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時の掌握者  作者: 夢我霧中
二章
17/39

04

  現在、日本の四季は春と秋が消滅しつつあり、まだ冬が明けてからニヶ月程度しか経過していないにもかかわらず、うだるような暑さが続いている。真夏の日照りもかくやと、容赦無くアスファルトを焦がす。春の陽気とはかけ離れたそれに、辟易としながら慧は玄関の敷居を跨いだ。

 ラナから指定された場所はやはりというか朝国乃彩、つまりリスタの家であり、指示された時間は午前八時とそれなりに早かった。恵令奈はまだスヤスヤと惰眠を貪っているため、慧の外出に気づいてはいない。


「さて、行くか」


 最低限の荷物だけをポケットに忍ばせると、慧は念のため周囲を警戒しながら目的地へと進んで行く。

 道行く人はほとんど見られず、たまにみる彼らは一様に親の仇でも見るかのように太陽を睨みつけている。


『大丈夫ですか?』

「大丈夫だ、問題ない」

『大丈夫ではなさそうですね、リスタのところへ急いでは如何でしょう』


 口に出さなくても通じることは慧もよく知っているはずであるのに、そう返答が帰ったことでクロノは慧の貧弱さを知る。


『そうするか』


 思った以上に足取りが重く、このままでは予定時間ちょうどに着くことが予想されていたため、慧はクロノの提案に肯いた。


 水筒からお茶を出し、喉を潤すと久し振りに全力で走る。一刻も早くこの陽光から逃れたい。そんな思いで慧は走り続けるのだった。


「随分早いのね。最近遅刻もしていないようだし、どういう風の吹き回しかしら?」


 まだ軽く息を切らしている慧は無言で外を指差す。ジリジリと照りつける太陽に、乃彩は全てを理解したらしい。


「そういうことね。まだ時間はあるからすぐにシャワー浴びて来なさい。その服はこちらで洗っておくわ」


 部屋の高級そうな時計は午前七時三十分を指している。それほど余裕があるという訳でもないが乃彩の言う通りシャワーを浴びる程度の時間はあった。


「……助かるよ」


 乃彩がどこかへ電話したかと思うと、壮年の執事が部屋へ入ってくる。


「こちらです、ユール様」


 執事に連れられて、相も変わらず迷路のような屋敷を歩くと、大きな脱衣所へ連れられる。以前、慧が能力者になった翌日もお世話になった大浴場だ。その時もここに来てその大きさに驚いたことを思い出す。


「前回同様に替えの衣類はこちらにおいておきます。先ほどの部屋へお戻りになられる際はお申し付けくださいませ」

「ありがとう」


 慧は一言礼を言うと、服を脱ぎ始める。すると、先ほど自分が通ったばかりの扉が開いた。

 慧が気づいたのと同時に向こうも慧を視界に捉える。


「高塒か。今日は暑いな」


 休日にもかかわらず身をスーツとネクタイで固めているのだ。これで暑くないはずがない。その証拠、とでもいうのか、乱雑に脱いだジャケットの下はぴったりと肌に張り付いている。


「あぁ、嘉神先生もですか」


 先生、という言葉には顔を歪める。


「校外だと誓でいいし敬語も使わなくて構わない。特に先生はやめてくれ」

「敬語を変えるのは変な気がするので出来ればこのままで。作戦行動中は敬語はやめます。で、どうしてですか?」


 その問いに疲労を感じさせる表情で誓は小さくため息を吐いた。


「休日まで仕事のことを考えたくない。教師ってのは結構疲れるんだ。やりがいはあるし、なんだかんだ気に入っていない事もないんだが性には合ってないらしい」


 思ってもいなかった事実に慧は呆気にとられる。授業内容も分かりやすく、愛想もそこまで悪くはない。楽しんで教師をしていると思っていたため、その言葉は意外という一言に尽きた。


 慧と誓は手早く服を全て脱ぐとシャワーを浴びる。

 まだ予定の時間には早い。慧は一人、湯船へ向かった。


「子供が、苦手なんだよ」


 シャワーを止め、慧の向かい側に腰を下ろすと誓はポツリと呟いた。その目は湯に映る自分の顔を眺めている。


「なぜ教師に……」

「若気の至りだ。昔はこの日本を率いる人材を育てると豪語したものだが、子供の相手に疲れてな。全ての生徒が高塒や朝国のような生徒なら良いんだが」


 どこか遠い目をしている誓に慧は何も言えなかった。


「おっと、時間がそろそろ厳しいな。行こうか高塒」


 備え付けられた時計はだいぶ針が進んでいるようで、二人は用意された服に身を包むと、執事に従い部屋に戻った。


 戻る途中で誓に促され、慧も仮面を身につける。

 部屋へ戻るとリスタとラナ、それに慧と同時期に加入したメイリアと呼ばれる女性が椅子に座っていた。


「全員揃ったね。ちょっと早いけど行こうか、今回はモンゴルだよ!」


 仮面を唯一被っていないラナが意気揚々とそう宣言すると、メイリアがおずおずと手を挙げる。仮面越しにもその自信のなさが慧に伝わる。


「あ、あの……私パスポート持ってないんですけど」


 くぐもった声で尻すぼみになっていくメイリアに視線が集中する。


「メイリア、パスポートは要らないわ。ボスが転移させてくれるから」


 何でもないことのように不法入国することをリスタは話すと、メイリアは口を噤む。仮面から覗く瞳には僅かに動揺の色が見える。


「それで今回の説明だけど、どうやらモンゴルで異形種が大量発生したらしく、それを混乱に乗じて確保して欲しいだって。要望は研究班からだねっ」

「メンバーはここにいる五人で?」


 珍しくフェイがラナに訊ねた。その疑問がどういった意図を持つのか慧にはわからなかったが、それに対してラナは首を横に振る。


「ボクは他にも抱えてる案件があるから悪いけど送るだけだね。つまり四人だ。君たちが行動不能にした異形種の回収はボクと研究班で行うから安心してくれ」

「何体がノルマだ?」

「一人につき二体は確保してもらいたいね。多い分には構わない。三体以降は一体につき五万円のボーナスだ。それと、もし生け捕りに成功したら更に追加を出すことを約束しよう」

「異形種、か」


 慧は誰にも聞こえない大きさでそう呟いた。

 異形種。まるきりの新種ではなく、既存の種が何らかの要因を経て進化したと考えられる生物。それらの進化の方向はかなりのバリエーションに富んでおり、同様の性質を有する個体は確認されないらしい。

 元となった生物とかけ離れていることも少なくはない。その場合、外見から識別することは困難を極め、そのいずれもが高度な知能を保有していることが特徴らしい。

 それらと相対するのは今回が初めてであるからか、どこか心が騒ついていた。


「あ、あのぉ。そんなお金は何処から出るんですか?」

「知らない方が良いことはこの世には沢山あるんだぜ」

「ひいっ」


 貼り付けたような満面の笑みと底冷えのする声のラナに、メイリアが怯む。


「冗談さ。他国からの援助や色々と役立つものを世間様に販売した利益からだよ。確かに多少は出所を言えないような部分もあるけどね」


 打って変わって屈託のない笑みを浮かべるラナだが、メイリアはというと感情の読めない目で話を聞くのみだった。


「時間はいつまで?」

「回収の時間もあるから午後三時まで。問題が発生した場合はボクに連絡してくれれば救助に向かう。では諸君、幸運を祈るよ」


 それを言い終えた後、慧たちの視界は先ほどとは全く別の場所へと変わっていた。

 鬱蒼と生い茂る草木。生物の息遣いや鳥が羽ばたく音。そのどれもが慧は未経験で、東京では味わえないものばかりだ。物珍しさを感じていたのはほんの一瞬で、その異変に気付いた時、慧の心臓は大きな音を立てた。


 周囲に誰もいない。


 そのことに気づいた時、まるで嘲笑うかのように、けたたましい鳥の鳴き声が慧の頭上で響きわたった。

 慌てて戦闘態勢をとるが件の怪鳥はどうやら気づいていないようで、ほっと胸をなでおろす。


「はぐれた? いや、そんなバカな」


 物音を立てないようにぐるりと辺りを見回してもやはり誰もおらず、慧の鼓動は早鐘を打つかのように激しくなる。


 まさかラナがミスを犯したのか?


 慧は浮かんだその疑問を即座に否定する。

 ありえない。では、どうして。これは織り込み済みの出来事なのか。


 しかし、わざわざ俺たちを個別に送り込む理由がない以上これは明確な異常事態。


 いったい何が起こっている?


『マスター、気を付けてください。時空の歪みを確認しました』


 押し寄せる不安と緊張に押しつぶされそうになっていた慧に、クロノの声が響く。その深刻な声色と、他者が側にいるという安心感で慧は幾許かの余裕を取り戻す。

 だがその余裕も次のクロノの言葉で容易く崩壊した。


『ここは現在、あらゆる異常事態が起こりうる可能性がある領域。地球における、特異点ですーーーー』



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