01
タッタッタッタッと小気味良いリズムでアスファルトが踏みつけられる。
少しばかり苦しそうにしながらも高塒慧は速度を落とさない。校舎の外壁に備え付けられた時計で時間を確認すると、更にそのペースを上げる。
正門を駆け抜け、階段を登り、角を曲がる。ゴールが目前に控えても足を止めることはなく、寧ろラストスパートとばかりにペースを上げる。
「ごー、よーん、さーん、にー、いち!」
馬鹿でかいカウントダウンの声が聞こえる。
勢い良く扉を開くと慧は身体を滑り込ませた。
「ま、間に合ったか」
「おぉ、今日はジャスト1秒前に着いたぞ」
慧はヘラヘラと笑っている級友を一睨みすると教室へ入ってすぐの机へカバンを置いた。膝に手を付き、口で荒い呼吸を繰り返す慧の背中に手を置く人物がいた。
「またですか高塒くん。いい加減にしないとそろそろ先生怒りますよっ」
「遅刻は、してない……ぞ」
今までほぼ全力に近い速度を維持し続けたんだから寧ろ褒めて欲しい。そんなことを考えながら慧はそう言った。
「遅刻はして無いですけど……もしそれで高塒くんが怪我をしたら悲しいじゃ無いですか」
「一応その辺には、気を使ってる」
「減らず口ばっかり。まったく、偶には早く来てください!」
寧ろみんなどうしてそんなに朝早く起きれるのだろうか。担任の江藤芽衣を見ながら慧はそんなことを考える。
「それは無理な話だ先生。四次元ドアとかそんな能力に目覚めない限りは」
「全く。先生は遅刻しても知りませんからね」
芽衣にそっぽを向かれながら慧は椅子に座る。
江藤芽衣は新任教師だ。小動物のような雰囲気で、いかにも生徒から舐められそうな教師だが、これがどう言うわけかまったくそんなことはなく、特に男子生徒に絶大の人気を誇っていた。
「おい、なんなんだよ慧。お前ばっかりずるいぞ」
そして今慧に絡んでいるのが先ほどカウントダウンをしていた甘粕宏人である。
「なら今度は遅刻してこい宏人。二人きりの個別指導があるかもしれないぞ」
「な、なん……だと?」
「あら、高塒くんおはよう。今日もギリギリね」
宏人が何やら考え込み始めたところで後ろから声をかけてくる女の子がいた。
「そうだな、まぁいつものことだよ」
珍しいこともあるものだと、心中で独り言ちると慧は声の主の方へ目を向ける。
朝国乃彩。
お嬢様という言葉が似合う学校を通して人気の高い女子生徒。とはいえ慧は乃彩についてはほとんど情報を持たない。慧から話しかけることはなく、向こうも話しかけてくることはこれまでほとんどなかった。
慧は乃彩が男子と話している所をあまり見たことがない。そのせいか現在殺気のようなものをクラスの至る所から感じている。
実際にそれは気のせいではなく、慧は復活した宏人の射殺すような視線を躱す。
「はいはーい、授業始めますよー。皆さん着席してくださいっ!」
しばらくは芽衣の話も頭に入っていたが、気づけば睡魔との戦い。結局、授業のほとんどを夢の中で受けた慧は休み時間になったことを察してむくりと起き上がる。
トボトボと歩いている宏人を見つけた慧は声をかけた。恐らくまた女の子に相手をされなかったと予想して。
「起こしてくれてもいいんじゃないか宏人」
「悪い、気持ち良さそうに寝てたもんだから、起こせなかった。そう言えば昨日の話聞いたか?」
宏人は噂話が好きだ。一体どこからそんな話を拾ってくるのかは知らないが、宏人がこう切り出す時は大体が噂というか、そういった話だ。
「何かあったのか?」
「殺人事件だよ、何でもあるマフィアが壊滅したらしいぜ」
「んー、珍しいけどあってもおかしくはないだろ?」
慧はそう言って首を傾げる。実際その通りだ。かつては世界で最も安全な国と言われた日本。
その首都東京も今となっては無法地帯とまではいかないが、治安という面ではよろしくはない。
「いやいや、やばいのはその後だって。それをした人間を国防軍が見つけたんだ。でも逃げられるどころじゃなく軍は壊滅、死者8人、生存者0だとよ。しかもなんと、死者の中には特殊作戦軍の中佐が居たんだってよ」
国防軍。中でも特殊作戦軍は実力主義だ。高校生どころか中学生ですら在籍していることすらあり、そんな彼らが思いがけないような地位にいたりする。
中佐ともなると所謂かなりのエリートであり、その実力は間違いなく高い。
「犯人はそのまま逃げ切ったのか?」
「そうなるな。現場に残った能力波長によると、あの空閑鈴の可能性が高いらしいんだってよ」
空閑鈴。世情に疎く、ほとんど興味のない慧でも聞いたことがある。元々は国防軍に在籍しており、自分の部隊をその手で壊滅させて逃亡した女。
手配書の顔写真を見る限りそこら辺ではお目にかかれないレベルの美少女だ。
推定殺害人数が千を軽く越えており、人格破綻者であることが高すぎる確率で予想されるため、慧としては絶対に関わり合いになりたくはないが。
「はー、物騒な世の中だな」
「そうなんだよ。って全然興味無さそうだな」
「国防軍なら兎も角、能力も持たない俺らじゃ何も出来ないし知る意味なくないか?」
実際のところそんな国防軍の中佐殿でさえ勝てないのだ。第一、出会って目をつけられようものならそれに抗うことなどできようも無い。
「慧は夢がないなぁ。急に能力が使えるようになったりするかもじゃんか」
「はいはい、そうだな」
そんなやり取りをしていると授業開始を告げる音が校舎に響いた。まだ何か言いたげにしている宏人を後ろ目に慧は席へ着く。
ーーーーーー
担任の挨拶が終わり、慧は立ち上がって一度大きく伸びをする。小さく息を吐き、荷物を片付け帰る準備をしていると、既に鞄を肩に掛け慌ただしそうにしている宏人の姿が目に入る。
「宏人、もう帰るのか?」
「悪いな、ゲームの予約をしてたんだけどいつ配達がくるかわからないからさ。急いでるから今日は先帰らせてもらうわ」
「あぁ、前に言ってたやつか。また今度俺にもやらせてくれよ」
宏人が言っているのは確か地球国防軍とかいうゲームソフトだ。宇宙から侵略してきた能力を使う巨大昆虫を倒すゲームらしい。とはいえそれも聞いただけの話なので具体的な内容の一切を慧は知らないのだが。
「もちろんだ、それじゃあな」
「さて、と。とはいえやることもないし俺も帰るか」
宏人を見送ったのは良いが慧は特に部活動をしているという訳でもない。鞄を担ぎ後ろを向くとそこには高嶺の花という言葉が似合う少女がいた。
「えぇ、そうしましょう」
「朝国……?」
鞄を横に提げたまま乃彩は首を傾げる。
「まだ、帰らないのかしら?」
「いや、帰るけど……」
何でそんなことを聞くのかと尋ねようとした慧の手が乃彩に掴まれる。
「なら早く行きましょう」
「わ、わかったから離せって」
「離したらあなた逃げそうだもの」
そう言って先ほどよりも慧の手は強く握られる。振り解こうとするも、女性の力とは思えないほどで、結果として慧が折れる。
好奇な視線に晒されながら、そのまま慧は引き摺られるようにして校門をくぐるのだった。
「で、何でこんなことになってるんだ?」
最早逃亡を諦めて隣に並んで歩いている慧はずっと聞きたかった問いを投げかける。今までこういった経験がなかった為に、頰が熱を持っていることを慧は自覚する。
表情を見られないように俯きがちになっている慧を朝国はチラリとこちらを見て正面へと向きなおる。
「詳しくは言えない。けど理由はある」
「詳しくはってことは少しは話してくれるのか?」
慧の度重なる疑問に朝国は小さく溜息を吐く。
「あなたは能力者が特徴的な波長を発生させることは知ってるかしら」
「授業でやってるから一応は」
「あなた、今尋常じゃない能力波長を出してるのよ。何かのきっかけで暴走しかねないレベルでね」
慧は自分が相当間抜けな顔をしていると自己分析する。
「私はあなたを保護すべきと判断したのよ」
もしかしたら電波な人だったのだろうかと、慧は考えたが、そのことを責めることは出来ない。
能力波長に関しては特別な機材がないと観測出来ないと慧は授業で聞いたはずで、そのことは紛れも無い事実である。
だからこそ目の前の少女が何を根拠にそんなことを言っているのかは慧にはわからなかった。
「わけがわからないって顔してるわね」
「そりゃあな。えっと、でなんだけど……」
慧が更に聞こうとしたその時、乃彩がピクリと震える。
「まさか、これは……」
「どうかしたのか?」
深刻そうに一方を睨みつけるようにしていた乃彩だが、口を一文字に引き結ぶとこれまでで最も強い力で慧の手を引く。
「な、なぁ。どうしたんだ」
「能力者同士の争いみたい。思ったより近いわね、早く離れるわよ」
走っていた乃彩の足が突如止まる。そして諦めたように踵を返す。
土埃が舞う。
歴史の教科書で見たことがあるコロッセオ。今、慧達の周囲を取り囲んでいるのは正にそれだった。
「ちょっ、待ってくれよ。何がどうなってるんだ?!」
「閉じ込められたのよ。しかもよりによって闘技場か……」
観客席には人が幾人も座っており、表情こそ見えないが凄まじいまでの熱気が伝わってくる。
二人は辺りを見渡すと、幾つかの人影を発見する。慧としては離れたかったのだが、乃彩は慧の手を握ったままその方向へと歩いて行く。
「誰がこれを?」
「……空閑鈴」
ボソリと呟かれた名前。有名に過ぎるその名前を聞いて慧の足が震える。
「ん、呼ばれた気がする。あれ、そこにいるのはリスタちゃんかな? やっほーリスタ!」
人懐っこい笑みを浮かべて手配書の人物は両手をこちらへと振る。鈴の前にはテレビでよく見かける服の男が三人並んでいた。
「知り合い、なのか?」
この状況においてリスタというのが乃彩を指す名前であることは想像に難くない。
隣を向いて乃彩に尋ねると端整なその顔を歪ませて、底冷えのする声で小さく肯定する。
「全くあの人は……これじゃあ私まで巻き込まれるじゃない」
「お前たちも空閑の仲間か!」
謀ったようなタイミングでこちらへと敵意を向ける国防軍の制服に身を包んだ男に乃彩は頭を抱える。
「あれ、隣に居るのって誰だ? ひょっとしてやっちゃった、のかな」
鈴は慧を覗き込むようにじっと眺める。そして慧と目が合った。互いが互いの顔を確認する。そして鈴は頰を引攣らせる。
「こちらも三人、そちらも三人。面白い、いざ尋常に勝負だ」
「うるさいっての。今は取り込み中なのわっかんないかなぁ」
「あくまで眼中にないと言うのか。ならばその気にさせてやろう!」
鈴が眉を顰める。不機嫌さを一切隠そうとしない鈴だが、国防軍の男は怯まない。そして今まで相手にされていなかった隊長格らしき男がその手に炎を浮かべる。
「面倒くさいな。御託はいいからかかって来なよ、私はそっちの子と話がしたいんだ」
「はぁっ!」
男の前に現れた幾十の炎弾が高速で射出される。だがそれが鈴を捉えることはない。鈴はいつの間にか男の背後に現れ、その首に手刀を入れる。
「はい存在抹消っと」
手刀は何の抵抗もないかのように首ごと空間を切り裂いた。手に触れた部分は消滅し、支えを失った頭部がゴロゴロと地面を転がる。
「せ、先輩!!」
「他人を心配してる暇なんてないよ」
叫んだ男の胸には鈴の左手が突き立っていた。崩れ落ちた男の胸からはゴボゴボと血が溢れ、赤く地を染める。
「能力が使えない?!」
あっという間に最後の一人となった男は慌てて能力を発動させようとするも、その異常に気付いた。
「君程度の能力者はボクの空間の中では無力だ」
「ば、バカな」
「来世に期待ってことで」
同じように首から上を失くして男はこの世から消えた。
一分と経たずに三人が死んだ。慧は今の蹂躙が信じられず、茫然とその場に立ち竦む。
鈴はゆっくりとこちらへと歩いてくる。その見かけとは違い、慧には死神が歩いているようにしか見えなかった。
「これが、空閑鈴……」
「ボクも有名になったもんだね。さて、君にはボクとリスタが知り合いだってのがバレちゃったみたいだ」
鈴の手が慧の胸を貫いた。
「え?」
悲しそうな表情。それが自分に向けられているのと理解したのは、血で汚れた形跡のない腕が胸から引き抜かれたのと同時で。
「ごめんね、君は何も悪くない」
慧は沈み行く意識の中で自分の中の何かが壊れるような音を聞いた。