後話 狂った老人の遺書
1/19.16:40.改稿しました。
都市圏から遠く離れた、地方の山間の町。町はずれの昭和を感じさせる大きな家、その家の二階には、書斎があった。古い本独特の香りが時代を感じさせる書斎、その奥にある使い込まれた木机の上に、一通の手紙があった。
それを、やつれてとうがたった細身の女が手に取る。その手紙には、遺書と書かれていた。女は、幾重にも巻かれた薄い和紙を破らないように丁寧に広げ、びっしりと書かれた達筆な文字を読み始めた。
小生の晩年は、暗いものでありました。
今まで真面目に仕事をしてきたというのに、還暦を過ぎたことにより長年勤めてきた会社を退職することになりました。会社のために、社会のために尽くしてきた自分がいらない人間だと言われたようで、肩からひどく力が抜けました。
老いたことで身体のあちこちが悪うなりました。身体の節々が痛くなりますし、好きな酒もたばこもろくに味わうこともできません。なによりも、趣味の剣道をできなくなることがつろうございました。
長年、こつこつと収めてきた年金も対象年齢の引き上げによりもらえません。幸いなことに貯金はあったので、老後のことは問題ありません。けれども、悪質な詐欺にだまされたようで、自分というものがほとほと情けなく思いました。
人生、長く生きてても、ろくなものではございません。
暗い晩年を過ごす小生にとって、長年連れ添った妻、息子夫婦とその孫娘、愛しい家族の存在だけが心の拠り所でございました。特に孫娘は、小生達夫婦におじいちゃん、おばあちゃんとよく懐いておりまして、東京に働きに行ったあとも月に一度に手紙を送ってくるような昨今の若者には珍しい優しい子でした。小生は、その手紙を妻共々楽しみにしていたのでございます。
ですがもう、孫から手紙が送られてくることはありません。
孫は、過労でこの世を去りました。
都会の駅のホームから落ち、その身を電車の轍に踏みにじられたのです。
突き落とされたか、自ら轍に身体を任せたのかはわかりません。
ただ、孫の身体は、いつ死んでもおかしくない程に疲れ果ててボロボロだったそうです。
孫は、二十五歳の若さでした。まだまだ、まだまだ…人生これからだったというのに。
老い先短い小生の身と変わってあげられたらと思わない日はありません。ただただ、孫の苦しみに気付けなかった小生の愚鈍さを後悔するばかりです。
息子夫婦は深い悲しみに暮れました。そして、小生以上に孫を可愛がっていた妻は、たいそう落ち込んでしまい、棺に花を供えるときの表情などはとても見ていられませんでした。
葬式の後、家族総出で孫の勤めていた都会の会社を訴えました。
会社の対応はのらりくらりとしたもので、遠回しに金はやらんというのが態度に出ており、孫に対して一片の申し訳なさも感じていませんでした。
あまつさえ、「あなた方の教育方法が悪いからこっちが迷惑を被った」とこちらから賠償として金を出させようとしたのには、殺意すら抱きました。小生は交渉の間、己のこぶしをひたすらに、血が出ようかというぐらいに握りしめていました。
その会社を訴えた後、帰りにタクシーが取れなかったのでしぶしぶと電車に乗ることにしました。田舎の地元とは違う鈍色が輝く新しい綺麗な車両、ですが、生憎と夕方だったので人でぎゅうぎゅう詰めでした。人の多い電車に慣れていない小生たちにとって、この中で過ごすのは息苦しく、なかなかつらいものがありました。口をパクパク開ける縁日の金魚すくいの金魚の気分を味わいながら、下りる駅に早く着かないかと待ちわびていますと、急に電車が止まりました。聞こえてきたアナウンスによると、人身事故が起こったようです。
孫のことがあったので、小生は嫌な気分になりました。妻は、孫のことを思い出したのでしょう、目元を潤ませました。小生と息子夫婦は、孫に先立たれてから涙脆くなった妻の手を握って、背をさすってあげました。さすっていくうちに、妻もだんだんと気分が和らいできたのでしょう、涙を抑えていきます。
ですが、その時でした。どこまでも無慈悲で、悲しい言葉の刃が飛んできたのです。
──仕事があるのに…ほんと、勝手に死んでいい迷惑だよ。
今の言葉を誰が言ったのかは知りません。けれど、世の中には時に言っていい言葉と悪い言葉があります。小生は思わず怒りの形相で周りを見渡します。生憎、先程の言葉を発した下手人は見つけられませんでした。それ以上に言葉を失う光景が目の前にあったのでございます。
電車の中にいる人々はみんな、どこか諦めたような、興味のないかのようにスマートフォンをつついていたり、止まった電車を迷惑がっているだけだったのです。誰も、人身事故で傷ついた人を悼んでいる様子はありません。人身事故が起こったということは誰かが傷つき、死んだかもしれないというのに。
人々の顔は、どこまでも暗く、無関心で、無気力で、疲れて果てていました。
この都会の、この電車の中だけのことかもしれません。いわゆる霊感というもののない小生は、霊媒師のようにこの世非ざる何かを見たことはございません。
けれども、自分本位な欲望、仕方ないという諦観、疲れているがゆえに抱え込みたくないという無関心、もうどうでもいいという無気力、それらがアメイバ状のもやとなって、人々に、電車に憑りついているように見えました。もしかするとこのもや(もはや物の怪と称していいかもしれません)は、日本中いたるところに憑りついており、人の命の大切さを軽くさせ、見失わせているのかもしれません。そのもやは今だけでなく、大昔から人々を苦しめて来たのかもしれません。これにおそらく孫は殺されたんだと、小生は根拠もなく確信いたしました。
突然この老人は何を言い出したか、呆けたか、孫の死でいよいよ狂ったかと言われても仕方ないことをの宣っていることは、重々承知しております。
それでも、なにかとても恐ろしいものがこの国に憑りつき、跋扈している、小生はこの幻覚が本当にしか見えず、恐ろしいのでございます。
小生がそのもやを見たように、妻も見たかはわかりません。ですが、小生の態度と社内の雰囲気で何かを悟ってしまったのでしょう、いよいよ堪え切れなくなって泣きだしてしまいました。小生と息子夫婦は、ただただ、妻を抱きしめることしかできなかったのです。
この出来事があってから一年後。孫のことで身も心も疲れきっていた妻は病に倒れ、小生より先に旅立っていきました。
小生は、あのもやに孫だけでなく、長年連れ添った愛しき妻の命まで奪われたのでございます。
妻に先立たれた後、小生は自分に残された時間を何のために使うべきかよく考えるようになりました。そして、孫の命を奪い、妻の命すら奪った、あのもや。あれが誰かを死に追いやるのを見逃してはならない。誰かがあれと対峙しなくてはならない、そう思うようになりました。
──いいえ、もう…取り繕うのは止しましょう。
──これは義憤ではなく、ただの醜い増悪であることを。
小生は、小生の命よりも大事だった愛しい家族を奪った全てが憎い!
なぜ、孫娘がボロボロになって死ぬまで酷使されなくてはならない!
なぜ、妻が罪悪感に追い詰められて死ななくてはならない!
一体何が悪かったのだ!国か!社会か!それとも時代か!
いずれにせよ、このようなことは断じて許されない!いや、許してなるものか!
これを仇討ちとはいいますまい、狂った老人の八つ当たりでございます。
しかし、それだけではこざいません。小生は、疲労によりどこまでも暗く人間らしさ失っていく、自分がなんのために生きているのかさえ分からなくなって、ただただ命をすり減らしていく人々の顔を晴らしたいというのもまた本心でございます。老い先短い小生の八つ当たりで、これから先に孫のようにいのちを散らし、小生や妻のように残されて苦しむ人々を一人でも多く救うことができたならば、愚かな小生でも生きてきたかいというものがあると思うのです。
そして、一年後。
老いに衰えた身体の鍛え直しが終わり、いよいよ小生はあのもやと対峙することを決めたのでございます。
残される家族のことを考えると胸が痛とうございます。せめて、息子夫婦に鉄道会社の賠償に当てる小生の貯金と幾つかの遺言を残したいと思います。
息子よ。
最後に迷惑をかけてしまう不甲斐ない父で申し訳なかった。小さい頃はあまり構ってやれなかったが、大事なことは全て教えれたと思う。お前ならば立派にやれる、自信を持て。義娘を大切にしなさい。彼女ほどお前と寄り添ってくれる女性はこの世にいないのだから。
義娘よ。
我が子を失ったというのに、それでも明るく振る舞い、家族みんなに心温まる気配りをしてくれたことに、本当に救われた。重ね重ねありがとう。愚息は至らないところが多いが、どうか支えてやってほしい。あなたは人一倍頑張るところがある、時には自分を労わって休んでほしい。
二人とも、幾度も家族を失うという悲しい思いをさせてしまう小生を、どうか許して欲しい。なれど、小生は行かねばならないのだ。
取り出だしたる獲物は先祖代々に伝わりし打刀、刀身の乱れ刃は憤怒の如く。
腹に抱えしこころは人を守らんとする信念、曲がることなきは直刃の如し。
小生は、これらを携え、いざ都会に物の怪退治に参らん。
対峙するは、人のいのちを軽くする太古からの物の怪。余りにも強大であり、小生は風車小屋にランスを向け、無謀にも突撃せんとするドン・キホウテと同じく滑稽に見えることであろう。
なれど
いかに強大であろうとも、男には行かねばならぬ戦がある。
張って守らねばならぬ、いのちがある!
お前は、軽くなど決してない
大切な命だと伝えねばならんのだ!!
たとえ、その果てに小生の身が朽ち果てようとも…。
女は、静かに涙を零し、顔を赤くさせながら、遺書を机の上に丁寧に巻いてそっと置いた。
「馬鹿なお義父さん。あなたがやらなくてもよかったというのに。」
女はそう呟いた後、書斎を後にして下の階にある縁側に出る。小さくも整えられた庭が見える。家族みんなで団欒をした思い出の庭が。
顔を上げると、薄い水色の冬空に細い雲が見える。
女は、遠くの空を見つめた。義父がそのいのちを伝えにいった、都会の空を。
冷たい風が、女の涙で濡れた頬をすっと撫でて乾かしていく。女の顔は寂しさが滲んでいた。でも、どこか清々しく微笑んでいているようにも見えた。
そして、女は両手を合わせ、不器用で誰よりもこころ優しかった義父の冥福を祈った。
もともとは、電車に乗った悪徳政治家を老人が対戦車ライフルでぶっ飛ばすSFだったのが、なんでこんな風に変質したのやら…でも、これで良かったかと思います。
なろうやTwitterとかで仕事に身を削っている人の話をよく聞きます。そういうのを見てなんかできたらなぁと思って書きました。1ミリでも誰かに刺ささってくれれば嬉しいです。
短篇に一か月近くも待たせて本当に申し訳ありませんでした(汗)。書くこと習慣化してない+完璧主義は本当に良くない。
ですが、これにて平成老人ボンバットは完結です。お付き合いいただきありがとうございました!