07
「余計な手出しだったか?」
仮面から覗く目が少しだけ細くなる。きっと仮面の奥ではフェイは笑っているのだろう。
そんなことを考えながら慧は首を振る。
「いや、助かったよ」
オオカミたちは予想だにしない闖入者に殺気立つが、その勢いは失われつつある。数の上ではオオカミに利があるが、すでに慧が一人で戦っていた時のような積極性は少なくとも見受けられない。
くっくとフェイから笑い声が漏れ、直後に周囲を浮遊していた剣が消える。
「まずはこの犬どもを片付けるぞ」
フェイは背中は任せたとでも言うように、慧へ背を向ける。その右手には先ほど消えた剣が、左手には取り回しやすそうな盾が握られていた。
残るオオカミは五匹。リーダーと思しき個体は動こうとせず、代わりに他のオオカミが警戒するように喉を鳴らしながら、慧達を睨む。
緩みかけていた緊張を取り戻した慧は、目の前の二体の動きを観察する。フェイは兎も角、慧は遠距離の敵に対しての攻撃手段に乏しい。必然とこの状況の敵に対しては動きを待つことになる。
我慢比べはそう長くは続かなかった。
焦れたフェイの前のオオカミが、大きく吠えると飛びかかる。同時に計ったかのようなタイミングで慧の前のオオカミも飛び出した。フェイは盾を突き出し、殴りつけるようにしてオオカミを弾き飛ばした。慧の方のオオカミは、大鎌を大きく薙ぎ払う姿に動きを止め、後ろで機会を窺っていたもう一匹が横に並び、牙を剥く。
背後で不穏な気配を感じたフェイは、眼前のオオカミの動きを注視しながら口を開いた。
「サポートは必要か?」
「まだ大丈夫だ」
その申し出はありがたいものではある。だがフェイにどの程度の余裕があるのかわからないこと、加えて、今のところ自力でどうにかなると判断した慧はそれを断った。
そしていつでも能力を行使できるように準備をする。肩の力を抜き、大鎌を体の下の方で構える。そんな慧の様子を好機とみたのか、二体が左右に分かれて飛びかかった。
「狂針時計」
時が限りなく遅く進む中、二体が空中に体を浮かせたことを確認し慧は前方へ軽く跳ねると、大鎌を体の真横で弧を描くように振るった。二匹の体は空中で二つに分かたれ、着地する時にぐちゃっという生々しい音と共に臓物を撒き散らす。
振り返った慧はその光景に胃液がこみ上げるが、吐いている暇はない。少量の唾液で湧き上がる吐瀉物を押し返すと、フェイの様子を見る。
奥で二体の仲間が無残な死を遂げたのが目に入ったのか、フェイが相対しているオオカミが一瞬動きを止める。フェイはその隙に剣を投擲する。一拍遅れて横に躱したオオカミの目前にはフェイが迫っており、やはりいつの間にか手に持っていた剣を振り下ろした。
鮮血が舞う。
急所こそ外したものの、夥しい血の量は致命傷であると容易に理解できる。もはや自らが長くないことを悟ったのか、項垂れたように見える。だが、ぐっと頭を上げフェイを淀んだ瞳で見つめながら前足を振り上げた。速度も力もずっと劣る決死の気迫にフェイは気圧されるが、危うげなく盾で受けると今度はその首を目掛けて振り下ろした。
断ち切るには至らなかったが、絶命させるには十分すぎるほどでオオカミはその呼吸を止める。
二対二。消耗はあるものの、同数となったことで勝機を見出す。
そして、敵側に変化が現れる。リーダーのオオカミは変わらず目立ったリアクションを取らないが、残った一体はどうにも及び腰で襲いかかることを躊躇っているような印象を二人に与えた。
この機に畳み掛けることを決断したフェイは、視線を慧に送ると大胆に距離を詰める。慧は回り込むように近付こうとしたが、思わぬ行動に立ち止まる。
踵を返して走り出したオオカミの行動だが、それは逃亡としかとることのできないもので、フェイも逃げるのならと迫撃をすることなく足を止める。
残るはリーダーのみと、そちらに慧が目を向けたその時。濃密な殺気が周囲を包む。そして光が走ったかと思うと、オオカミが逃げた方向から焦げ臭い臭いと、何かが倒れるような鈍い音が聞こえた。
『電撃、ですね。あの速度は骨が折れますよ。それと、恐らく残り二十秒が限度かと』
思っていたよりもずっと短いその宣告に慧の表情が歪んだ。フェイは慧のところまでジリジリと後退すると、一瞬その視線を慧に向けた。
「ユール、見えたか?」
「電撃だと思う」
「同意見だ。あと何秒止められる?」
「最大で二十、それ以降は能力自体が使えなくなるかもしれない」
その時間が果たして長いか短いかで言うと、間違いなく短いのだろう。時針停止は強力過ぎる能力ではあるが、時間が止まるまでには若干のラグがあり、また集中が少しでも乱れる事で呆気なく元に戻ってしまう。
ミスは許されない。
万が一にも途中で時針停止が解けるようなことがあればその時点で死が確定する。
「充分だ。俺も出し惜しみはしない」
作戦会議は終わったのかとでも言うように、オオカミはグルルルと音を立てる。
何をするつもりか尋ねようとした慧は息を呑む。十を超える数のフェイが現れ、それら全てが独立して動いている。本物にしか見えない彼らが能力によることは火を見るよりも明らかだが、その現実味のなさに慧は戸惑った。
「俺が囮になる。確実に殺せ」
ゴクリと唾を飲み込むと、時が狂い始める。ゆっくり時が流れるおかげで、オオカミが帯電し、電撃を放つ瞬間が目に焼きつく。幸い、オオカミは増加したフェイに注力しているため慧のことを然程気に留めていない。
フェイの一人に雷撃が被弾する。焦げ臭い匂いとともに、ばたりと倒れ幻のように消え去る。それに気を良くしたのか、オオカミは再び電気をその身に帯びる。別のフェイに向かったそれは、フェイが身を捩ることで回避したかのように見えたが、くの字にその進路を変える。
だが、通りが悪かったのか、そのフェイは消え去ることはなく震えながら剣を構える。
短い攻防で慧が狙えると確信したのはオオカミが帯電した瞬間であった。鼓動が激しくなる。自らの心音が聞こえるようで、慧は自分の体が微かに震えていることに気づいた。
フェイの分身は残り五体となった。
オオカミが帯電したのを見て、慧は勝負を仕掛ける。 時が更に遅くなる。オオカミが嘲笑うように口の端を持ち上げたのは慧が大鎌を振りかぶったその時であった。
その電撃が放たれるのはフェイに対してではない。慧の視界に青白い光が映る。敗北の二文字が頭に浮かぶ。
だが、慧に痛みが訪れることはなく、大きな背中が慧の視界を遮っていた。割り込むようにして慧を庇ったフェイにオオカミの顔が驚愕で彩られる。
「ウォオオオオッ!」
慧は、フェイの背後から飛び出すと、雄叫びをあげながら大鎌で斬り上げる。
血飛沫をあげながらオオカミの首が宙を舞った。




