいた紙飛行機は力なく高度を落とすと、ふっと消える。
慧は張り詰めていた緊張の糸が解け、肩の重荷がなくなったような気がした。大鎌を小さくすると、ポケットにねじ込み二人の方へ近づいていく。
「ごきげんよう。ユール、フェイ」
仮面の奥で紫水晶のような瞳が輝く。どこか呆れているようなリスタではあるが、無事を喜んではいるようだ。リスタの影で隠れていたメイリアは、ビクビクしながらリスタの横へ出てくると軽く頭を下げる。
「お、お疲れ様です」
「お疲れ、メイリア。それで、少し休んでいいか? 情報共有もしたい」
慧も能力はすでにほとんど使えないが、フェイはさらに深刻だ。意識はまだあるものの、蒼白だった顔色はとうとう土気色へと変わっていた。慧はひとまずフェイを大きな木の横に下ろした。
「私は構わないわ。メイリアもそれでいいかしら?」
「ひゃい!」
盛大に噛んだメイリアは、顔を隠すように下を向く。
賛成を得たのはいいが、先ほどリスタが撃ち殺した異形種の死骸がある以上、ここで一服というわけにはいかない。慧は再度フェイを担ぐと移動を開始する。そして数十メートル離れたところであたりが見渡せる場所が見つかったのでそこで休憩をとることにした。
するとリスタは、フェイ、ユール、メイリアの順に眺めると、何かを考えるように目を瞑る。
「周囲の警戒は私がしておくわ」
「助かる、すまないが任せた」
フェイはそういうや否や、目を閉じた。
慧もリスタに任せっきりになるのは申し訳なく感じるが、現在のコンディションでは満足に周囲の警戒すらこなす自信はない。慧はリスタの言葉に甘えることにし、近くにあった倒木に腰掛ける。
そして、互いの認識を共有する。ほとんどがクロノの受け売りだが、それらをリスタに伝えると、どうやらだいたい同じようなことをリスタも考えていたことを慧は知る。
そして、こちらに転移してからのことを重要だと思われることを掻い摘んで話していく。
「はぁ、そういうこと。使いたがらない自身の複製を十以上ね、こうなるのも納得だわ」
リスタは深くため息を吐く。それを見たメイリアが首を傾げる。
「えっと、能力の使いすぎってことですか?」
「私が勝手に話していいことではないわね。気になるなら後で本人に聞きなさい」
「そういえばどうして俺たちの方がわかったんだ?」
「フェイが能力で誘導してくれていたのよ」
「ずっとか?」
「合流する直前までね」
フェイの複製が周囲を察知することもできたことを慧は思い出す。そして自分とメイリアたちを探すために能力を使用し続け、戦闘までこなしていたのだ。慧は自分との差に大きなものを感じ、頭が下がる思いだった。
「それで、この後どうする?」
「どうもこうもないわ。少なくともあなたとフェイが戦えないと話にならないわ」
慧は一時間休めればそれなりに戦えるようにはなると、経験から判断する。読めないのはフェイである。胸は上下しているが、それを除けばピクリとも動かないフェイに慧は心配になる。
が、考えても仕方のないことだと、慧は思考を放棄すると倒木から降りて地面に寝転がる。土の匂いと僅かな鉄臭い匂いが鼻腔をくすぐる。
「あの、リスタは原因が何かわかったんですか?」
「いいえ、さっぱり。ただ、ここまで消耗しているとなんとかなるものも危うくなるわ。それに時間が経てば救援の可能性もあるかもしれないもの」
そこまで口にしたリスタは、口を噤むと、ある方向を指差した。それはつい十数分前まで慧たちがいた場所であり、異形種の死体が放置されている場所でもある。かろうじて視線が届く場所にそれはいた。
巨大な姿をしたそれは、異形種の骸へと顔を埋める。
異形種は通常その行為は行わない。それをすれば苦しみ、狂い、死ぬことすらあることを本能的に知っている。
「共喰い……」
一心不乱に貪り食らうその姿に、メイリアがポツリと呟いたその言葉は震えていた。




